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三鷹、聞いたか、吉祥寺、二子玉川 and Shibata

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家族

2021.01.06
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カテゴリ:家族
GO TO 緊急歯科

年の暮れの夕食で、唐揚げを食べた愛方が、けげんなお顔です。
どうも歯にあたって、調子が悪くなったようです。
前月から治療中でしたが、よりによって年末に悪化です。

年末年始の緊急医療体制を確認すると、31日から3日まで臨時の診療所が開設されます。
31日からなので、30日は空白日です。
1日我慢して31日に診てもらいました。
当番の若い歯科医師にぐらぐらするところを固めてもらって、抗生物質を処方されて3000円でした。

数年前の私のように痛むわけではないですが、片方でしか噛めない、酢がしみると不具合があります。
硬いおせんべいもNGです。
そのせいか、体重はやや減です。
こういうのも怪我の功名というのでしょうか。

開いててよかった緊急診療所です。
コロナ対応の内科の方とは分けられていたそうです。





GO TO 海外赴任

暮れに赴任のあいさつに来た息子は、PCR検査後大晦日のANAのフライトで赴任です。
到着は元日深夜。
現在ホテルで1週間の隔離中です。
今のところ異状なくまもなく隔離解除された後は、別のホテルに宿替えして1か月くらいの仮住まいです。
船便の荷物待ちですね。

今は雨季のようですが、気温は25~30度。
雪の当地からすると、うらやましい気温です。

お正月休みはなく、2月上旬の旧正月まで休みなしです。

愛方は、早くコロナが終息して遊びに行くのを楽しみにしています。






Last updated  2021.01.06 18:33:46
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2020.12.07
カテゴリ:家族
海軍兵学校、日露戦争、ワシントンとロンドンの軍縮会議、三国同盟、日米開戦、ニューギニアでの戦死までが、描かれます。

山本は、欧米の実情を知る軍人、戦争には消極的だった、軍命によってやむを得ず真珠湾攻撃を行った、
部下思いの軍人だったと肯定的に描かれています。
要所要所で、自分の思いを堀に手紙で伝え、それを裏付けにしています。





日米開戦、真珠湾攻撃が注目される山本ですが、日米対立の原因である中国やアジアへの侵略戦争についてはどうだったのでしょう。
その辺も知りたいと思いましたが、航空兵力を育てたという先見性だけが強調されていました。

「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、23年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」(近衛日記)


山本が近衛首相に語った言葉ですが、やはり海軍は1年は戦えると誤解を与えてしまった軽率な発言のように思えます。
GDP比で20倍の国と戦争しても到底勝てない、必ず負けると進言すべきでした。

博打好きの山本ならではの発言と言う事では、済ませられません。

また、真珠湾で一撃を加えれば米国は戦意喪失と考えたのも、米国人気質を知らない無知な思い込みでした。
結果は全米一丸となって日本との戦争にまい進させることになりました。
その帰結が、広島、長崎への原爆投下でしょう。




米国は経済力、軍事力で優れていますが、それ以外にも優れた点を指摘していました。

1.各会戦ごとに総括を行い、相手と自軍の長所や短所を比較し、足らざるところを補っている。
 日本は、反省も総括も行わない。
2.真実を明らかにして、記録を残している。
 日本は撃沈されたことを隠したり、米空母が大破なのに撃沈と偽った報告をしている。
3.当初パイロットは日本軍より技量が劣っていたので、ベテランパイロットを教育に当たらせて継続的にパイロットを養成する体制を整えた。
4.海軍兵学校の席次重視の日本と違って、配属後の実績によって評価し、年功序列をではなく実力主義の人事を実施。
 ニミッツは、少将から20人以上を飛び越して大将、司令官に抜擢。
 真珠湾攻撃で第2次攻撃を行わず失敗した南雲を、再度ミッドウェーで登用し大敗北した。

などですが、今に通じるものもあって、とても興味深かったです。

番組で海上自衛隊によるミッドウェー海戦の追悼式の様子が放送されましたが、とても違和感を感じました。
あたかも、海上自衛隊が旧日本海軍の後身であるようにふるまっていたからです。
そう思っているのなら、そんな必要もなく、やるべきではなかったでしょう。

折に触れて、再放送してもらいたい番組でした。


PS:
書籍化されていて、目次は次の通りです。

   第一部真珠湾への道
第一章 二人の青年

(一)山本五十六と堀悌吉
(二)初めての戦争体験
第二章 西欧文明と邂逅
(一)堀の海外体験と戦争観
(二)山本がアメリカで見たもの
第三章 海軍の組織的問題
(一)軍縮と海軍
(二)海軍内に広がる亀裂
(三)海軍から去る堀
第四章 海軍航空にかける想い
(一)航空兵力の充実
(二)日米開戦に向かう日本
(三)連合艦隊司令長官として
(四)絶たれた戦争回避の道

