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「白人の目には、わしらが馬鹿みたいに映っているかもしれない。わしらがあんまりにも単純だからだ。
わしらは偉大な母である大地によりそって暮している。わしらは、あなたがあなたの神を信じているように、わしらの神を信じている。しかも、わしらの神はわしらにとっては最高だということも、信じている。わしらの神はわしらに話しかけ、なにをなすべきかを教えてくれる。わしらの神は、雨雲や太陽やトウモロコシなど、生活に必要なものをなんでもくれる。わしらの神は、あなたの神のことを聞くはるか以前から、こうしたものを与えてくれていたんだ。 もし、あなたの神がそんなにも偉大ならば、わしらの神がそうやっているように、白人の口からじゃなく、直接わしらの心に話しかけてほしい。あなたの神は冷酷で、けっして全能なんかじゃない。なぜなら、あなたはいつも悪魔のことや、人が死後に行く地獄の話ばかりをしているからだ。わしらの神は全能だし、まったく善良だ。悪魔なんていないし、わしらが死後に行く霊の世界には、地獄などない。いやいや、わしらは改宗なんかしないことにする。わしは自分の神と自分の宗教についていくことにするよ。あなたの宗教よりも、わしらのほうが、ずっと幸せになれそうだからな。」ホピ族 「いちばん重要な、最初の平和は、人の魂のなかに生まれる。 人間が宇宙やそのすべての力とのあいだに、つながりや一体 感を見いだせたとき、その平和が生まれるのだ。 宇宙の中心にはワカンタンカが住まい、しかもこの中心はいたるところに あって、それはわしらひとりひとりの内部にもある、と理解したときにな。これこそが真実の平和なのだ。 ほかの平和はすべて、この真実の似姿にすぎん。 二番目の平和というのは、二人の人間のあいだに生まれる。 そして三番目の平和が、二つの部族間にあらわれる。 しかし、わしがしばしば言うように、人の魂のなかに生まれるものこそが真実の平和なのだから、その平和をまず知っておかない限り、部族間の平和などとうてい実現せぬということを、なによりも理解しなくてはならん。」ブラック・エルク(オガララ・ラコタ族) 若い戦いの神の歌 俺は大地の果てまで出かけてみた。 俺は水の涸れ果てるところまで出かけてみた。 俺は空がおしまいになるところまで出かけてみた。 俺は山のつきるところまで出かけてみた。 そして、俺は自分の友でないものなど、ひとつも見かけなかった。 伝承歌(ナバァホ族) お父さんは、私にこう説明してくれた。 この世界にあるすべてのものには、魂ないし霊が宿っている。 空には空の霊がある。雲にも雲の霊がある。 太陽と月にも、それぞれの霊があり、 動物にも、木にも草にも、水にも、石にも、 ありとあらゆるものに、霊は宿っているのだ。 ヒダッツァ族 この地上に人間として生まれることは、聖なる委託なのです。私たちは聖なる責任をになっています。 それは、私たちが特別な贈り物を受取ったからであり、その贈り物は、植物の生命が受取った贈り物よりも、魚たちや森や鳥たちや、そのほか地上に生きるすべての生き物が受取った贈り物よりも、すばらしいものだったからです。私たちはだから、すべての生き物たちの世話をすることができるのです。 オノンダーガ族 すべてのものが円を描いてます。 私たちは自分自身の行いに、それぞれ責任をもっています。 それが円を描いて戻ってくるからです。 オジブワ族 時のはじまりにインディアンは「生き方の教え」をあたえられたのです。それは、世代から世代へと受け継がれて、私たちのもとまで届けられました。「こうやって生きるのだ。」と。 私たちは、互いにいたわりあうように襲えられました。 互いに尊敬しなくてはいけません。 自分のことを気づかうように、ほかの人のことも気づかってあげるのです。 私たちに与えられた「教え」の、それは、一部をなしています。 私たちが、基本的に大切な物事をやるべきようにやっている間は困った問題は起きません。 しかし、いったん隣人を憎み、隣人の持ち物を盗み、彼らに嘘をつき、自分で食べ物をつくらず、他人の作った食べ物に頼って生きるようになると、そのとたんに、私たちはバランスを失ってしまいます。 私たちの伝説や物語が教えてくれているとおりです。 ヴィッキー。ダウニー(ブエブロ族)1993年 我々の民族と今日の世界で支配力をふるっている人々との最大の違いは謙虚さの感覚にある。 我々の民族のあいだでは、どんな遠いところまで、どんなに高いところまでたどり着くことの出来た人でも、神と宇宙の前では、自分がちっぽけな存在に過ぎないことをよく知っている。 リンカーン・トリット(アタバスカ族)1989年 「それでもあなたの道を行け―インディアンが語るナチュラル・ウィズダム」 Joseph Bruchac ジョセフ ブルチャック (編集著), 中沢 新一 (翻訳), 石川 雄午 (翻訳) ドロシーアリスン著「なんでも話してあげる」 白人のクズと蔑まれる南部の貧困階層に、15歳の母の私生児として生まれ、幼いころから継父の性的虐待にさらされつづけた少女。作家ドロシー・アリスンは、物語を唯一の楯にして虐待のなかを生きのび、書くことでその記憶と向きあってきた。母への愛憎。美しい妹への嫉妬。絶望に身を滅ぼした一族への哀惜。レズビアンとしての不器用な愛の軌跡…。すべてを語りおえたとき、新しい物語が始まる。ひりつく叫びが生の鼓動と響きあう、詩的モノローグ。 「わたしたちは美しくなかった。わたしたちはタフで醜く、それを誇りに思おうとつとめていた。 貧乏人というのは素朴で、謙虚によく働く実直な者もいるが、ほとんどが醜い。つねに醜いと言ってもいい。」 双方とも物凄い本だった。 人間とはどんな状況に於いても物語を紡ぎ出し物語を生きる生物なのだと教わる。 (-∧-)合掌・・・ それでもあなたの道を行け なにもかも話してあげる お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年08月20日 09時57分13秒
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