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そういちの平庵∞ceeport∞

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☆そういち☆

☆そういち☆

2010年08月22日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
読者はあるいは奇異に感じられるかも知れない、一体何で今ごろ尊皇思想の発端から成立、さらにその系譜などが問題になるのかと。そんなものはすでに過ぎ去った悪夢であり、現代には何の作用もしておらず、その主題は騒々しい宣伝カーで街頭をかけまわる戦後職業右翼の空疎なスローガンにすぎないではないか、と。


 問題はそこにあるであろう。戦時中のさまざまな手記、また戦没学生の手紙などを読むと、その背後にあるものは、自分ではどうにもできないある種の「呪縛」である。その呪縛に、それを呪縛と感じないほどに拘束され切っている者はむしろ少なく、それに抵抗を感じ、何やら強い矛盾を感じつつもそれをどうすることもできず、肯定もしきれず否定もしきれず、抵抗しつつそれを脱し得ないという姿である。もしこのとき、その人びとが、これは朱舜水という一中国人がもたらし、また徳川幕府が官学とした儒学的正統主義と日本の伝統とが習合して出来た一思想、日本思想史の数多い思想の中の一思想で朱子学の亜種ともいえる思想にすぎないと把握できたら、その瞬間にこの呪縛は消え、一思想としてこれを検討し得たはずである。



そして検討した上で、あくまでも自分はこの思想を選択すると言うのなら、それはそれでよいし、それを脱却してこれに反対する思想的根拠を自らの内に形成し保持し得るなら、それもそれでよい。それならば討論が可能である。しかし、そのいずれかが明確にできたという証拠は、上記の記録の中に見出すことはできず、そのためそこに生ずるのは諦念と詠嘆である。


戦前、人は何に呪縛されているかを知らなかった。そして出発点に於てそれを明確にせず、それをあやふやに消すという「まやかし」によって転換をとげたことは、その呪縛を裏返しの呪縛にかえ、その上に別の呪縛を加えるという結果になった。そのため、少なくとも良心のある者は、自己の態度にまことに矛盾を感じながら、それを如何ともなし得ないという、戦前にきわめてよく似た状態に落ち込んでおり、何か突発的な事件があればそれが露呈してくる。


 そこにあるのは一体何であろうか。それは自己の伝統とそれに基づく自己の思想形成への無知である。そして戦後の進歩的人士は、これに無知であることがそれから脱して、自らを「戦前の日本人でなくし」新しい「民主日本」なるものへと転換する道であると信じていた。だが不思議なことに、明治の進歩的人士も同じように考え、自らの歴史を抹殺し、それを恥ずべきものと見ることが、進歩への道と考えていた。ベルツはその『日記』に次のように記している。「しかし乍ら──これはきわめて奇妙なことだが──今日の日本人は、自己の歴史をもはや相手にしようとしないのである。いや、教養ある連中は自国の歴史を恥じてさえいる。とんでもない。一切が野蛮きわまりないのですとあるものは私に言った。またあるものは、私が日本史について質問すると、きっぱりと言った。我々には歴史はありません。我々の歴史はいまやっと始ったばかりです」



この抹殺は無知を生ずる。そして無知は呪縛を決定的にするだけで、これから脱却する道ではない。明治は徳川時代を消した。と同時に明治を招来した徳川時代の尊皇思想の形成の歴史も消した。そのため、尊皇思想は思想として清算されず、正体不明の呪縛として残った。そして戦後は、戦前の日本人が「尊皇思想史」を正確に把握していれば、その呪縛から脱して自らを自由な位置に置き得たのに、それができなかったことが悲劇であったという把握はなく、さらにこれをも「恥ずべき歴史」として消し、一握りの軍国主義者が云々」といった「まやかし」を押し通したことは逆に、裏返しの呪縛を決定的にしてしまった。しかし問題はそれだけではない。
 
というのは尊皇思想は日本史に於てはむしろ特異なイデオロギーであり、それだけがわれわれの文化的・伝統的な拘束すなわち呪縛ではない。その背後には十三世紀以来の、一つの伝統がある。



『現人神の創作者たち』山本七平著



明治も過去を消そうとした。当時の学生は「われわれには歴史がない」といってベルツを驚かした。戦後も戦前を消そうとした。そしてベルツを驚かした学生が前記の言葉につづけたように「われわれに歴史があるとすれば、消去すべき恥すべき歴史しかない」と考えた。このような考え方は徳川時代にもあり林羅山は日本人は東夷だが、天皇は呉の泰白の子孫すなわち中国人であるゆえに貴いと考え、また佐藤直方は、記紀に記された日本の歴史は、まことに恥ずべきものと考えた。これもまた日本の伝統の一つかも知れないが、この劣等感が裏返しとなると、奇妙な優越感となる。これは山鹿素行にもあるし、戦前の昭和の日本人にもあった。それが戦後にまた裏返しとなった。


 だが、こういう状態、劣等史観やその裏返しの優越史観、万邦無比的な超国家史観やその裏返しの罪悪史観、いわば同根の表と裏のような状態を離れてみれば、われわれは貴重な遺産を継承しているが、同時に欠けた点があることもまた認めねばならない。どの民族の履歴書も完璧なものではあるまい。諸民族の中の一民族である日本人もまた同じであって、貴重な遺産もあれば、欠けた点もあって当然なのである。要はそれを明確に自覚して、遺産はできうる限り活用し、欠けた点を補ってそれを自らの伝統に加え、次代に手わたせばそれでよいのであろう。


