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カテゴリ:TV
日本の総合商社の苦闘と崩壊を描いた経済ドラマ。 初回放送日: 1980年12月5日 ニューヨークにある江坂アメリカの社長・上杉二郎(山﨑努)は日系二世でらつ腕の商社マン。江坂産業の弱点である石油取引で、ビッグビジネスに打って出ようとする。一方、人事を一手に握る社主の江坂要造(片岡仁左衛門)は上杉を嫌っていた。日本有数の美術コレクターで、若き芸術家のパトロンでもある江坂は、新しい愛人でピアニストの松山真紀(夏目雅子)をニューヨークへ留学させ、上杉の様子を探る。一方上杉は…。 初回放送日: 1980年12月6日 江坂アメリカ社長の上杉二郎(山﨑努)のもくろみは、敏腕ブローカーのアルバート・サッシン(ケン・フランケル)と手を握り石油ビジネスを成功させることだった。 しかし、江坂産業社主の江坂要造(片岡仁左衛門)は、側近たちと上杉の追放を狙っていた。サッシン側との交渉で、江坂産業社長・河合(山内明)を説得し、ギリギリの勝負に出る上杉。その頃ピアニストの松山真紀(夏目雅子)は演奏会で酷評され、失意のどん底に…。
今年は松本清張没後30年ということで、NHKが過去のドラマを再放送しています。 けものみちに続いて、ザ・商社ですが、今回初めて見ました。 片岡仁左衛門など今では亡くなった役者さんが、多数出演です。 10大商社のどんけつ安宅産業がモデルですが、ケン・フランネル演じるアルバート・サッシンなる人物は見るからに怪しいです。 レバノン系でフィニキア商人の末裔とされていましたが、騙される時はこんなものかと思って見ました。 日本企業の海外進出は、1990年ごろまでは騙されたりFSが不十分で失敗するケースが多かったのではないでしょうか。 私が勤務する会社も例外ではなく、山師に引っかかったり、いい加減なコンサルタント(社長のお友達)が絡んだりと失敗の連続でした。 経済的な損失もさることながら、人的な損失も小さくなかったです。 さて、おっぱいまで晒して奮闘した夏目雅子ですが、テレビでは限界があったように思います。 私としては、彼女無しのもっとリアルな経済ドラマの方がよかったと思いますが、一種の話題作りだったのでしょうか。 和田勉ならではの演出でしょうか。 和田 勉(わだ べん、1930年6月3日 - 2011年1月14日)は、日本の演出家・映画監督で、NHKディレクター、プロデューサー。退局後はタレントとしても活動した。本名は名の読みが「つとむ」。 三重県松阪市出身。ワダベンカンパニー代表取締役で、生島企画室と業務提携していた。
早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。 主にテレビドラマのディレクター・プロデューサーとして活躍。手がけた作品が軒並み賞を受賞したために「芸術祭男」の異名を受け、「テレビはアップだ」を信念とし、クローズアップを多用していた。 1968年、芸術選奨文部大臣賞受賞(この年に新設された放送部門の初受賞者となった)。 同じくNHKでの演出で知られた深町幸男とともに「NHKを代表する演出家」と見なされていた。 1987年にNHKを定年退職後、フジテレビの横澤彪からの誘いにより『笑っていいとも!』の月曜レギュラーになるなど、タレントとして活動。独特な笑い方から「ガハハおじさん」と呼ばれ、度々ダジャレを披露。演出業も並行して担当し、『ハリマオ』で初の映画監督を務めた。出前一丁のCM(東日本のみ)にもアニメで出演した。1994年には俳優養成学校「ザ・ドラマ・スクール」を開校。 ヘビースモーカーとしても知られており、たびたびマスコミを通して議論を呼ぶことがあった。愛煙していた煙草はマールボロ。 2002年11月に東京都内の私立大学のゼミの講師として招かれた際、女子大生に猥褻行為をしたとして提訴され、控訴審まで争うも2004年に敗訴が確定した。この訴訟で和田は女子大生が名前を出さない限りコメントしないと、新聞各社の取材に応じた。 2004年、これまでのテレビ生活をまとめた著書『テレビ自叙伝-さらば、我が愛-』を出版。 2011年1月14日午前3時17分、食道上皮がんのため神奈川県川崎市の老人福祉施設で死去。80歳没。なお、がんと診断されても手術や延命治療を行うことなく、約3年間病院や老人福祉施設で闘病生活を行っていた。和田の没後、古巣のNHKは追悼番組として、1月30日にNHK総合テレビのNHKアーカイブス枠で『追悼・和田勉〜ドラマ“天城越え”〜』を放送した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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当時は、男性は「ゴツゴツ顔」、女性は「ケバケバ顔」の時代でしたね。
今は、性別に関係なく「ノッペリ顔」の時代なのでしょうか。 商社が日本の経済を牽引していた時代でしたね。商社間の「闘い」も熾烈でした。 放送当時、社会人になった私の世代でしたが、ひねくれた友人が多く、商社への就職は、あえて避けていましたね。 私自身も、この放送局への入局を断ったぐらいでした。事情により、どうしても東京を離れることが出来なかったのです..... (2022.06.25 05:06:53)
クロンシュタットさんへ
商事、物産、丸紅、住商、伊藤忠、日商岩井、ニチメン、トーメン、兼松と、いろいろな商社の方と付き合いましたが、会社のカラーは違いますね。 伊藤忠には安宅出身の課長もいました。 眠り口銭の時代が終わりつつある時代でした。 新規事業や開発案件など投資銀行的な仕事にシフトしつつありました。 個人的には、某社と組んで中国に顧客開拓に行ったのが、よい思い出となっています。 相手先から「偽物を買わない方法は?」なんて尋ねられたことあります。 (2022.06.25 08:34:02) |