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一昨日の日記の冒頭に忙しいと書いた。津留さんによれば、忙しいと感じるのは<焦っている>ということだそうだ。これは新鮮な捉え方だった。
なぜ、忙しいと感じるのか?私の場合、「あれもやらなければ、これもやらなければ。。あぁ、それなのに時間がない!!」という思いから、忙しいという気持ちが発しているようだ。とすれば、やはり焦っているということか。 たしかに、自分の中で、自分はこのままではいけない、もっとすぐれた何者かにならなければ、という思いが強かったようだ。これは、現在の自分を否定することだ。 津留さんは、顕在意識の思考レベルで何をすべきか問う前に、自分の内側の深いところに自分の存在について問いかけることを勧めている。 存在とは何か。 自分とは何か。 人間とはなにか。 生きるとはどういうことか。 その際、頭で答えを探してはならない。頭で考えて、答えを得た<つもり>になると問い続けることをやめてしまうから。「問い続ける」ことが大切だという。 問い続けるとは、そこに意識を向けることに他ならない。 よく言われるように、多くの人は病気になったとき健康に意識が向き健康のありがたさを実感する。しかし、賢明な人は、ふだんから健康にフォーカスして、そのありがたさを感じ、健康管理に気をつけるだろう。 それと同じに、<存在>にフォーカスすると、在るだけでこのうえなく幸福な状態「至福」に至るそうだ。 しかし、津留さんはこう続ける。津留さんがそう言っても、多くの人は問い続けることをしないだろうと。そこで、大いなる自己は、表面の私たちが望んでいない状況を作り出し、私たちの意識が内側に向かうように仕向けるそうだ。 さすが津留さん、すべてお見通しである。でも、私は外に答えを探し続けて、そして疲れてきて、漸く自分の内側にこそ本当の答えがあるのに気づき始めたように思う。 変わる必要がないと悟った時、人は大きく変わり始めるという。それは、不十分な状態から十分な状態への変化ではなく、完全な状態からもうひとつの完全な状態への変化だ。 変わらなくても、このままでもいいけど、楽しいから変わるのだ。「・・でなければならない」から脱するところに、楽しさや喜びがある。 焦って変ろうとしなくても、至らなくてダメな自分も、そのまま認めてあげて、このままでいいんだなんて、なんてラクなのだろう。 前回の日記に対して、これまでになくたくさんのアクセスをいただいた。カウンターのエラーかと思ったほどだ。 これも、それでいいんだよという、大いなる自己からの応援メッセージと思うことにした。ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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