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「どこまで行った、この話。そう、若葉町の「おっしょさん」。町内の若いもんの間で評判だ。
「おう、そうかい、小股の切れあがったいい女?じゃ踊りでも習ってやろうじゃないか。」ってんで、17の頃からな、からかい半分に弟子になって通ったんだ。 当時、親父が死んで、もちろんおふくろは11の時に死んでるから、あとに残ったのは、義理のおふくろだけ。この人真面目な人でね、駄菓子屋かなんかやって生活してた。 え、あたし?金は持ってたよ。何しろ、子供の頃覚えた「声音」が役立って、夜になると花柳界を流しちゃ稼いでた。 声色使いってのはねえ、着流しに銅鑼と拍子木を持って流すんだ。だからこうだよ。片方に拍子木を持つだろ。 チョン、チョン、ボーン、ボーン。 「こんばんわ、えー、お二階さんいかがですか。ご贔屓、ご指名下さい。お姐さん、よろしく」ってえと、二階のお姐さんが顔を出して、「あら、かわいい声音つかいね。音羽屋さんをお願い」なんていう。 「わかりました。じゃ、六代目の勘平やりますよ。」てんで、やるわけ。 「いかなればこそ勘平は、三左衛門が嫡子と生まれ、15の年より、ご近習勤め、百五十石頂戴し、代々塩治のご扶持を受け、つかの間のご恩は忘れぬ身が、色に耽った、あ、ばぁっか~りにぃぃぃぃ・・・・」 ひとりで盛り上がってどうするんだよ。 こういう流しを「づける」ってんだ。「門つける」から来たんだろうね。そうすると、ポンとおひねりが2階から投げられるてえ寸法よ。 下駄を履いて、無地の着流しで路地から路地をまわるってのも、粋だろ。 だけど、どっちかってえと、堅気の人から見たら、乞食だよな。 でも、あたしゃ、親に内緒でよくやったもんだよ。」「幇間(たいこもち)の遺言」悠玄亭玉介著より などという江戸情緒溢れる玉介さんの絶妙の語り口などを読んでいますと、坂東先生から聞いた子供時代の話などを思い起こします。 背が高く、声が男のようで、幼い頃から芸好きの女性で僕と同じ丙午生まれで、まだ生きていれば102歳。 玉介さんは一歳年下で、天才7代目三津五郎に師事し名取となり、坂東流家元三津次と名乗る人生もまた波乱万丈でありました。 三味線も上達せず、声は、いまいちで、それでも稽古熱心な坂東先生は、象牙職人を何人も雇う家でジャカジャカと三味線の稽古をつけていれば「うるせえぞ!!ばってら!!」と弟子たちに怒鳴られたそうであります。 この「ばってら」の意味が今もってわからないのですが・・・ 押し寿司の「ばってら」の語源のほうは、ポルトガル語の小船らしいのですが・・・鯖の生き腐れなんて言葉がありますがそっち方面の罵倒語?かなどと思います。 てなことを考えつつ、しばし、ふくよかな江戸情緒に浸る朝であります。 (-∧-)べらんめえ!! 幇間(たいこもち)の遺言 昭和名人芸大全~珍芸・奇芸・ビックリ芸~ <NHK DVD> 初日(DVD) ◆20%OFF! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年09月05日 10時39分48秒
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