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三鷹、聞いたか、吉祥寺、二子玉川 and Shibata

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2018.09.26
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テーマ:ニュース(99368)
カテゴリ:時事問題

(日曜に想う)希望も失望も、されど平和賞 編集委員・福島申二

2018923日 朝日新聞

 

秋が気配をととのえ始める頃にノーベル賞週間(ウィーク)はめぐってくる。

今年は10月1日の月曜日から発表される。カズオ・イシグロ氏の文学賞核兵器廃絶国際キャンペーンの平和賞と、日本ゆかりの人と団体の受賞を喜んだのは昨日のようなのに、時の流れは早い。

文学賞も科学各賞も、むろんすばらしい。しかし私感を述べるなら、平和賞の存在感抜きにノーベル賞は語れまい。とりわけ人道、抵抗、不屈といった美しい言葉を体現する人物に贈られるとき、輝きはいっそう増す。賞の栄誉はそうした人々の声の浸透力を倍加する。

「夫は大きなマイクを持つようになりました」。これは、アウシュビッツを体験し、ホロコーストの記憶を伝え続けたユダヤ系米国人の作家エリ・ウィーゼル氏(1986年受賞)の妻が、受賞の前と後を比べて語った言葉という。

圧政や理不尽に抗(あらが)う人には、世界の良心を味方につける効果ももたらす。ミャンマーアウンサンスーチー氏(91年受賞)には長い軟禁のあいだ、その身を案じ国情を憂える国際社会のまなざしが絶えることなく注がれてきた。

そのスーチー氏に向けられる世界のまなざしが、いまや失望と非難に染まっている。イスラム系の少数民族ロヒンギャ迫害の責任を問われてのことだ。新たな政権の指導者となって2年半、非暴力に根ざしたイメージの清らかさゆえに、現状への落胆はいっそう大きい。

     *

古今東西、迫害に耐えてたたかった時が一番輝いていた人がいる。民衆とともにあった英雄も、権力を得れば汚れがちだ。そうした先人の列にスーチー氏も連なってしまうのか。8年前と今年の本紙歌壇に載った二つの歌が、彼女を見る目のおおかたの変化を表していよう。

 〈軟禁を解かれし女人たおやかに髪に花挿(さ)す疾風の中〉長田裕子

 〈「スーチー」と今は呼捨てにしておこうロヒンギャ難民が帰国するまで〉寺下吉則

前者は軍政下の自宅軟禁が最終的に解除された2010年の作、後者は先週の日曜に掲載された一首である。

ロヒンギャ難民は今も劣悪な環境に置かれたままだ。国連は先月、広範な迫害を「人道に対する罪」にあたるとする報告を公表した。スーチー氏を「国家指導者の立場を、迫害を止めるために行使しなかった」と非難している。

このことは、平和賞の先達である南アフリカのツツ元大司教(84年受賞)が昨年、スーチー氏への公開書簡で示した批判に重なり合う。「最高の地位に上りつめた政治的代償があなたの沈黙だとすれば、その代償はあまりに大きい

複雑な国情があるにせよ、うなずくほかないのが残念で、やりきれない。

     *

 〈時たてば当たり外れの平和賞〉

これは昨年の本紙川柳欄に載った一句だ(桑山俊昭作)。スーチー氏あるいは米国の前大統領オバマ氏(09年受賞)あたりを思い浮かべての作だろうか。オバマ氏の「核なき世界」の演説は感動的だったが、いわばまだ描かれてもいない絵を先買いするような授賞だった。

2人にかぎらず、時の審判に色あせる平和賞は少なくない。「時たてば」どころか、発表とともに受賞者がそれにふさわしいかどうか、世界中で賛否の応酬が起きることも珍しくはない。

ベトナム和平での元米国務長官キッシンジャー氏(73年受賞)のときには、選考委員2人が抗議のために辞任したほどだ。生身の現実と向き合う平和賞は、他のノーベル賞とは異質である。

もう一つ他の賞と異なる点を挙げるなら、栄誉の裏に苦しみ、悲しみが存在することだろう。

1901年の第1回が、戦場から生まれた赤十字の創始者デュナンに贈られたのは象徴的だ。戦火が激しく、脅威が大きく、虐げられた民衆が多いほど、皮肉にも賞は注目される。

希望と勇気だけでなく、失望と無力感も平和賞はもたらしてきた。それでもやはり、理不尽の絶えぬ世界にともる一本のともしびとして、存在は大きい。今年の明かりはどこにともるだろうか。






「スーチー」と今は呼捨てにしておこうロヒンギャ難民が帰国するまで

時たてば当たり外れの平和賞


ノーベル平和賞にふさわしくない受賞者から、賞をはく奪できないものかと思います。
返還勧告なんてのもいいかもしれません。

ミャンマーといえばおだやかな仏教国のイメージですが、
長年の軍政から民政に移管してまともな国になると思ったらこの有様です。

長期間の軟禁生活に耐えて最高権力者に就いたスーチーは、見てみぬふりです。


人権重視、難民支援を口にする安倍政権は、何をしているのでしょう。
外交の安倍という割には、姿が見えません。

非難してミャンマーが中国寄りになるのを恐れているのでしょうか。

おじの沖縄密約の佐藤栄作でさえノーベル賞をいただきました。
その気になれば、唯一の被爆国の首相ですから受賞も夢ではないでしょう。
それともトランプへの遠慮でしょうか。


それにしても、平和賞がなくなる日が来てほしいものです。

 






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Last updated  2018.09.26 00:00:20
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