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そういちの平庵∞ceeport∞

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☆そういち☆

☆そういち☆

2007年06月13日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
わからない節 添田唖蝉坊

ああわからない わからない 今の浮世は わからない
文明開化と いうけれど 表面ばかりじゃ わからない
瓦斯や電気は 立派でも 蒸汽の力は 便利でも
メッキ細工か 天ぷらか 見かけ倒しの 夏玉子
人は不景気 不景気と 泣き言ばかり 繰り返し
年が年中 火の車 廻しているのが わからない

ああわからない わからない 義理も人情も わからない
私欲に眼が くらんだか どいつもこいつも わからない
なんぼお金の 世じゃとても 赤の他人は いうもさら                   
親類縁者の 間でも 金と一と言 聞く時は
忽ちエビスも 鬼となり くまたか眼を むき出して
喧嘩口論 訴訟沙汰 これが開化か 文明か

ああわからない わからない 乞食に捨児に 発狂者
スリにマンビキ カッパライ 強盗窃盗 詐欺取財
私通姦通 無理情死 同盟罷工や 失業者
自殺や餓死 凍え死に 女房殺しや 親殺し
夫殺しや主殺し 目も当てられぬ 事故(こと)ばかり
無闇矢鱈に 出来るのが なぜに開化か 文明か

ああわからない わからない 賢い人が なんぼでも
ある世の中に 馬鹿者が 議員になるのが わからない
議員というのは 名ばかりで 間抜けでふぬけで 腰抜けで
いつもぼんやり 椅子の番 唖かつんぼか わからない



あきらめ節 添田唖蝉坊



地主金持は我儘者で、役人なんぞは威張る者。
こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる。


お前この世に何しに来たか、税や利息を払うため。
こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる。


苦しかろうが又辛かろうが、義務は尽くさにゃならぬもの。
権利なんぞを欲しがる事は、出来ぬ者だとあきらめる。


たとえ姑が鬼でも蛇でも、嫁は柔順(すなお)にせにゃならぬ。
どうせ懲役するよなものと、何も言わずにあきらめる。


借りたお金は催促されて、貸したお金は取れぬもの。
どうせ浮世は斯様(こう)したものと、私ゃ何時でもあきらめる。


米は南京、お菜(かず)はひじき、牛や馬ではあるまいし。
朝から晩までこき使われて、死ぬより増しだとあきらめる。


どうせ此の世は弱い者いじめ。貧乏泣かせだ是非もない。
こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる。


汗を絞られ油を取られ、血を吸い取られた其の上に、
投(ほう)り出されてふみつけられて、これも不運とあきらめる。


長い者には巻れて了(しま)え。泣く子と地頭にゃ勝たれない。
貧乏は不運で病気は不孝、時よ時節とあきらめる。


あきらめなされよ、あきらめなされ、あきらめなさるるが無事である。
私ゃ自由の動物だから、あきらめられぬとあきらめる。





昭和の演歌師の草分けとして知られている添田唖蝉坊は、神奈川県の大磯の農家の出で、四男一女の三番目の子として生まれる。

添田唖蝉坊という号は、自らを「歌を歌う唖しの蝉」とした由来がある。


歌詞を読めばわかるように「演歌」の演は、演説の演だった。

むろん、大昔から艶歌もわが国にはあった。

これら、演歌と艶歌は、双子の姉妹のようなものかもしれない。

古賀メロディーの元、演歌の原型は明治20年頃の当時盛んだった自由民権運動の産物である。

鹿鳴館時代が終わろうとする頃、板垣退助等の自由民権運動の演説会は政府の弾圧により、あちこちで弾圧を受ける。

そこで苦肉の策として街角に立ち、演説を唄にして七五調で唄ったのが始めだという。

おそらくこの辺りの原点は、平安の川原乞食の歌にまで遡れるかと思う。

演歌、艶歌、ともに恨み節である。


アメリカの黒人奴隷が女を主題にして恨み節を唸っていたのと状況は似通うのかもしれない。

酷い女だ。と奴隷主人を女に例えて歌っ黒人が多かったという。

そういう意味で艶歌も色々な読み取り方が出来る。


ひとり酒場で 飲む酒は
別れ涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスにまた浮かぶ


などという古賀メロディーの代表作「悲しい酒」

女々しいなどと表現する人もいる。

僕は、この国は、万葉の時代からヘタレで女々しかった部分が多分にあったかと思う。

そして・・・・・



隠しきれない 移り香が
いつしかあなたに 浸みついた
誰かに盗(ト)られる くらいなら
あなたを殺していいですか



などという「天城越え」なんて怖ろしいのである。

男がヘタレで女々しく

女が常に強かった。

なんていうのがこの国の真相かもしれない。




で、まあ万葉の時代の北九州の防衛にあたった兵士たちの「防人の歌」なんてのがこの国の演歌の原点かもしれないなあ・・・・・・なんて思うのである。



国々の防人集ひ船乗りて別るを見ればいともすべなし(神麻續部嶋麻呂)

家思ふと寐を寝ず居れば鶴が鳴く葦辺も見えず春の霞に(大伴家持)

大君の命にされば父母を斎瓮と置きて参ゐ出来にしを(雀部廣嶋)

大船を荒海に漕ぎ出でや船たけ我が見し子らがまみはしるしも(古歌集より)


妻子を置いて防人になど行きたくも無いが宮仕えをして食っていく為には「大君=天皇」の命令を聞くしかない。


そんな声が聞こえてくるようです。

まあ、これら防人の歌も恨み節であり演歌でしょう。


まあ、そんな

今も昔も

あいも変わらず



ああわからない わからない 今の浮世は わからない


なのでありましょう。


そして、

歌は世につれ

世は歌につれ

なんでありましょう。














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Last updated  2007年06月13日 08時18分50秒
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