初心に帰る
部屋は空っぽなほど光が満ちる。人心も無念無想であれば自然と真理が見えてくる。たとえば路傍に巨木がある。曲がりくねって材木としては役に立たない。ところがその故にこそ大きく育ち道行く旅人に日陰を与えてくれる。まるでぽっかりあいたスケジュール表の余白のような時間。空っぽだからこそ自由に満たされた時間。一見役立たずな巨木の木陰のやすらぎ。何もないこと。無為であること。一見無駄に見えるようなものこそ実は有益である。豊かな存在。そうありたい。*2007年のわたしが定めた自らの点。虚室生白。自分のテーマです。―虚室生白― (きょしつしょうはく)がらんとした部屋には、日光が射し込んで、自然に明るくなる。人間も心を空にして何ものにもとらわれずにいれば、おのずと真理、真相がわかってくるという思想。喧騒の中、たくさんの人ごみに揉まれ生きていた頃、老子の世界に吸い込まれるように入ってゆきました。その後はタオイストのような心情になりたくてとても静かな世界を求めています。オンラインの世界でも、いろんな人との出会いがあり、良くも悪くもあらゆる刺激をいただき今に至るわけですが、共通して実感するのは、ごちゃごちゃした世界、群がることがどうも苦手であるということです。そういうものを求めていたころもあったのですが、シンプルに生き始めると、あらゆることが無と化してゆきます。すると、とても静かな気持ちになれるのです。求めない自分になれる。*無為なるがゆえに動いてしかも寂、為さざるところなしだから、寂でしかも動く。寂でしかも動くから、物よく一成ることなしと言う事になり、また動いてしかも寂だから、ものよう二成ることなしである。鈴木大拙氏の無心。禅の思想―これも自らのベクトルの先に佇むもの、そのものです。「無意味の意味に生きる」今だからこそ自分を見失ってはいけない。初心忘るべからず。