テーマ:徒然なるままに(1487)
カテゴリ:点
必然性の観念は、何らかの印象から生ずる。 われわれの感覚を通じて得られた如何なる印象も、 必然性の観念を、産み出すことはできない。 したがって、必然性の観念は 何らかの内的印象から導き出されなければならない。 現時点における関心事としての内的印象とは… (省略) 習慣によって形成されるような傾向性に他ならない。 ― 省 略 ― 必然性とは、心の中に存在する何かなのであって、 諸対象の中に、その存在が認められるようなものではない。 「A Treatise of Human Nature」 ed. L.A.Selby-Bigge/P.H.Nidditch OXFORD U.P. 1978 p165 よく、ある事実が生起しないことが 不可能であることを述べる命題として、 「必然的」 という言葉を乱用することがある。 どことなく曖昧で、腑に落ちない感覚。 必然的な事象が、恰も究極的に規定されているかのような 決定的な概念をも醸し出している文章もある。 また、真であるが偽であることも可能な事柄として 「偶然」 という言葉を対極に置いて話すことも。 古い書物を読んだりしていると、 哲学者たちの言葉が、あるとき、 点と点で結ばれる瞬間がある。 必ずしも妥当なコタエが見つかるわけではないけれど、 胸の奥にグサリと突き刺さるものを感じる。 「宇宙」 そしてすべての 「存在」 にかかわっている 普遍的な心の中の光、何かとても鋭くてやさしいものを。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 12, 2008 02:12:45 PM
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