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テーマ:個性・性格について(26)
カテゴリ:病院
おはようございます
今日は個性についての最後です マイノリティとマジョリティについて考えます 1.マイノリティとマジョリティ マイノリティとマジョリティと言う言葉を聞いたことがあるでしょうか 欅坂の歌で「サイレントマジョリティ」という歌もあったので聞いたことはある人も意味を理解している人も多いのかと思います マイノリティとはアメリカら輸入された考え方で、マイノリティグループという言葉を日本では省略してマイノリティと使われています マイノリティとは集団の中での「少数派」、マジョリティとは「多数派」のことを指します 多数決の原理にあるように一般的にはマジョリティの方が力を持っていることが多いです ちなみにサイレントマジョリティとは1968年にアメリカのニクソン大統領がベトナム戦争からの段階的な撤退を進めるにあたり国民の支持を得るために使った言葉のようです 当時ベトナム戦争に米軍を派遣していたアメリカでは国民の一部から米軍を全軍撤退するように政府に対して要求していました ニクソン大統領は就任演説で多くの声を上げない国民(サイレントマジョリティ)に対して、「ベトナム戦争の早期解決を目指すうえでいきなり全軍撤退をすればベトナムは大混乱に陥るので、軍隊を段階的に撤退させることが最も早く戦争を終了させる手段である」ことを国民へ訴えて、サイレントマジョリティの支持を得たと言う話らしいです マイノリティという言葉でよく使われるのが性的少数派(LGBT等)、少数民族です LGBTとはレズビアン(女性で女性に対して恋愛感情がある)、ゲイ(男性で男性対して恋愛感情がある)、バイセクシャル(同性でも異性でも両方に対して対して恋愛感情がある)、トランスジェンダー(元々の身体的な性別と自分も考える性別が一致しない)の頭文字を取った言葉で 恋愛対象や身体的な性別と自分が考える性別認知の違いを持った人たちのことを言います LGBTの4つの種類だけではなく、他にも性別や恋愛に対する価値観を持った人たちはいると言う事で、JGBTQIA+と表されているようです 少数民族で言えば日本ではアイヌ民族がマイノリティの代表格にあたります 私は生まれも育ちも北海道で、出身は釧路なので割と学校の授業でもアイヌについて学ぶ機会は多かったですし、阿寒湖温泉や川湯温泉に旅行へ行くとアイヌの方がお店をやっていたりすごく身近にアイヌを感じることも出来ます 私の周りにはいなかったですが私の親は川湯に近い弟子屈(てしかが)という所に住んでいたので、実際にクラスメイトにアイヌ民族のクラスメイトがいたと言う話も聞いたことがあります アイヌ民族は狩猟採集を行ってきた民族で、言葉、信仰、儀式、服装、装飾品等独自の文化を継承しています 言語に関しては「ラッコ」や「トナカイ」などアイヌ語がそのまま日本語になっていたり、調べたら色々と出てきて面白いですよ 北海道の地名に関しては約8割がアイヌ語由来であり 稚内、岩内、幌加内、静内等の ”内” や 登別、湧別、幕別、陸別等の”別” も両方川(沢)を意味する意味で、地名にも多く使われています 「自然とともに生きる」というスタイルが今の時代には逆に新しいですし、見た目にもばえるので観光に行ってみるととても楽しめると思います(感染が落ち着いたら是非来てみてください) 詳しく知りたい方は阿寒湖のHPが面白かったので載せておきますね↓↓ 阿寒湖アイヌコタン 2.個性とマイノリティ マイノリティとは少数派と言う意味なので、よく個性と混同されて使われることがありますが、個人的には個性とマイノリティについては似て非なるものだと思います マイノリティは少数派、つまり全体を見た時の少ない方です そのため比較対象は集団であり「多い方」、「少ない方」とカテゴリー分けするための考え方です 一方個性はカテゴリー分けされないことが特徴で、集団と比較して多い少ないではなく個人の中で完結するものです そのため先程のアイヌ民族を例にとると、「アイヌ民族」という文化を大切にすると言うことは一つの個性ですが 「アイヌ民族」と「アイヌ民族ではない人」と周囲との比較が入るとそれは個性ではなく、マイノリティ(数の少ない方)ということになります よく個性の議論などで行われる「LGBTの人達」も認められるような社会にしようと言う発言は、その人らしさと言うよりも社会の中での少数派の人たちにも目を向けようと言うマジョリティ側の視点でしかないです 「個」性を認めようとするのか、それとも「マイノリティ」を認めようとするのかで議論がかみ合っていないように感じます マイノリティの側からは個性の話しをしていて、マジョリティの方は「少ない方の人達」というカテゴリーでの話をしているのが原因だなーと思っています 「少ない方の意見も聞こうよ」というマイノリティに対しての考え方ではなく、「一人一人違う事は当たり前だよね」と個性について考えることが出来ないと差別はなくならないです 例えば「LGBTの人達」「アイヌ民族」というテーマで議論や理解が進んで、マイノリティが自由に生きられるようになったとしても、必ずどこか別のところでまた形を変えてマイノリティが誕生して、差別や偏見はずっと繰り返されます 3.