2日の日記
僕は10代の頃ジョンレノンになりたかった今は嫌だ・・・たとえなれたとしてもビートルズアンソロジーの中でジョージハリスンがこういった「世界は僕等に富や名声を与えたけど僕等は全神経を世界に捧げた。捧げられるものじゃないのにね」今日、電話である人から「自分を犠牲にするあなたのような生き方ってどうなの?」と聞かれ昔から何人かの人から言われた自分が心から喜んでやってりゃいいんだろうけど今度来るかずみさんには昔こういう表現で言われた「そういちさんはとても優しいので困ってる人を黙ってみていられないだから誰にでもパンを与えようとするだけど自分の食べるパンまで与えてしまうと自分が飢えるんだよ」ここいらの問題は少しは収まりつつあるが未だに根深いまあ、こんなキャラだから宗教家になれとか福祉やれとか昔から言われる自己犠牲については色々な人が書いていてもし人に何かしてあげて後悔したならそれは与え方が足りなかったのだみたいな事を言う人がいる実際、燃え尽きの問題は労働時間の問題じゃない楽しんでやってる人は決して燃え尽きない僕も楽しんで笑い飛ばして色々やるほうだが自殺の問題まで扱う今の仕事は楽しめない場合もある何かを与えると言う事は何かを同時に受けると言う事なのだと思う僕は与えるのは得意だが受け取るのが苦手なのだろう犠牲などと思って生きてるわけじゃ決してないがやはり人の生き死にに関わる局面になると全神経を捧げてる自分がいるのだ捧げられるものじゃないのにねでもそういう人が元気になった時の喜びは何ものにもかえがたい死ぬ事ばかり考えていた人が元気になり人と話しながら笑顔でいるのを見ると笑顔がこの仕事の最大の報酬だと思うだからといってやっぱり人様に全神経を捧げられるものじゃないのだ