2007/08/19(日)11:10
戦争の原因
私たちは皆この恐るべき大量殺人を維持していないでしょうか? 私たちは各々が戦争に対して責任があります。戦争は私たちの毎日の生活の最終的な結果です。それは私たちの毎日の思考・感情・行為を通して生み出されます。職業的、社会的、宗教的な関係の中でのあるがままの私たちを、私たちは投影します。あるがままの私たちが、世界なのです。
戦争に対する責任の中に含まれる主要なそして第二次的な事柄を理解しないなら、私たちは混乱し、その災害から私たち自身を救い出すことができないでしょう。私たちはどこに強調を置くべきかを知らなければなりません。そしてそのときにのみ私たちは問題を理解するでしょう。この社会の避けられない結果が戦争です。それは戦争に歯車が合っています、その産業化は戦争につながります。その価値は戦争を促進します。その領域内で私たちが何をしようとも、戦争に寄与します。私たちが何かを買うとき、税金は戦争の方に行きます。郵便切手は戦争を維持することを助けます。特に今は、社会が総力戦のために組織化されていますので、私たちがどこに行こうとも戦争から逃れることができません。
最も簡単なそして無害な仕事がなんらかの仕方で戦争に寄与しています。私たちがそれを好む好まないにかかわらず、私たちのまさにその生存によって、戦争を維持することを助けています。それゆえ私たちは何をしたらいいのでしょうか? 私たちは島または原始的な共同社会に引っ込むことはできません。というのは現在の文化は至る所にあるからです。それゆえ私たちは何ができるでしょうか? 税を払わないことによって、切手を買わないことによって、戦争を維持することを私たちは拒絶するでしょうか? それは主要な事柄でしょうか? それがそうではなく、それが第二次的なものに過ぎないならば、そのときは、それによって悩まされないようにしましょう。
戦争それ自身の原因である主要な事柄はもっとより深くはないでしょうか? 私たちが戦争の原因を理解することができるなら、そのとき第二次的な事柄は全く違った観点から取り組むことができます。私たちが理解しないなら、そのとき私たちはその中で道に迷うでしょう。私たちが戦争の原因から私たち自身を解放できるなら、そのときおそらく第二次的な問題はぜんぜん発生しないでしょう。
それゆえ重点は戦争の原因を自分自身の中に発見することに置かれなければなりません。この発見は組織化された集団によってではなく、各々によってなされなければなりません。なぜなら集団活動は思慮のなさ、単なる宣伝とスローガンの方向へ進みがちであり、それはたださらなる非寛容と争いとを生じるだけだからです。原因は自己発見されなければなりません。このように直接の体験を通して各々がそれから自分自身を解放するのです。
私たちが深く熟考するなら、私たちは戦争の原因に十分に気づきます。激情、悪意と無知。好色、世俗性、個人的な名声と連続性に対する切望。貪欲、妬み、野心。その分割統治を伴う民族主義、経済的な辺境、社会的な分割、人種的な偏見、組織的宗教。各々が自分の貪欲、悪意、無知に気づき、それゆえそれらから自分自身を解放することができないでしょうか? 私たちは民族主義を固守します。というのはそれは残酷な、犯罪的な本能のはけ口だからです。国またはイデオロギーの名の下に、私たちは咎めなく殺人または粛清し、英雄となることができます。そして私たちがより多く同胞を殺せば、より多くの栄誉を国から受けるのです。
さて、葛藤と悲しみの原因からの解放が主要な事柄ではないでしょうか? 私たちがこのことに重きを置かないなら、どのようにして第二次的な問題の解決が戦争を止めるでしょうか?
私たちが自分自身の中にある戦争の原因を根絶しないなら、私たちの内部の状態の外部の結果を間に合わせに修繕することに、どんな価値があるでしょうか? 私たちは各々、渇望、悪意、無知を深く掘り下げ、そして一掃しなければなりません。私たちは民族主義、人種的差別、敵意を引き起こすそれらの原因を、完全に捨てなければなりません。私たちは私たち自身、主要な重要性があることに全的に関わらなければなりません、第二次的な事柄にまごついてはなりません。
上記の言葉は、クリシュナムルティの言葉。
昨日は、ようやく歌詞カードの表紙千枚の印刷が終わり、ハッピライフの9月号の編集が終わり。
メンバーと四方山話をする。
あるメンバーが先の選挙結果で民主党が勝ったのでちょっとは、良くなるんじゃ?というので。
世界史と政治と経済と戦争の話をみんなで延々とする。
メンバーには、依存心の強い、強力なマザコン男が多いので。
人類が戦争をやめることも君たちがマザコンから脱却して人間的に成長する事も同じようなもんじゃないか?
などという話をする。
なぜなら人に依存する事も支配する事もその根は一緒で共に病んでいるのだと。
何か少しでもあれば「母さん、母さん」と人を物のように利用する事と信頼関係を築く事の違いがわからないのだ・・・・マザコンの問題は本人だけじゃなく、親の側にも過保護と過干渉=人間不信=子供の物質化という問題があるのだが・・・・まあ、社会も僕らをそう扱うのだし。
自分自身と真剣に向き合い生きるなら何かと争っている時間など無いのだと。
で、帰宅後、久しぶりにクリシュナムルティの言葉など読みつつ深く共感する。
クリシュナムルティの言うとおり「激情、悪意と無知。好色、世俗性、個人的な名声と連続性に対する切望。貪欲、妬み、野心。その分割統治を伴う民族主義、経済的な辺境、社会的な分割、人種的な偏見、組織的宗教。」これらが戦争の主要な原因だと僕も常日頃から思う。
「僕ら1人1人が自らの心に巣食うこれらを「自発的」に根絶やしにしていくようになれれば平和は、やがては、実現すると思うよ。」
と言えば。
「やっぱ破滅かなあ・・・自分さえ良ければ良いとしか思えないし・・・」などと答えるメンバー。
まあ、その位、この世界の病と僕らの病は、深いと思う。
そして、世界の病と真剣に向き合い終生人々を癒そうと対話を続けたクリシュナムルティは、現実を見極めた明晰で聡明な人だと思う。
「私たちは各々、渇望、悪意、無知を深く掘り下げ、そして一掃しなければなりません。私たちは民族主義、人種的差別、敵意を引き起こすそれらの原因を、完全に捨てなければなりません。私たちは私たち自身、主要な重要性があることに全的に関わらなければなりません、第二次的な事柄にまごついてはなりません。」
まあ、上記のような事を学ぶために。まるで、精神病院か幼稚園か牢獄のようなこの星があるのかもなあ・・・・などと時折思う昨今であります。
学べるまでに一体あと何億年かかるのだろうか?
などとも思うのです。
それまで、地球はもつのだろうか?
などとも思うのですが・・・・
まあ、今をボチボチと生きるしかありません。