感じる
結局、わたしは敗者だ。どんなにたくさんのコトバを並べてみても、わたしは司法試験に落ちた、脱落組。このことは、事実として書き留めておかなければならない。でも、追いかけていた日々を無駄だったとは思っていない。魂を尖がらせて時間と闘った、目標を持って生きてきた自分があったからこそ、気づけたこと、得られたこと、変われたことがあったから。*わたしは、夢を失うと、生きている気がしない。何かに向かっていないとダメなんだ。夢、イコール、目標。目標、イコール、日々の自分だから。でも、気づいていたことがひとつある。本当に好きなこと、心から欲するもの、込み上げてくる感覚を。それを、ずっと自分の中であたためては、違う空間に置き去りにしていた。今こそ、そのものと向き合う時が訪れたのかも知れない。*そこに在る意識を今、ここに置 く 。心と体がシンクロする。根本にある意識の流れを撮 る 。あらためて自らに問う。それは、好きか?そうしないと、生きていられない。それが、体の一部。そのくらい、心トラワレル感覚は、あるか?*本当にやりたい。心の底からそう思える生涯のシゴト。それをまっとうするために自らを磨くという、本当の意味での目標。究極的な存在。それはとても身近にあって本来の自分が大好きな世界で小さい頃から触れてきた大切なものだった。しかし、限界まで追いかけてきたソノモノこそが自分の生きる道だと信じて、それを実らせるために、引き出そうとする欲望を抑制していたのかも知れない。*息が詰まるような日常から目覚め、静かな暮らしをしていると、体が、勝手に、思い出す。日々の静かな「間」が、置き去りにしていた記憶に彩をつけてくれはじめる。涙がこぼれる。これだったんだと感じる。横に置いてきたソノモノを、目の前に置き直す。われに、返る。わが子のため、人のために生きたいと思った自分が、初めて感じた、希 望 。なるように、生きる。なるように、生きたい。そのものが、生きる道となる。もう、焦らない。がんばりすぎない。でも、あきらめない。そのものが、自分だから。