2005/11/17(木)14:56
歴史の授業はどうあるべきか。
今時の若者にとっての歴史の授業とは何か。
公立の中学校は来週からは期末テストが始まる。
今時の公立中学生の多くが、嫌いな教科の一つに社会がある。社会科は歴史、地理、公民の三分野に区分されており、それぞれ別の冊子となっている。
地理の無知には驚くばかりである。今の子供たちは、よく行楽にでかけるし、テレビ、インターネットなど情報が簡単に手に入るので、さぞ知識豊富だろうと予測していたこの婆さんにとっては、これは驚きであり、ショックである。
豊富な知識のある子はマニアックな変人と見られている始末だ。
自分の隣県・岐阜県を知らないし、まず読めない子供が多いのである。
山形県が四国にあると思ってもあまり変とは思っていない。
もっと驚くべきことは、東京都に色んな市や村があることに、驚き、初めて知ったと妙に感動している子さえいる。(小学校では地理はやっていない)
このような例は枚挙いとまない。
歴史の授業はもっともつまらないもの、テストの時、難しい漢字を覚えなくちゃいけないし、年号の暗記もいやだ。
テストが終れば、ハイさようなら、きれいさっぱり忘れてしまうのが大方の中学生の昨今である。
彼らには、日本の歴史を知りたいという要求がまずないのである。
「こんなこと覚えても大人になったら役立たないし、学校の授業がつまらない」と皆口々にいっている。
公民はどうか。
公民こそもっと分けの分からぬ教科である。
憲法の言葉などは、今まで一度も聞いたことの無い言葉のオンパレード。
憲法前文の言葉、「恵沢、惨禍、厳粛な、信託、享受、普遍、詔勅、恒久、崇高、信義、隷従、などなど」聞いたことのない言葉ばかりが並んでいる。
まあ、今時の公立の中学生の7割はこの状態である。
無知は、これからの学びによって解決できるものなのであり、好奇心の源ともなり問題ないとしても、これらの教科への関心が全く無いというのが、とても心配なことである。
前回の選挙でも、今まで投票行動をしたことのなかった若者たちが、小泉自民党に投票しているという調査結果がある。
狭い日常のなかで、テレビやゲーム携帯電話などだけの世界に閉じこもり、日常を完結している若者たちがいる。
今を刹那気に気楽にやっておればいいのである。
歌舞伎役者よろしく「大見得きる」小泉のパーフォーマンスは彼らには魅力的である。
「負け組み」の自分たちの状況が改善される幻想を抱くのである。
学校が教育の場として、再生するためには、子供たちが自分たちの生きる今を、現代を深く学ばせ、過去の歴史が現代と深くかかわっていることを、実感できる授業を体験させること必要ではないか。
ただ単なる、知識の切り売り、詰め込みだけをやっている授業やテストでは、子供たちは社会科を学ぶ意義や楽しさを知ることは出来ない。
実体験が衰弱している現代人にとって、過去から学び取り現代を生きる知恵を身につけることのできる学びを、まず大人が、教師が、子供たちに示す必要が今ほど求められている時代は無いのではないか。
現代がどんな状況であるか、何が問題かに全く関心をしめさない若者たちには、現代史、近代史から歴史を学ばせ、過去の歴史へとさかのぼる勉強のやり方も一案ではないか。