テーマ:徒然日記(24414)
カテゴリ:点
人はなぜ 「なぜ」 と問うのか そもそも 「なにか?」 とはなにか。 考え出すとキリがない。 宇宙の始まり 世界の果て 原子のような物質の最小単位 神 様 。 | 自由は第一原因で 原因は理由であり根拠。 イコールそれは 「なぜ」 および 「なぜならば」 の極限。 疑問詞である 「なぜ」。 接続詞である 「なぜなら」。 理由、根拠、原因。 そして第一原因。 一連の鎖を極限までたどると 「自由」 に逢着する。 それは理性の メタモルフォーゼ (変容、化体)。 よって自由は 理性の最終的メタモルフォーゼである。 * 理性の 「理」 それは理由の 「理」。 理性が自らの権利を越権する。 スキャンダルに陥る。 理性の破綻=アンチノミーに陥る。 そして自由の 「由」 は 理由の 「由」 と結実する。 | 「なぜ」 という 「問」。 カント哲学は深いけれど、 私はその 「問」 自体に意味があるのではなくて むしろその 「問」 をどのよな状況で発するか ということに意味があるのではないかと思う。 ![]() The Critique of Pure Reason (Kant Immanuel). お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 16, 2008 07:32:29 PM
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