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シマフクロウ、ワシ、タカ、オオカミ、ヒグマ、キツネ、シャチ、クジラ、カメ、トリカブト、ドクキノコ、丸木舟、臼、食器、家、山、川、海、火、風、水、地震、津波、雷
と並べたのは アイヌの人々の神。 こういった神々を眺めますと 「地震、雷、火事、親父」なんて言葉を思い出します。 親父とあてるのは、権力へのあてつけだったような感じがします。 おやじは、もともとは、「おおやまじ」のことで強い南風、台風のことだそうです。 それと、↓の辺りのことがずっと気になってます。 「神。アイヌの人たちの神は、たとえばキリスト教のように唯一絶対神ではなく、人間のまわりにあるすべてのものが神であり、これらの神を人間が生きていくうえで役立つものを善神、人間に危害を与えるものを悪神としました。善神には、太陽、月、風、水、火といった自然神、クマ、シカ、キツネ、ウサギ、シマフクロウなどといった動物神、舟、盆、ゴザ、などといった物神があり、特に人間の食糧となる動物神は、その死に際しては霊送り儀礼が行われました。」 http://www.frpac.or.jp/CTraditionMain/commentary.html 日本の古神道においては、古来より森羅万象に八百万(やおよろず)の神が宿るとするアニミズム的な世界観(八百万の神・汎神論)が定着していて、その特徴の一つとして「神さび」という言葉が、古くから使われ、長く生きたものや、古くなったものはそれだけで、神聖であり神々しいとされてきた。その具体的なものとして、神籬(ひもろぎ・木々のこと)や磐座(いわくら・岩や山のこと)信仰があり、長く生きた大木や昔からある岩に神が宿ると考え、それらを神体とし、依り代の証しとして注連縄を巻き信仰している。 付喪神となりうる寄り代も森羅万象であり、人工の器物(道具)や建造物の他、動植物や自然の山河などに及ぶ。付喪神は、必ずしも人に幸をもたらすとは限らず、禍をもたらすものであり、妖怪として語られることも多く、そして付喪神も同様に、作られて誕生して長い時間を経て、健在であり続けた器物や生き物などには、霊魂が宿るとして「畏怖や畏敬の念を抱く」といった習慣・価値観は、日本に普遍的に存在するものであり、根底に流れる思想は神道や古神道と同じものである。またそれらを、鎮めるため(和御魂・荒御魂という神霊の2つの様相の変化)に建立した碑や塚や供養塔も日本各地に多数存在し、例としては包丁塚や人形塚や道具塚などがある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9E 『陰陽雑記』という書物によれば、作られてから百年経った道具には魂が宿り、人の心を惑わすと申します。これが付喪神です。毎年新年になると、古い道具類を路地に捨てる煤払い(すすはらい)という行事がありますが、これは付喪神の災難に遭わないようにと行われるものなのです。 http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/otogi/tsukumo/tsukumo.html こういった、日本の文化もアイヌの文化も廃れつつあるなんて聞きます。 こういったことを念頭において古事記などを眺めると 外来農耕民と狩猟採集民の争いがわが国で長いことあったのだと思うんですね。 祝詞などにある天つ罪とは農耕に対する罪。 国つ罪とは・・・・ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%A4%E7%BD%AA%E3%83%BB%E5%9B%BD%E3%81%A4%E7%BD%AA 国つ罪の起源が以下ではないか?という説もあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5#.E8.96.AC.E5.B8.AB.E7.B5.8C こういったこの国の歴史は、馬鹿と阿呆という文化圏や蕎麦とうどんという文化圏。 武家と公家なんかもそうですが・・・ 文化や伝統などが、この国の中で重層的に織り重なっているようです。 文化が織り重なる国家とは、多民族国家だということです。 金田一京助のアイヌの研究によれば・・・ 「猟に出ては山の林へ祈り、枝川の水神に祈り、狩の神に祈り、沖へ出て、風に遭っては祈り、雨に叩かれては祈り波に脅かされては祈り、猟がなければ、あるように祈り、あればあった喜びを告げて祈り、家にいても、不幸に祈り喜びに祈り、変災に祈り、病気に祈り、イナウ(祭壇に供える木幣)を掻けば祈り、酒を得れば祈る。」 とあります。 内村鑑三の弟子でクリスチャンであり戦後東大総長を勤めた矢内原忠雄という人がおりました。 http://www.t-shinpo.com/tokusyu/ijin3.html この人の書いたエッセイを大昔に読んだのですが。 他のことは、忘れ去ってもおそらく死ぬまで忘れられない言葉があります。 戦前の日本人には、道端の朽ち果てた地蔵にさえ立ち止まり手を合わせ祈る気持ちが一杯あったのだそういう人々が沢山いたのだ・・・・ そんなことを思い起こしつつ 僕は、縄文遺跡の貝塚なんてのは、貝送りの儀式の跡なんじゃ? などと考えてしまうタイプの人間です。 これは、物心ついてからそうでした。 幼い頃の両親に宗教的なことを伝えられた覚えもないのですが・・・ 貝塚、針供養・・・ 昨今で言えば「もったいない」なんて言葉の世界的な流行。 こういった日本文化の根底には 「アイヌ民族と神々(カムイ)は切っても切れないものです。というのも、アイヌ民族にとって神々は人の廻りにあるものほとんど全てが神、あるいは神により何がしかの使命を与えられた「魂(あるいは精神)」のあるものだからです。 人々が生きていくなかで、関わりあうであろう物事のすべてになにか役割があってそうなるのであろう、つまり人を含めた物事すべてが生きた関わり合いをしているのだ、とアイヌは考えたようです。 どこか遠い神の国から何かの使命を帯びて、姿を変えて我々アイヌに(事象として直接・間接的に)関わりあうのだ、ということなのだそうです。 「 関わりあうであろう物事すべて」というのは、火や水、草木や山河、熊や鹿や魚など、人が生きている間に目や耳にするもの、そして触れるものすべてのことです。 ですから、人間にとって都合の悪いこともそういった事柄の一つです。地震や火事、雷などの災害、そして伝染病なども神の仕業であると考えました。」 http://www.allforest.jp/ainu/ainu03.html というアイヌ文化が生きているのだと思います。 わが国は神とカムイの国であり、仏や菩薩の国でもあります。 おそらく様々な人々がこの国に渡って来て混血を繰り返し。 やったやられたの戦争を繰り返しつつ・・・ 幽玄な文化を築き上げっていったようであります。 出雲地方を治めていた人々の歴史が今後もっとわかってくると。面白いなと思います で・・・・ ゲゲゲの鬼太郎なんていう水木しげるの傑作漫画は、廃れないんですね。 ある一面で滅びるように映ったとしても別の形で伝承してていくのかもしれません。 (-∧-)合掌・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2010年07月19日 12時16分29秒
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