 現在がすでにそうであるように、二十一世紀は、おそらくは武力の時代でなく、経済が基盤となる時代であろう。前述のようにソビエトの威信の低下は決して武力の低下によるのではない。その武力は確かに今も世界を圧している。だが現実の問題として、それは少しもソビエトの威信を向上させず、諸民族に信頼感を抱かせるものでもない。過去の人類の歴史は決してこうではなかったことを思うとき、私はここに、全人類的な意識の変化がすでに芽生えており、この傾向は今後ともますます強くなって行くと思う。


 われわれは、この時代に対処するための、貴重な遺産をもっている。すなわち式目的能力主義、一揆的集団主義、礼楽的な情熱的一体感の秩序、それに要請される九徳的リーダー、勤労絶対化の規範などは、二十世紀のわれわれが創出したものでなく、文化的蓄積という遺産なのである。これからの時代にもこれらの遺産を十分に活用しつつ、これを次代に申し送る義務があるであろう。国際的競争に於て油断は常に大敵である。すでに記したように、アメリカに対する日本の優位は、実は、紙一重の差に等しいのである。そしてこの差を生じた重要な要素が、実に、遺産にあることを忘れてはならないであろう。


 と同時にわれわれに欠けた点があることは否定できない。一つが科学であり、一つが民主主義であった。これは、過去の歴史をいかに探ってもない。もちろん、「進化論もどき」「機械論的宇宙論もどき」はあったし、「民主主義もどき」もあった。しかし加藤弘之が強く主張した「科学」は『近思録』的であり、これは一見科学的な「神話」にすぎない。私は戦後、ある官学的社会科学者が、「マルクス主義は正しい、なぜならそれは科学であるから」と言ったとき、反射的に加藤弘之を思い出し、「なるほど、この系統は生きているのだな」と思った。加藤弘之の『吾国体と基督教』は、科学、科学を連呼しつつ、最終的結論は「天皇制が絶対であることの科学的証明」に終っているのである。いわば「天皇制は正しい、なぜならそれは科学的に証明できるから」となっている。これは「科学」ではないが、この『近思録』的擬似科学を、われわれは常に絶対化したがる傾向がある。従って「科学だ」といわれれば沈黙し、同時にそれへの反撥としての「反科学的自然順応主義」が出てくる。これもまた日本に於る最も強固な伝統だが、いずれも「科学」には関係あるまい。この点は常に用心しなければなるまい。



 同じことは戦後の「民主主義もどき」にもいえる。われわれはこの点をはっきりと自覚し、まず、「法を王の上に置き」「自らの手で法をつくる」という作業から、はじめるべきであろう。幸い、その萌芽はすでに現われているから、これを育成していき、政治でも、教育でも、医療でも、倫理を叫ぶ前にまず「法がどのようにあるべきか」を考えることからはじめるべきである。もちろん法は万能ではない。しかし、法なき野放し状態で徒らに倫理を叫ぶことは、民主主義よりむしろ聖人政治の待望であることを自覚すべきであろう。「星亨批判」から一歩も前進していないような状態を二十一世紀に申し送るべきではあるまい。


 これらの課題を、一九九〇年のわれわれの課題にし、自らの履歴をよく考えた上でその課題を解決して、この日本を二十一世紀に申し送っていくことが、残された二十世紀のこんにちに、われわれが行うべきことではないかと思う。


「1990年の日本」山本七平著



狭い島国で長い時を経て折り重なり、積み重なった問題。

外圧や国際競争という現実。

一貫して現実を認識できない。

何故なら、足下が見えず、過去を改竄否定し、さもなくば美化理想化する。

いずれにしろ、アメリカの凋落と中国の軍事強大化という外圧がこの国を変革する。

その変革によって、自らの法を作り得るのか?

はたまた、外圧の結果、他者の目、他国の目を気にしつつお茶を濁すのか?

それとも、劣等感の裏返しのハチャメチャな優越感改革となるのか?

それとも、現実に即し法を変革するのか?

山本の言葉は、この国のほとんど動かぬ底流をまさぐりつつ倫理よりも法をと説く。

平和という倫理と極東情勢。

安全保障と国際競争。

従米路線の存続か?

中国の属国化か?

それとも独立か?

世界中であらゆる矛盾が吹き荒れる中で唯一言えることは、わが国の歴史の徹底した再検証かと思うのであります。

そういう意味で山本七平の残した言葉は、非常に大きいのかと思うのであります。

天皇制絶対も平和憲法絶対も現実を見ずということでは、ほぼ一緒だろうかと・・・・

だからといって、この国にどれほどの選択肢があるのかと言えば・・・・


平和的な科学技術、殊に環境を浄化し、エネルギーコストを下げ、循環型文明へ向けた技術。

そんな技術を国を挙げて獲得し、世界へ向けて発信できれば・・・・

安定供給出来る自然エネルギー発電の開発。

これをするには、従米からの脱却しかないでしょうが・・・

などと思うのであります。


(-∧-)合掌・・・





現人神の創作者たち(上)









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Last updated  2010年08月22日 21時50分06秒
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