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子供をダメにするのは、簡単だ子供の要求通りにしてあげれば・・・・・とことんダメになる。
なんて言葉を何回も聴く。 そもそも親と言う字が「木の上に立って見る」。なんて書くわけで あれこれしないで見守ることは、物を買ってあげたり、何かをしてあげたりするより、ずっと難しく愛情のいることなんだろう。 日本語で「心の闇」という言葉が「親が子を思う」の意であったり。 この国や世界の問題をつらつら眺めると親子の問題以上の問題は無いかと思う。 子供の問題は親の問題です。とか 親は子の鏡。とか これらの問題を指し示す言葉は古来より存在しあり続ける。 親や大人や社会が子供に教えなければならないのは、転ばない方法ではなくて、人間は転んでも何度だって立ち上がれるという事なんだろうけど。 転ばないように 転んだら手を貸したり まあ、そんな状況が多いのかなあ・・・・ 親はいつも子供にはアスファルトできちんと整備された道を歩かせたいと望む。 舗装され整備された立派なだって転べば怪我をするのに・・・・・ 何でも親にしてもらい不幸になった子供のまんまの人間。 で、僕は、僕を育ててくれた町を思い出しますね。 いわゆる、下町です。 ベーゴマ、メンコ、カン蹴り、もんじゃ、駄菓子屋、縁日、祭り、紙芝居、どっこいねんど、かたぬき、銭湯、路地が遊び場でした。 空缶1つで1日中遊んでいました。 まだ、子供だけの社会がありました・・年齢の違う近所の子供たちが一緒に遊ぶ社会・・集団万引きなんてのもありましたが・・・・ 夏になると、上半身裸で長椅子を持ち出し団扇を扇ぎながらおじさんが路地で将棋を指していました。 祭りの御輿や山車もなつかしいです。 御輿をかつぐ人は、汗だくになるので大きな団扇であおぎます。 銭湯に行くといつも水をかけてくるおじさんがいたり、もんじゃ焼きは、子供の社交場でした 小麦粉を溶いたのにソースやキャベツ、ベビースターラーメンなどを入れ鉄板の上で焼いて食べるのですが、小さなヘラでしゃべりながら食べていると少しだけ大人になった気がしました。 確か50円~100円で食べられたと思います。 遊びの中に文化がありました、小さな町工場の多い町で、ベーゴマの改造、グラインダーでしたり、鋳型で大きなのを作ったり、大人が子供に干渉することなく気軽に手伝ってくれました。 怒られる事も多かったです、意地悪なオババが住む家に爆竹を投げたり、鬼のような顔で怒られました。 いたずらをして怒られながら次から次へと遊びを作り出していました。 空き地に放置してある車が基地だったり、昨夜見た夢を何時間でもみんなで話したり・・・・ 町内に必ずいたお節介で口うるさい親父やオババ 次から次から繰り広げられる「遊び」 おそらく、子供時代に熱中した「遊び」以上に熱中出来たものは、大人になってからはないかなあ・・・・ そして、「遊び」から僕が学んだ事。 それが、未だに僕の心の中で常に息ずいている。 我を通しすぎれば孤立し ガキ大将は、みんなのことを考える。 みんなで一緒に楽しく遊ぶ。 勝つために自分の事を自分で考えるというのがベーゴマの醍醐味だった。 紐の巻き方、投げ方、駒の高低や角の形、あれこれ考えつつ切磋琢磨。 勝った歓び。 負けた悔しさ。 乱暴なお子チャマが多いのでベーゴマを腹に投げつけたり・・・負けた腹いせ・・・ しかし、何があったとしても親に言いつければその子供は馬鹿にされる。 まあ、そんな子供社会の仁義。 これを6才くらいから経験する。 子供時代に子供としてたっぷり遊びつつ家の買い物をしたり、弟を幼稚園に迎えに行ったり、兄弟に揉まれ、地域で揉まれ、母親や近所の大人に怒鳴られながら成長したのだ。 人間の成長って、きっとこんな遊びの中にあるんだろうなあと時々思う。 まあ、親が育てるってワケじゃなかったなあ・・・・ 僕が子供の頃は、人間は、町で育っていた。 教育じゃなくて・・・・共育だったかとおもうのですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年04月21日 09時09分19秒
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