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元日は、ゲオに行ってゲームを買ったり、帰り道に職場に寄り、年末年始を職場で過ごす学校の先生と話したり、メールと年賀状をチェックする。
家に帰り、水木しげるの「昭和史」など読みつつゴロゴロしてると10数年ほど昔に酒をやめる為に入った施設の仲間から久しぶりに電話が来る。 酒で肝硬変になり死にかけ、数年前に栄養失調で死にかけたりとなかなかドラマチックな人生を歩む戦友だ。 アル中仲間と話すと必ず出てくる話題が「誰が死んだ」という話題だ。 新年早々そんな話を仲間内で話すようになってかなりの月日が流れる。 仲間の娘さんがやくざな男に覚醒剤漬けにされて死んだとか、だれそれが酒飲んで死んだ、薬で死んだ、癌で死んだ。 そんな話を電話で聞く。 こちらも白血病で従姉妹が去年は、死んだとかそんな話をする。 色々な人の消息や生死の話などをしていると、まあ諸行無常なんだよなあと思う。 アルコール依存という病気になって生き残ってる人がどんどん死んでいく様は最初は衝撃だった。 人間がこんなにも簡単にコロコロ死んで良いものなのか? そして、僕の価値観が根底から覆された。 この価値観の変換体験は非常に貴重だったと思う。 この世界は世の中にとって有用な「経済成長要員」にとって運営されているのだ。 などという視点が与えられたから。 そして、世の中で有用でないとされる、多くのダメ人間やアウトローや病者や障害者や先住民族と出会う中で僕の中である悟りににた気持ちが湧き上がってきた。 まあ、生きてるだけで丸儲けみたいな気持ちだ。 そして様々な病んだ人々の孤独死を目の当たりにすることで人助けみたいな状況に導かれ現在に至るのだから人生とは不思議なものだ。 昔のバチカンの宗主がアウシュビッツに似た悲惨と呼ばれる「アルコール依存の家庭に起こる悲惨」に巻き込まれる。 これは、我が一族も未だにそうなのだが、絵にも描けない面白悲しい愚かしさなのだ。 そして、生死を別つのは紙一重だ。 「生きるも地獄死ぬも地獄」そんな生を歩む人は思いのほか多い。 だからこそ、この国は、年間3万人以上もの人々が自殺するのだろうが・・・・ そんな人間模様の悲喜劇に嫌というほど巻き込まれて見えてくる世界は、破戒僧一休さん説くところの 生まれては 死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も 世の中は くうて糞して寝て起きて さて其の後は死ぬるばかりよ などという心境なのですね。 そしてこれまた時折思い起こす非常に深い一休さんの言葉のですが 悪を正して、善に導くべき、と説く者もいる。 だがそれもまた、うたかたの熱意にすぎぬ。 勝った負けたも、個と自我の実在を信じ込ませる罠にすぎぬ。 わたしはただ俗塵を離れた心でいたい。 青い空に白い月 風が澄んだ空気を運んでくる。 とこれらの言葉などを残した一休さんもまた、この世で様々な「悲しい狂気」を見てしまったんだろうなあと思うのです。 (-∧-)合掌・・・ あっかんべェ一休(上) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年01月02日 11時34分19秒
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