二部遺された手紙

   第五章 真珠湾攻撃と日米開戦
(一)真珠湾攻撃
(二)アメリカの反応と山本の誤算
(三)来たる空襲を懸念する山本
第六章 反攻に出た大国アメリカ
(一)ニミッツの奇襲
(二)珊瑚海海戦
(三)ミッドウェー海戦
(四)ガダルカナルでのアメリカの反攻
第七章 ブーゲンビルに死す
(一)山本の最期
(二)山本が遺したもの
(三)堀悌吉の戦後











Last updated  2020.12.07 12:00:07
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2020.12.06
カテゴリ:家族



郷土の英雄?山本五十六よりもその親友の堀悌吉に興味があって、見ました。
2014年に作られた番組ですが、好評で何度か再放送されているようです。

山本五十六の真実 「真珠湾への道」

山本五十六の実像を示す資料が公開された。山本の親友・堀悌吉が保管してきた遺書や書簡。三国同盟に反対しながらも、真珠湾攻撃を立案していく山本の苦悩が浮かび上がる。 連合艦隊司令長官・山本五十六の実像を明らかにする資料が公開された。山本の親友、堀悌吉が保管してきた多数の書簡。そこには、三国同盟に反対しながらも、真珠湾攻撃を立案していく山本の苦悩がつづられていた。一方、アメリカは真珠湾攻撃を教訓に航空兵力の拡充を進め、ミッドウェー海戦で日本を破る。公開されたアメリカ太平洋艦隊司令部の報告書からはアメリカ軍の戦略が浮かび上がる。新資料で山本五十六、波乱の生涯に迫る

(HP)

山本五十六といえば、映画や小説でもたびたび描かれてきた軍人ですから、皆さんもよくご存じでしょう。その山本を語るうえで、決して無視できない人物がいます。名は堀悌吉。山本とは海軍兵学校時代からの盟友で、二人は昭和181943)年の2月まで、事あるごとに手紙を交わしていました。

これらの手紙を含む貴重な資料の数々は、平成262014)年、大分県立先哲史料館で初めて公開されました。NHKは、新発掘資料をもとに山本五十六の生涯を解きあかす番組を企画。日米双方の専門家にインタビュー取材を敢行し、多面的なアプローチで山本の実像に迫りました。その成果が、平成268月に放映された「BS1スペシャル 山本五十六の真実」です。(NHK出版 粕谷昭大)





二部構成で第一部は、堀悌吉に重きが置かれていました。

山本と同期入校の海軍兵学校32期生、3番で入学し首席で卒業した逸材です。
ちなみに、山本は2番で入学して、11番で卒業。
ともに、日本海海戦に参加し、山本は巡洋艦日進、堀は三笠配属です。
兵学校での成績がものをいう海軍らしい配属なのでしょう。

山本は、この海戦で左手の人差指と中指を欠損、左大腿部に重傷を負います。

堀は敵艦が沈み乗務員が死ぬのを哀れんだそうで、戦争以外に問題解決の手段があるならまずはそれによるべきとの思いを強くしたそうです。
戦争自体が悪であるというのが、彼の持論です。






ワシントンやロンドンの軍縮会議に関係して、海軍内では条約派だった軍人で、艦隊派と対立して中将で予備役となりました。
その後は、日本飛行機や浦賀ドッグの社長を務め、山本の留守家族の面倒を見たそうです。

A級戦犯で終身刑となった嶋田繁太郎が、「堀が開戦前に海軍大臣であれば、もっと適切に時局に対処できたのではないか」
と述べています。

1883明治16年〉8月16 - 1959昭和34年〉5月12日:75歳没

軍歴:1905-34年

ふるさと大分と世田谷の豪徳寺に眠っています。



続きます。









Last updated  2020.12.06 12:00:06
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2020.09.24
カテゴリ:家族



風呂無尽や書籍無尽、旅行無尽は知りませんでしたが、無尽と言うとなつかしい記憶があります。

中身は知りませんが、商売をしていたのでうちも無尽をやっていました。
おそらくお得意様から毎月少額のお金を集めて、まとまった買い物に充当してもらっていたのではないかと思います。

年に1、2度お客さんを温泉旅行に招待していました。
我々家族も同伴です。
カラオケのない時代だったので、宴会の時に父がお客の前でのどを披露していたのをおぼろげながら覚えています。
子どもとしてはちょっと恥ずかしかったですが、歌はうまかったです。

