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― 虚 室 生 白 ―

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April 16, 2008
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テーマ:徒然日記(24414)
カテゴリ:

人はなぜ 「なぜ」 と問うのか


そもそも 「なにか?」 とはなにか。

考え出すとキリがない。


宇宙の始まり

世界の果て

原子のような物質の最小単位

神 様 。


|


自由は第一原因で

原因は理由であり根拠。

イコールそれは

「なぜ」 および 「なぜならば」 の極限。


疑問詞である 「なぜ」。

接続詞である 「なぜなら」。

理由、根拠、原因。

そして第一原因。


一連の鎖を極限までたどると

「自由」 に逢着する。


それは理性の

メタモルフォーゼ (変容、化体)。

よって自由は

理性の最終的メタモルフォーゼである。


*


理性の 「理」

それは理由の 「理」。


理性が自らの権利を越権する。

スキャンダルに陥る。

理性の破綻=アンチノミーに陥る。


そして自由の 「由」 は

理由の 「由」 と結実する。


|


「なぜ」 という 「問」。

カント哲学は深いけれど、

私はその 「問」 自体に意味があるのではなくて

むしろその 「問」 をどのよな状況で発するか

ということに意味があるのではないかと思う。


純 粋 理 性 批 判

The Critique of Pure Reason (Kant Immanuel).





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Last updated  April 16, 2008 07:32:29 PM
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