ウイリアム・モリスが愛したコッツウォルズ
「脱成長」経済の典型コッツウォルズの豊かな田舎暮らし。「イギリスの秋」をアップして6回目。5回連載してきた記事はすべて「経済成長」は停滞したままのイギリスだけれどゆっくりした時間が流れる田舎の風景が現代に生きる人々の心豊かにしている。中世の面影をそのままにとどめて、現代に生きるコッツウォルズはその典型。コッツウォルズの最南端に位置していて、イギリスで最も古い家並みを残している村カッスル・クーム(Castle Combe)コッツウォルズではお馴染みの蜂蜜色した石の家が続く町並み。17世紀には羊毛の集散地として栄え、イギリスの羊毛産業を支配した時代もあったが、羊毛産業の衰退とともに、産業革命の「経済成長」から疎外され、中世のまま封印されて、時が止まってしまった村。往時の繁栄をそのままとどめて、ゆたりと静かに時間が流れている。ウイリアム・モリス(William Morris)(1834-1896)(ウィリアム・モリスの看板を掲げた民宿のようなレストラン。中に入れば、モリス風のインテリアになっているのだろうか?)ウイリアム・モリスの生きた19世紀後半は、世界の先陣をきって、産業革命が遂行され、その成果を享受していたイギリス。工場で大量生産された商品が溢れていた時代にウイリアム・モリスはモリス商会を設立して、中世の職人技を範とした織物を自らで制作しようとした。織物を昔の方法で染色し、手織りのできる職人に織らせようとした。キャベツとブドウのタペストリー1879年の夏、コッツウォルズのケルムスコット(モリスが住んだ村)の家でモリスが初めて制作したタペストリー。モリスのデザインした壁紙やプリント織物は「パターン・デザイニング」と呼ばれ、モダンデザインの父と呼ばれているという。彼のデザインのモチーフは、コッツウオルズの豊かな自然、美しい風景の中から生まれた。イチゴを啄ばむ小鳥(Strawberry Thief 1883年・Indigo-discharged and block-printed cotton)当時、イギリスのプリント織物は「安物」の大量生産とフランスの流行を模倣した「高級品」に二極分解していた。このような時代にモリスの中世の職人技を駆使した織物は時代錯誤と揶揄されていた。(現代ではウイリアムモリスのテキストタイルは、家具、壁紙、カーテンや絨毯などのデザインとして、現代の人々の人気を得ている)カッスル・クームの秋を彩っていたたわわに実る紅い実。来たるべき厳しい冬が急ぎやって来る前に秋色に光る実は小鳥さんたちのご馳走になっていることでしょう。その紅の鮮やかさ、葉っぱのグリーンの深さモリスのテキストタイル(textile)にそのままでもなりそうな秋の色チューリップとヤナギ(Indigo-discharge wood-block printed fabric)無駄のないとても洗練された線で描かれた都会的なデザイン。このようなデザインで布張りされた家具は素敵ですね。モリスはこのようにデザインを自ら生み出し、染めや織も自分で創り出した。モリスは資本主義、機械工業が生み出した大量生産、大量消費に「アーツ・アンド・クラフツ(芸術と手仕事・工芸)」の運動を通して異議を唱えた。更にモリスは産業革命が社会にもたらしている非人間的な現実にも激しく抗議して、当時勢いを増し始めていた社会主義運動に傾倒し、社会主義連盟に加入し活動した。このように芸術家であり社会主義思想家でもあるモリスの著作や活動は、日本にも大きな影響を与えている。芥川龍之介の東京帝国大学の卒業論文は「ウイリアムモリス研究」であったし、宮沢賢治が岩手国民高等学校で講義した「農民芸術概要綱要」はモリスの影響を強く受けている。又、自然が無作為に破壊されていくことに警鐘を鳴らし、その思想は、後にナショナルトラストの運動へと繋がっていった。コッツウォルズの鄙びた田舎とは全く異なる優雅で洗練された都会的な南コッツウォルズの街バース(Bath)(ローマ人が築いた浴場跡)バースは「温泉」の町その歴史はローマ帝国の支配下にあった2千年前にさかのぼる。ローマ人がこの地の「鉱泉」に目をつけ、温泉を開いたのが始まりである。「風呂」の語源・bathはこの町の名前に由来するという。18世紀になって、当時の貴族たちは、この地を一大社交場にした。イギリスの上流階級の人々が集う場所として、贅を尽くした建物が次々に建てられた。その往時そのままに、ロンドンに劣らぬ華麗な街並みが今もそのままにあるバースその歴史ある街角に集う人々奏でている調べは?街角の馬車も川に行き交うナローボートも今も変わらぬ景色エイヴォン川に架かる美しい橋橋の向こう広がる秋色の街並と丘その町の郊外に建つロイヤル・クレセント 三日月型の優雅な曲線を描く建物、王宮のような建築物。何とこれはテラスハウス様式の集合住宅だという。1767年~1774年にかけて建てられた住宅現在もこの建物には人が住み生活しているというから驚き。もちろん庶民には縁のない高級住宅ではあるが。一部ほホテルになっている。コッツウォルズの村々の家々も、都会的なバースの建造物も100年~200年の歳月を経てもなお人々がそこで生活している。現役の建造物として活躍している。(博物館ではない)このモノに対する態度考え方は日本人としては考えさせられる。現在、日本では、経済成長のためのインフレターゲット、2パーセントを掲げて夢よもう一度借金をどんどんして、国がグローバル経済の競争に勝つべき旗振りの先頭に立とうとしている。(経済成長しないと日本国の将来は絶望的とさえ言っている)大量消費をすることが経済成長であると消費をあおる社会が文化を壊し、人の心を荒廃させる。グローバル経済とは、その最たるもの。イギリスの田舎の豊かさは、経済の脱成長、脱グローバル化にある。そして、古いものを受け継ぎ、現代に再生させる技の巧みさモノそのものが「使い捨て」を目的に作られていない。そのようなモノだけが時空を超えて生き続けている。ヨーロッパは全体的に政治家は「経済成長」を目指しているが、市民たちはそれとは次元を異にしたところで文化を作り、低成長の社会でも、健全に心豊かに生きようとしているのではないだろうか。世界で最も早く資本主義経済に突入した欧州、その意味で来るべき社会はどうあるべきかのもっとも先頭を走っている。社会の底流では「経済成長」には幸せを感じない人々が着実に増え、着実に心豊かに生活を築こうとしているように見える。(イギリス寸描は今回で最終回)