かりん御殿

2003/12/17(水)09:52

二代目社会が生き残る道

サダム・フセイン逮捕後のブッシュ記者会見を聞きながらゴシップ頭で漠然と思った。子ブッシュがサダムに対して抱く敵意や憎悪は父ブッシュを遥かに勝っているんじゃないだろうか。それは、子ブッシュが、「親の七光り・二代目政治家」でその親自身もカリスマ性に欠け、七光りというほど光ははなてない「二代目の中でもさらに二流三流の二代目政治家」に過ぎないのに比べサダムは、非常に恵まれない出生から、「全て自分の力」で一国の主にまで叩き上がった自力の一代目政治家だからだ。「みじめな姿で捕まった」「独裁者というものは臆病なものなのだ」等西側メディアでは色々言われているが、サダムの年少期の恨みや悲しみに比べればこんなもん、へでもかっぱでもないかもなぁ、と私は思った。彼が死んで喜ぶのはアメリカ政府や彼と取引のあった西側諸国の人間だ。クルド人に見つかっていたら自殺していたかもしれない。私刑・なぶり殺しという、死ぬよりも恐ろしい未来がかいま見える。だが、アメリカ政府は、拷問処刑も私刑も絶対にできない。失うものは何もない。まだ余地がある。疲労困憊した頭で、それだけの算盤をはじいた。だから死ななかったのではないか、と私は思った。(ところでDNAは何と照合させたのだろう?)何も無いところ、あるいは、マイナスの状態から立ち上がった人間は、強い。初めから多くを与えられていた人間がこれだけの強さを身につけるのは不可能に近い。それができれば、それは既に親をも超える才能だ。大抵の「二世」は、「偉大な親」並みの才能を持たない。そうそう卓越した人間が生まれるはずはないのだ。だが、二世は、本人自身ではなく出身によって注目されるので、ある程度成功する事があっても、常に、結局、自分の力ではないという空虚感を持ち続け、もって生まれた「天分」をに見失う状況に陥りやすい。逆に、「二世としての天分」を受け入れてそれを逆手に利用するのは、一種の才能・力量だとも言える。「天分」も「天命」も、金銭で買うことはできない。天分も天命も既に定められている。ただ、天分や天命をまっとうできるかどうかは各人の力量にかかっているかもしれない。それだけに、己の天分を知り、天命を知ることはそれ自身が才能であり、また、強大な力を持つ。自分に限界をもたらすのではなく積極的に自らの天分や天命を知り生きる事、例えば、非常に卑近な例をあげれば他人とつまらない比較をしないで、自分自身の天命をまっとうするように努力する、これだけで、世の中は、過ごしやすく楽しくなるんじゃないだろうか。天分・天命を知らず野心のみが強い政治家は多い。だから、周囲が、牽制しなければ危険なのだ。そこらへんの二流三流政治家たち(これは役職の高低では無く、本物の実力を指している)その子供である二流三流の二代目政治家が、第二次世界大戦後国土を戦火にさらされていない国には増えている。そして、それは、政治家だけではない。一般市民の感覚自身が、二代目・三代目的感覚になっているのではないだろうか?自分の手で得なかったものは、結局、自分のものにはならない。そんな事にさえ気づかない二代目の短絡的な世界観がまわりまわって自分の首をしめ、最終的に破壊が起きそこから、新たに一代目が生まれる。世界の歴史は、こんな事の繰り返しじゃないだろうか?私は、二代目・三代目を否定するものではない。私自身も二流三流の二代目のようなものだ。だから、天分を知り、天命を知り、二代目が三代目へ三代目が四代目へと破壊される事なく、おだやかに継続していけるような社会を築くことの可能性を考えなければ、という危機感を常に抱いているのだと思う.....。※バッテリーが切れそうなので、ここでとりあえず切ります....。

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