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そういちの平庵∞ceeport∞

そういちの平庵∞ceeport∞

働く

20代の頃自動車部品製造会社にいた
日産の輸出車の電装品と言ってスターターなどを製造する日立系列の会社
古い車はアジアで走っていてそんな部品を作ったり
不良品が一個で出ると1億くらいの損失なので
不良品とわかるや横浜港まで行きストップしたり
自動車産業の構造や日本の企業の教科書のような会社だった
僕がやってたのは自社でプレスした金型を外注に出し
内職、町工場、メッキ工場などに運ぶ
出来上がったら取りに行き工場のラインに乗せる
何しろ部品の数や工程が色々あり
誰も勤まらなかった部署にいきなり置かれ
四苦八苦した記憶がある
どこで何をやっても実力者は女性だった
社長や管理職すべて男なのだが
当時、親子で内職やって月8万くらい稼いでる家庭があった
今でいえばひきこもりに近い状況
ちょと街まで車で送って欲しいというのでその家のばあちゃんを病院まで送ったり
小児麻痺の10代の女の子が内職やったり
会社の専務に言わせれば日本の社会を支えてるのは彼らだと言う事だ
アル中の社員、不倫で家庭グチャグチャの社員、障害者
様々な人間模様があり今思い返すと面白い
元気なおばちゃんやおじちゃんから色々教わる
仕事の合間に「少し休んでけお茶飲んでけ」
土産に庭の花や野菜を貰ったり
なかなか牧歌的な部分もあった
僕は何処へいっても大切にされた
社内の人間模様、地域の噂、人、人、人
この会社でプレス工をやっていて片腕を切り落とし
その後片腕で会社を興し手に義手をつけたおじさんが商品を納めにわが社に来るといつも僕に声をかけてくれた
「大変か?もう慣れたか?・・・」
苦労人で面倒見がよく優しい
「この会社で腕を無くし今会社を興しこの会社とも取引している
色々あったけど今は食っていければそれで良いとおもう」
優しげな目で謙遜に語る叔父さん
彼の会社に招かれ想像以上の規模に驚嘆し
社員を大切にしてる彼の姿勢に打たれた
「俺は事故でこうなったから事故だけはどこの会社より気を使う」
生きてくことも働くこともたやすくない
だけど僕はこういう人との交わりから多くのことを学んだ
世の中本当に沢山の素晴らしい人がいる


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