単身赴任生活チャレンジ日記

2005/12/08(木)19:28

「陽のあたる教室」

映画話(35)

 今日は午前中から東京で打合せ。打合せのメンバーは50代から20代と年代層がさまざま。上の層の人に合わせて、私の方からこう切り出した。  「今日って、真珠湾攻撃の日ですよね。」  すると、私より10歳以上年配の方から、  「今日は、ジョン・レノンの命日でもあるんですね。」 と、切り替えされた。もちろん、今日が命日なのを忘れていたわけではなく、50代ならば、真珠湾かと思ったからである。私の完全なミステイクだった(笑)。  ジョン・レノンが凶弾に倒れたのが25年前。当時、私がその知らせを聞いたのは、高校から帰宅して見た7時のNHKニュースだったと思う。  私がビートルズに目覚めたのは、高校に上がってすぐだったと記憶している。既にビートルズは解散しており、ポールはウィングスとして、ジョンはソロあるいはヨーコと活動していた頃である。当時は、歌謡曲全盛の時代で、中学校まではロックなんて不良の聴くものと敬遠していた。それが、ある時、ビートルズのアルバムを聴く機会があり、聴いてびっくり。聴いたことがあるようなメロディばかりで、馴染みやすい。一発でファンになってしまった。その後は、ビートルズ、ウィングスの曲を出遅れを埋めるかのように聴いていた。ただ、解散後のジョンの曲については、ほとんど聴いていなかった。奇人・変人的なところがあったので(苦笑)。  そうこうするうちに、当日を迎えたのである。にわかビートルズファンでしかも、ポール寄りだった私でも、NHKニュースを聴いたときは衝撃が走った。ただし、それは、ジョンの曲が聴けないということよりも、ビートルズの再結成はもうないということに対する衝撃だった。  したがって、ジョン・レノンの曲を聴くようになったのは、凶弾に倒れて以後のことだが、ラブ&ペースを唱える彼の歌声は、実に切なく、繊細で、心に入ってきた。生前のジョンを敬遠していたことを悔いたものである。  「陽のあたる教室」は、リチャード・ドレイファス演じる音楽教師ホラントが音楽を通じて、生徒、家族を愛情で包んでいくハートフルドラマである。  この映画の中でも、ジョン・レノンの死が取り上げられている。いかに、その死がアメリカ社会に与えた影響が大きかったかを物語っているが、何と言ってもこの映画で感動的だったのは、耳が全く聞こえない息子に、ホラント先生が手話と振動などで、「ビューティフルボーイ」を聴かせるシーンだ。  いつか自分もホラント先生のように、息子に接せられたら。ジョンの命日にあたり、その思いが改めて頭をよぎる親バカおやじであった。 ピアノ弾き語り 決定盤ジョンレノン/ワーキングクラスヒーロー  クリックするだけで募金ができます。  我々には負担がありません。こちらからどうぞ。→

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