多様性を認めるとは 多様性を認めるとは「少数派も認めていく」のではなく「個性」と向き合う事です 個性と向き合うと言う事は「自分自身と向きあう」こと 他人との比較ばかりでは相手にばかり目線を向けてしまうので、自分らしさを見失ってしまいます まずは自分の考え方や個性と向き合い、自分特有の個性を見つけて、それを磨くこと そのためにはSNSやYOUTUBE、読書等で他者からの情報を集めている内は見つかりません 自分と向き合うことはインプットの作業ではなくアウトプットの作業です スマホで情報を集めるのは一旦やめて、紙とペンを持って自分自身の経験や体験の中から自分の好きなこと、嫌いな事、大切な思い出、消し去りたいような嫌な思い出等を書き出してみてください 具体的には 小学生の時に熱中したこと、好きだった人、苦手だった人、楽しかった思い出、つらかった思い出 中学校時代は?高校時代は?大学時代は?20代は?30代は? これまでの人生を振り返ってみると自分の核となること、自分らしさが見えてくると思います それを武器に発信して、輝くことが出来れば個性を評価されて、個性の重要性にあなた自身が気づくはず そうすれば相手の個性ももっと尊重しようと思えるし、色々な個性を認めることが出来るようになります 自分と向き合うこと(アウトプットの作業)でしか個性は見えてきません そして自分の個性と向き合って大事に出来る人は、人の個性も大事に出来ます 是非個性を大事に出来る人が増えて、結果として社会全体として他人の個性も認め合える、多様性を認められる社会になればいいなと思います 今回の個性のシリーズを読んでいただいて、「自分らしさを大事にしよう」と思えたと言う人が一人でも生まれてくれれば本当にうれしいです *まとめ* マイノリティとは集団の中での「少数派」、マジョリティとは「多数派」のことを指す 多数決の原理にあるように一般的にはマジョリティの方が力を持っていることが多い マイノリティと個性は似て非なるものである 個性は一人の人間から生まれるのに対して、マイノリティは集団の中での相対的な見方として生まれる概念 ただ、個性が認められづらい社会の中ではしばしば個性はマイノリティとして扱われがち 両者の違いを理解して個性を大切に出来ない限り、形を変えていくらでもマイノリティに対する差別や偏見は生まれる 多様性を認めるとは自分自身と向きあうこと 他人との比較ばかりでは相手にばかり目線を向けているからこそ、自分らしさを見失ってしまう まずは自分の考え方や個性と向き合い、自分特有の個性を見つけて、それを磨くこと それを武器にして輝くことが出来れば個性を評価されて、個性の重要性にあなた自身が気づくはず そうすれば相手の個性ももっと尊重しようと思えるし、色々な個性を認めることが出来るようになる ______ 皆さんの個性についての考え方は少しは変わったでしょうか これまでの長い歴史があるので、人との違いを受け入れるのは個人としても社会としても簡単な事では無いとわかっています それでもインターネットが発達した今が最も個性が輝きやすい時代であり、これまでの集団重視の考え方から個性重視の考え方に変わりつつある時代の転換期にさしかかっていることは疑いようがありません ただ逆にインターネットの出現によって他者の情報が簡単に、しかも膨大に手に入るようになったことで他者との比較に溺れて自分自身と向き合う機会は一気に減ってしまったようにも感じます 何も考えなければ誘惑だらけの時代ですから、スマホ握っていたらあっという間に時間は流れてしまいます ただでさえ社会人になってから時間の流れが早かったのに、スマホの出現によっていくらでも時間つぶせるので気付けば30代、40代なんてこともざらに起こると思います たった一度の人生です 健康でいられたり、体力的にもやりたいことを元気にやれる時間なんてせいぜい5~60年だと思います 私は今32歳なので残り2~30年 やりたいことを精いっぱい自分らしくやるためにはあまりにも短い時間だと思います 時間は有限で命には必ず終わりが来ます 今からでも皆さんの個性を大事にして、それぞれが楽しみながら輝けることを祈りながら、私自身も自分らしく発信を続けていきたいと思います お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年07月01日 08時31分18秒
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