遺書悲歌濠端の柳にはや緑さしぐみ 雨靄につつまれて頬笑む空の下 水ははつきりと たたずまひ 私のなかに悲歌をもとめる すべての別離がさりげなく とりかはされ すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ 祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに 私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ 透明のなかに 永遠のかなたに 被爆を体験した原民喜の何通かの遺書に同封された歌 悲歌は新潮文庫の「夏の花」に収録されていて20の頃読んで その瑞々しい感性にうたれた 丸岡明氏宛 御世話になりりっぱなし[#「なりりっぱなし」はママ]でお別れするのを心苦しく思ひます 何卒お許し下さい 借りが左の通りありますから 主婦之友の印税が入つたら それで処理して下さい 参千円 庄司総一君 弐千円 能楽書林 ガリバーの本が出たら 別記の人々に送って頂きたいので お願ひ致します それから文芸に行つてゐた僕の小説 そのうち読んでみて下さい 鈴木君からその間の事情を承はりましたが あれは読んで下されば 諒解して頂けることと信じてゐます 御健筆を祈ります みなさんによろしく 原民喜 伊藤整、中島健蔵氏にお逢ひの際はとくによろしくお伝へ下さい 全てを清算して何人かの人に当てた遺書も作品として残されている 家なき子のクリスマス 主よ、あわれみ給へ 家なき子のクリスマスを 今 家のない子はもはや明日も家はないでせう そして 今 家のある子らも明日は家なき子となるでせう あはれな愚かなわれらは身と自らを破滅に導き 破滅の一歩手前で立ちどまることを知りません 明日 ふたたび火は空より降りそそぎ 明日 ふたたび人は灼かれて死ぬでせう いづこの国も いづこの都市も ことごとく滅びるまで 悲惨はつづき繰り返すでせう あはれみ給え あはれみ給え 破滅近き日の その兆に満ち満てるクリスマスの夜のおもひを 戦争、被爆、これらに耐え切れず自殺した人は多い アメリカ占領下で被爆者はいわれのない差別を受け続けた 結婚、就職、ことごとく忌み嫌われ社会保障もないまま捨て置かれた そんな人間の愚かしさや悲しみは今も続く 最愛の妻に死なれ被爆し数多の言葉を残し彼は去った 彼の言葉から少しでも平和について考えたい 今にして思うと彼の作品そのものが人類に対する遺書だったのだ 僕もそんな人の持つ業の深さを日々垣間見る より共感を深めつつ彼は強い人だったと思うのだ |