2018/08/15(水)22:59
「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」
今日は久しぶりに富士山が見えました。
風の強い一日でした。
今日は終戦記念日です。
お昼に武道館での記念式典の模様を放送していました。
天皇のあいさつに、今年は
「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という言葉が付け加わったそうです。
天皇の他人ごとのような言葉には違和感を感じつつも、
安倍首相は「最後まで余計なことを言って」と思ったことでしょう。
確かに戦後73年日本は戦争することも巻き込まれることはありませんでした。
あぶないなと思ったのは、ベトナム侵略戦争です。
韓国は米国に求められてベトナムに派兵しました。
米兵以上に残虐だったそうです。
多くの韓国系混血児が生まれました。
私の田舎でも山本薩夫監督の「ベトナム」(1969年)が上映され、
カンパしたことを覚えています。
大学にはいったら反対デモに参加したという横須賀出身の同級生もいました。
平和憲法がなければ、日本も米国に派兵させられていたかもしれません。
「ベトナム」は、 北ベトナムにロケした長編記録映画です。
あらすじ:
ある晴れた日のハノイ。
青年突撃隊を乗せたトラックの隊列が、南北両ベトナムの首都を結ぶ
国道一号線を南下して行った。
この部隊は独身女性が大半を占め、破壊された道路や橋の補修、
時限爆弾や不発弾の処理を主任務としていた。
北ベトナムの最南端で南からの砲弾の飛び交うビンリン、
クワンビン地区に向かう突撃隊をもっとも励ましたのは、
各地で不屈に闘う同胞の姿だった。
四、五〇キロもある高射砲をかつぐ七四歳の老人民兵。
ベトナムの星といわれる闘いの象徴、ハムロン橋を死守する兵士。
学習のかたわらに八〇ミリ砲の訓練をする女学生。
国民は「破壊にはそれ以上の建設を」というスローガンのもと一致団結している。
一七度線直下のビンリン、クワンビン地区。
アメリカが「石器時代に戻してやる」と豪語したこの地区の住民は、
地下壕の中で生活していた。
が、抗米救国のために闘いつづける人民の顔は意外に明るい。
それは、豊かな大自然を味方に闘う自国が、
誰も負けると思っていないからである。
平和憲法のもと海外派兵はありえないと思っていましたが、
近年はなし崩し状態です。
日報隠蔽の南スーダンPKOは、戦闘が発生し巻き込まれる一歩手前でした。
死傷者が出なくてよかったです。
昨日イージスアショアーの地元説明会の模様を放送していましたが、
軍事機密を盾にまともに答えませんでした。
戦争法とともに、機密保護法も定められました。
国民の知らないところで、着々と戦争準備を進めてもらっては困ります。