2021/06/03(木)22:46
秋吉敏子~私のジャズ物語 第4回 「我が心の師デューク」
バークレー音楽院で学んだことは「物まねではいけない、自分の言葉を作る、自分の癖を探す」ということ。
デューク・エリントンの音楽には彼の黒人としての歴史があることに気が付いた。
「私の音楽は日本人としての私自身の歴史で、また国際的なものでもなければいけない」と認識させてくれた。
自分の音楽には今までのジャズにはなかった日本の文化、伝統を取り入れることでアメリカのジャズに貢献できると思う。
エドワード・ケネディ・デューク・エリントン(Edward Kennedy "Duke" Ellington、1899年4月29日 - 1974年5月24日) 「デューク(公爵)」というニックネームは、子供の頃から自然な優雅さ、身嗜みを身に付けきちんとした服装をしていたことから、友人によって付けられた。 1964年に新潟市で新潟地震が発生した際に日本公演を行っていた。地震の被害を知ったエリントンは次に予定されていたハワイ公演の予定をとり消して東京厚生年金会館にて震災に対する募金を募ったコンサートを開催した。その後コンサートの純益である96万円が新潟市に贈られ、再来日した1966年には新潟市より国際親善名誉市民の称号が贈られた[4]。エリントンは1974年に75歳で死去した。
ウィリアム・“カウント”・ベイシー(William "Count" Basie、1904年8月21日 - 1984年4月26日)は、アメリカのジャズピアノ奏者
(ウィキ)
デュークやカウント(伯爵)なんて言うのは、黒人の苦しい歴史と関係があるように思っています。
私がデューク・エリントンの曲で好きなのは、こちらのメドレーです。
特に最初の3曲は珠玉です。
(34) ビッグバンドJazz-デュークエリントン・メドレー「弘田三枝子」他 - YouTube
ソフィスケート・レディは、ヒューバートローズHubert Lawsのフルート演奏も見つけました。 (34) Sophisticated Lady - YouTube
(34) ソフィスティケイテッド・レディ - YouTube