海の見える宴会場で、今から思うと瀬波温泉の大観荘だったと思います。






お客の世代交代で、私が小学校に入る頃にはいつしか無尽はなくなりました。

運転資金は、銀行ではなく国民金融公庫から借りていたようです。
商売を拡げなかったおかげて、借金も残さず廃業することができました。
ただ、在庫の商品は少しですがまだ残ったままで、なかなか捨てられません。


さて、自助共助公助と言ってアベの自己責任路線を継承するスガですが、
彼が生まれ育った貧しい農村にも無尽があったか尋ねてみたいです。






Last updated  2020.09.24 00:00:06
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2020.08.26
カテゴリ:家族



赤ちゃんはどうやって、あっという間に言葉を学習して、理解できるようになるのだろう。この謎を解こうと、辻晶さん(35)は研究に励む。興味の発端は、自身の「周りと違う」と感じた生い立ちにあった。

赤ちゃんは驚異的なスピードで言葉を学ぶ。だが、メカニズムは謎だらけだ。東京大の「赤ちゃんラボ」で、主任研究者としてその解明の第一線に立つ。今年、世界経済フォーラムから世界の若手研究者25人に選ばれた。

生後4カ月から2歳ほどの子に動画を見せて話しかけ、目の動きを追ってデータを取る。約10分の調査だが、ぐずって中断することもある。「どうしたら赤ちゃんが楽しくできるか、頭を使います」

大学までドイツで育った。ドイツ人の父と大阪出身の母は物理と化学の研究者。実験室が遊び場だった。料理の時、調味料を入れる順番がなぜ「さしすせそ」がいいのか、分子構造から教わった。

「でも、私の興味は化学や物理よりも人でした」。周りをよく観察する子で、周囲との違いにも敏感だった。年に1度訪れた母の実家がある心斎橋では、人情味あふれる街の様子に心が躍った。

「私は日本的な名前を持ち日本語も話す。育った環境や文化が人にどう影響するか知りたかった」。大学で心理学を学び、留学先の東大で心理言語学に出あった。各国の研究者と意見を交わし、調査の合間に講演会にも駆け回る。

「幼少期の言語学習は学力やその後の生活にもつながります。メカニズムを解明できれば、誰もが公平に言語を習得できるはず。平等な社会の実現に貢献したい」
(文・植松佳香 写真・竹花徹朗)





朝日新聞からです。


最初は一卵性の双子でしたが、3か月くらいで性格の違いは判りました。
ふたりで遊んだり、喧嘩したりでした。
赤ちゃんの学習は興味深いテーマです。

最初は元気であればと望みますが、そのうち頭の良い子を、学習成績の良い子をと親は望むものです。

孫はおすわりができるようになってから、毎朝英語のビデオ(ファニッシュと言うやつでしょうか)を見せられています。

ふたりとも英語で仕事をする機会が多いので、将来困らないようにという親心でしょう。

うちの子は3人とも食が細い方でしたが、孫は食欲旺盛でよく食べると言う事で、愛方は大喜びです。

今は頭の良い子よりも元気な子をと言うのが、グランマとグランパの望みです。



ちなみに、フィリピンでは小学生から英語とタガログ語の授業が半々だそうです。
地元の大学で教鞭をとるセブ島出身の先生が話していました。
アメリカの植民地だった国です。







Last updated  2020.08.26 07:29:14
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2020.01.30
カテゴリ:家族
朝日新聞(耕論)人生100年時代に載っていた記事です。





確かに長生きと言えば、マスコミでは元気な人にスポットライトがあてられています。
不老長寿薬のようなテレビCMもひどいものです。
長寿は良いことばかりばかりではないと伝えるべきです」とは一理あると思わせる一文でした。


人生の下り坂の身です。
さっそく平均余命表を調べてみました。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life18/dl/life18-02.pdf

 

私は20年、愛方は30年です。男女差、年齢差ですね。
私の亡きあとは、遺族年金と資産の取り崩しで生活してもらいましょう。
母はあと8年ほどで、90歳を超えそうです。
まあ、あくまでも平均の話ですが。

孫の成長を見守りたいですが、大学入学まで見届けられるかどうかは微妙かもしれません。

今抱えている持病からすれば、脳梗塞や心臓疾患や糖尿病の合併症あたりでしょう。
死因の半分を占めるガンは?です。

できれば最後の親を送ってから、死にたいものです。

すでに送った親のうちピンピンコロリはひとり、ふたりは胃瘻を行いました。
ひとりは認知症が進行し、後年は意思疎通も難しかったです。
人工透析の身となり、専門の病院にお世話になりました。

