トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 Trumbo #2
ジョン・ウェイン(John Wayne, 1907年5月26日 - 1979年6月11日)自他ともに認める愛国主義者である彼は、リベラル思考の観客からは典型的タカ派俳優として非難の対象ともなり、特にベトナム戦争が泥沼化した一時期には人気を落としたが、それに対抗するように製作・監督・主演兼任で映画『グリーン・ベレー』を完成させ、ベトナムで特殊作戦に従事するアメリカ兵を描いた。ジョン・ウェインは多くの戦争映画に出演し「アメリカの英雄」として賞賛されたが、現実には兵役には就かなかった。1940年に徴兵が復活し、1945年に第二次世界大戦が終了するまでウェインはハリウッドに残って21作の映画に出演した。1941年の真珠湾攻撃当時、彼は34歳で徴兵の該当年齢であったが、家族依存の理由で3-Aに分類され[要校閲]徴兵猶予を申請し受理された。これには国中の興味が集まり、後に2-Aに変更された[要校閲]。映画でも赤狩りの対象となった人たちが、沖縄戦や各地の戦争経験を語り、ジョン・ウェインに君は戦争中何をしていたのかと問うシーンがあります。「アメリカの英雄」の真の姿が、描かれていました。日本で「愛国」を説く人たちは、どうでしょう。昭和の時代には国士と言われた人が、CIAの手先だったという事件もありました。「人生は、愛と友情と裏切りだ」というのはフィルムノワールの某監督の言葉ですが、この作品でも赤狩りで仲間を裏切る人物が描かれます。その一人が、ゴッホの絵を売って裁判を支援したエドワード・G・ロビンソンです。エドワード・G・ロビンソン(Edward G. Robinson, 1893年12月12日 - 1973年1月26日)は、アメリカ合衆国の俳優。ハリウッドで性格俳優として活躍、50年の俳優生活で101本の映画に出演した。ルーマニア・ブカレストで、ユダヤ系の両親の間に生まれた[1]。1903年に家族と共にニューヨークへ移住。ニューヨーク市立大学シティカレッジで学んだ後、American Academy of Dramatic Artsで演技を学ぶ。1915年にブロードウェイ・デビューを果たし、舞台俳優として精力的に活動する。また並行して映画にも出ていたが、ほとんどが小さな役であった。 1940年代後期以降の赤狩りの時期に、共産主義者と疑われてブラックリストに載せられてしまい[2]、映画から離れざるを得なくなってしまう。私生活では絵画コレクターでもあったが、この時期には、当時の妻との離婚による慰謝料捻出のため、長年収集してきたコレクションを300万ドル余り(当時)で手放している。その間はブロードウェイに出演し、1950年代後半から再び映画に出始めるようになった。(ウィキ)秘密の聴聞会で集会参加者を明かしたことが、明らかにされていました。脚本家は偽名で仕事ができるが、役者の自分は顔が出るのでそれができない。ブラックリストに載れば、仕事がなくなるというのが、彼の言い訳でした。反共派からは、彼に仕事を回すようにとの指示です。監督も偽名というわけにはいかないでしょう。この作品では出てきませんが、寝返った監督で思い起こすのは、波止場(1954年)やエデンの東(1955年)の監督のエリア・カザンです。エリア・カザン(Elia Kazan [ˈiːljə kəˈzæn]、本名: Elias Kazanjoglou、1909年9月7日 - 2003年9月28日)は、トルコ生まれのギリシャ系アメリカ人(英語版)の俳優、演出家、映画監督。 1952年、アメリカ下院非米活動委員会によって、元共産党員であるカザンも共産主義者の嫌疑がかけられた。カザンはこれを否定するために司法取引し、共産主義思想の疑いのある者として友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら11人の名前を同委員会に表した。その中には劇作家・脚本家のリリアン・ヘルマン、小説家のダシール・ハメットなどの名もあった。以降もカザンは、演劇界・映画界において精力的に活動を続けることができ、名作と呼ばれる作品の誕生に数多く関わっていくが、この告発行為は、後のカザンの経歴およびその作風に暗い影を落とすこととなった。同年には監督した『革命児サパタ』が公開。主演はマーロン・ブランド。カザンはこの映画のなかに、共産主義に対する批判のメッセージを込めたと言われている。 1998年、長年の映画界に対する功労に対してアカデミー賞「名誉賞」を与えられたが[1]、赤狩り時代の行動を批判する一部の映画人からはブーイングを浴びた(賞のプレゼンターはマーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロ)。リチャード・ドレイファスは事前に授与反対の声明を出し、ニック・ノルティ、エド・ハリス、イアン・マッケランらは受賞の瞬間も硬い表情で腕組みして座ったまま、無言の抗議を行なった。スティーヴン・スピルバーグ、ジム・キャリーらは拍手はしたが、起立しなかった。起立して拍手したのはウォーレン・ビーティやヘレン・ハント、メリル・ストリープらだった。通常は名誉賞が授けられる人物には、全員でのスタンディングオベーションが慣例のため、会場内は異様な空気に包まれた。また、会場の外では授与支持派と反対派の双方がデモを行なった。反対派のデモ隊の中には、かつて赤狩りで追放歴のある脚本家のエイブラハム・ポロンスキーもいた。