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悟りたいという気持ち、これを菩提心というそうです。
悟るとかいう大それたことは別にして、何かを求める気持ちはたしかにあったと思います。 禅を志し、決心したのは昨年の10月、その間、仕事の都合(?結局は自分の準備しだいだったと思うのですが)で二度三度と都合が悪くなり、一年が経ちました。 正直、これだけ邪魔が入るのは、もしかして、禅は自分が行くべき道ではないのではないかとの思いもよぎりました。 そして、今回、すべての状況がグリーンになった時、本当に禅に行きたいのか、自分に問いかけました。年に一回しか取れない一週間休暇を、何を好き好んでストイックな禅修業に行くのだろうかと。辛い修行になるのは目に見えていましたので。 家族と一緒に南国のリゾートでのほほんと一週間を過ごすことも考えました。そういう過ごし方もありだなと。 しかし、そう考えたとき、たしかに一時の癒しにはなるかもしれないけれども、休暇一週間が過ぎても、今の状況が何も変わらないことは明らかだと思いました。 もちろん、禅に行ったからといって、何も変わらないかもしれない。 そのことは承知しつつも、でも、単に楽しく休暇を過ごすのではなく、なんとかして、これから自分が拠って立つ基盤を確立したい。 その思いは真剣で切実だったと思います。 そういう意味で、今回、私を禅に向かわせてくれた精神的エネルギーは紛れもなく「菩提心」だったと思います。 すごくありがたいことで、自分に感謝です。 とはいえ、この進化したいという気持ちが修行の大きな障害となるのですが。。その話はおいおい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月15日 01時22分41秒
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