もう一人は、延命措置で三人の孫が大学を卒業し社会人になるのを見ることができました。
施設や病院で自慢していたと、亡くなった後知りました。
ふたりとも幸せな最後ではなかったかと思います。
愛方は、10年以上毎週通っていました。






Last updated  2020.01.30 00:00:14
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2019.07.26
カテゴリ:家族




くじら汁は新潟の郷土料理です。

蒸し暑い夏を乗り切るために、塩漬けの皮つき脂身と野菜を入れたお汁です。
子ども頃食べたそうですが、あまり定かではありません。
なんとなくといった程度です。

米寿の誕生日に母が作りました。
暑くなりスーパーのチラシを見て、昔を思い出したようです。





むかしは安かったのでしょうが、今や100g500円と高価です。
アイスランド産とありました。

鯛と赤飯はお店で買い求めました。
一尾200円です。
赤飯はワンパック300円。










野菜は、なす、人参、長ネギ、ジャガイモ、そして木綿豆腐です。
うちは味噌ではなく、お醤油とだしです。

一口食べたら、舌の記憶が戻ってきました。









数日前朝早くに葬儀屋さんが、お祝いだと言って持ってきました。






心遣いはありがたいですが、利用はまだ先になりそうです。






Last updated  2019.07.26 16:56:58
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2019.05.12
カテゴリ:家族



母は何もいらないと言ったので、家内が赤飯を炊きました。





500円のお刺身は、びんちょう鮪、えび、いか、そして佐渡のサーモンです。





愛知産の鮎ですが、90円。
家で焼きました。





小さな鯛は250円ですが、ひとりで食べるなら十分です。

デザートは、ミニケーキ6つで500円。









3人で2000円にもならない夕食ですが、きれいな花に囲まれた母の日でした。






Last updated  2019.05.12 21:05:06
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カテゴリ:家族
今日は母の日です。
田舎暮らしなので、少し早めにお花が届きました。
配達の人もこの時期は大変とこぼしていました。









花より団子ならぬ、どら焼きです。
母と3人でおいしくいただきました。





市内のお花屋さんも、プレゼントを買い求める人でにぎわっていました。









家内は、朝から赤飯を炊くと意気込んでいます。
母は去年まではひとりだったので、今年は少しにぎやかな母の日です。






Last updated  2019.05.12 20:41:26
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2018.07.22
カテゴリ:家族
家族旅行とともに、子供たちにとって夏休みの思い出は、祖父母の実家訪問です。
いつもは私の実家でしたが、この時は大阪に住んでいたので家内の実家に行きました。
里帰りですね。

大阪から新幹線で東京にGOです。
私は、久しぶりのひとり暮らしでした。


いなか

22組  

 

夏休み、おばあちゃんの家に行きました。
アスレチックや、ぎゅうにゅう工場、デパートなどに行きました。
花火もやりました。

その中で一ばんたのしかったことはアスレチックです。
アスレチックは木のゆうぐがたくさんありました。
その中で一ばんおもしろかったのはターザンロープです。
ターザンロープは、ロープにつかまって、ロープをわたるゆうぐです。
とてもすずしかったです。

二ばんめにたのしかったのは、花火です。
うち上げ花火は、きれいで、とてもたのしかったです。
ぎゅうにゅう工場は、ばいきんをころすところや
ジュースやコーヒーをはこにつめたりするのを見ました。

それからおばあちゃんが、ころんで右のかたのほねがずれてしまいました。
わたしは、(いたそうで、かわいそうだなあ)と思いました。
それにおばあちゃんが、けがをしたのでおばさんがうちにこられなくなりました。
わたしは、(少しざんねんだなあ)と思いました。

はたけには、すいか、ミニトマト、なす、トマトなどがなっていました。
すいかはほとんどき色でした。
ミニトマトは学校でそだてているのよりたくさんなっていました。
とうがらしもありました。
とてもたのしかったです。

 

先生のコメント:

おばあちゃんのけがはもうなおりましたか?たいへんでしたね。







家内の実家は農家ではありませんが、義母が家庭菜園を楽しんでいました。
大阪から娘と3人のかわいい孫たちが来て、
いろんなところに連れて行ってくれたようです。

楽しいことが多くて、原稿用紙2枚では足りなくて少しはみ出しています。

20年後、今度は娘が家内とおばさん(当時は30歳?)を
バンコクに連れて行ってくれました。
バンコク女子旅でブログアップしましたが、とても楽しい旅行だったようです。







Last updated  2018.07.22 07:13:15
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