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かりん御殿

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November 12, 2004
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テーマ:海外生活(7771)
カテゴリ:ブログ
今日は時事から離れ「海外生活が10年以上になるとアイデンティティの危機を迎えるのか?」
という「老舗育児サイト掲示板」の話題への投稿を【おねぇ】中まろ風に編集し直して追記したブログです。
(もちろん、投稿した方の原文は「格調高い丁寧語」で書いたんだからねっ!!)
実は今日はブログを書く気力も時間も残ってないのよ~~。

さて~、
海外生活が10年以上になると
「アイデンティティが危ねぇ~っっ」
って状態になっちゃう人が【少なくないらしい(というか、いるらしい)】んだけど
それは、どうも、「異文化(ちと不適当な言葉かも)」に適応していく過程の中で
例えば日本人なら日本人として持っていた
日本人的コミュニケーション方式と
新しく適応した「異文化」のコミュニケーション方式との
ギャップに迷う事によって起きるんじゃないかと考えられているらしい。

私は日本を離れて20年(年を感じる....)ですが
「ちょっとアイデンティティやばいぜっ」って感じた事は一度も無いのよ~ん。

どの土地に行っても(同じ国の中でも)
その土地なりのコミュニケーションの仕方があるから
郷に入っては郷に従えで、
まず、その土地のコミュニケーション方法の習得に努力はするけど
でも、完全に同化はしようとしないで
いつでも、自分らしさをちょっぴり入れてるからかもしれない。
ただ単に面の皮が厚いからっていう説もあるけどね...。

ちょっと横にそれるけど
私がよく使う各国独特のコミュニケーション習得方法は
TV・ラジオの「お笑い」系番組を多く見る事。

お笑い芸人さんや喜劇の脚本家は、コミュニケーションのプロ・鉄人、
そして
ユーモア感たっぷりのトークショーやsitcom(コメディ)は鉄人による講義の様なもの。

どの様に聞き、どの様に答え、どこに重点を置くか
絶妙のタイミング(間)の取り方
皆心の中で思っているが口に出して言ってはいけない話題の選び方
等、
コミュニケーションの芯と言えるものから
具体的な
語調・話す速度・強調の仕方・言葉の選び方
等々、
学べる事は豊富すぎて枚挙にいとまがないほど。

この「お笑い」の分析に慣れてると
日常のコミュニケーションからも
ユーモア感覚たっぷりの文章(エッセイ・小説など)からも
効率良く、その文化のコミュニケーション方法を学べる様になるのよん。

でも、そうやって、習得したコミュニケーション方式でも
大まかな所は、そのコミュニケーションの規則に準拠しながら
そこに、必ず、ちょっぴり「自分らしさ」を混ぜる様にしてるわけ。
その「自分らしさ」の出し方を調節するには、やっぱり
「お笑い」や日常生活から「許される限度」を学ばなくちゃいけないんだけどね。

よく「お笑い芸人」は一緒になって笑っては駄目だって言うでしょ?
人を笑わせる為には、自分も楽しみながらも(←ここ重要)
どこかで冷静に観察し状況を把握する必要があると思う。

その、どこか冷静になっている自分の存在を
ひょっとしたら
自分は「よそ者」なんだ、と捉える人もいるんじゃないかしら。

そして、アイデンティティを
「よそ者ではない感覚」と認識している人も少なくないかもしれない。
その様な人のアイデンティティの確立には
「よそ者」感覚を持たずにすむ
「自分が100%帰属していると感じられる集団」があるか無いかが
重大な影響を与えているんじゃないかな?

実は私自身は「自分は何者か?」等と生意気にも考える様になった頃には
自分は「よそ者」である、と自覚していました。
でも、それで、除外された感覚を持った事も否定的な気持になった事も無い。
「よそ者」である事で、優越感を持った事も、自分を卑下した事も無い。
むしろ
「よそ者」である事で、より正確に状況が見えてくる、
「よそ者」である事で、必要以上に感情的になる事なく「楽しめる」
と、肯定的に考えていたのよね。

もっとも、「よそ者」という言葉は適当じゃないかも。
「よそ者」には、排他的な響きも少なからずあるからね~。

私が「よそ者」という言葉で表現したかったのは....

「傍観者」的立場をとりながらも
ただ脇に立って見ているだけでなく
集団の中心部の動きに積極的に干与しながら
かつ、その集団では生まれにくい様な
新鮮なアイディアを吹き込む
風穴の様な存在...

同時に、普段は受け入れられていても
その一種平和な状況が何らかの理由で壊され
不可抗力的に排除される可能性が皆無でない事についても
悲観的にならず冷静に淡々と認識している存在..

....こんな存在のこと。

故国・故郷を離れて
新しい文化の中で長く暮らす事によって
自らのアイデンティティに悩む様になる人は
こんな感じの
肯定的な「よそ者」感覚を、もともと
身につけていなかったんじゃないかな~。

だから
「よそ者」っていう存在にある自分を
うまく処理(っていうと何だけど)できないで
葛藤したりするんじゃないんだろうか?

時々
自分の故国以外で多言語育児をする親の中に
自分の故郷の文化を
子供に、どっぷり与えようとする人がいる。
言葉だけじゃなく
自分が育って来た歴史とか文化とか常識とか情緒とか
全て...ね。
そこに、わたしは、違和感を感じる。

確かに、言語の学習には
その言語のもととなる文化の学習は欠かせないよ。

でも、海外で育つ子供には、その子達の
歴史も文化も常識も情緒も大衆文化も友達も...色々あるんだよ。

親と子の背景は一緒じゃない。
たとえ親と子が同じ言葉を話したとしてもね。

自分が幼い時から使って来た言葉を子供に伝えるのは
自分の背景を、そのまま、どっぷり
子供に押し付ける事とは違うと私は思う。

「よそ者」になった事に疎外感を覚え
「アイデンティティの危機」に陥った人が
少しでも自分にとって居心地の良い状況を作る為に
子供を使っているんじゃないか....って思わざるを得ない事が時々あるのよね。

海外で多言語育児をしている親が全てそうだってんじゃ、もちろんなくて
ほんとうに少数なんだろうけど
この人は
子供のサバイバル能力を高めるための多言語育児じゃなくて
自分のアイデンティティの確立の為に
多言語育児してるんじゃないか?って
思わざるを得ない人がいて
そこに、若干の違和感がある...。


ところで
「単文化・単民族背景的土地」で育つのと
文化的背景や民族的背景が多種多様な土地で育つのでは
アイデンティティの育ち方にも大きな違いが生まれると思う。

外見から、あるいは、名前から
「即座に」「よそ者」と判断される環境の下で
幼い頃から育つ場合は
外見的に見分けがつかない中で
「成長にあった速度で」アイデンティティを育てていく場合と全く違って
冷静に考え分析する力もまだ育っていない時点で
「アイデンティティ」の方から待った無しでやって来ちゃうから
自分なりのアイデンティティを理解し確固としたものにするのも
後者よりも遥かに複雑で、
回り道を経て、やっと到達できる人も少なくないんじゃないかな。


ま、でもね、
どんな方法ででも、
「自分は、これだっ!」ってわかるとね
どこに行っても適応できるもんなんだと私は思うよ

あ、唯一
公衆トイレが汚い国だけは、勘弁してほしいわ~~
疲れてる時に
何故か、汚いトイレが夢に出てくんのよね~~~。


さてっ
ここで急に話は変りますが、
今、読んでる本
お勧めですっっ(って、私も読みはじめたばっかりなんだけど^^;)
日本で手に入るかどうかわからないけど
(翻訳出てるかも?)
英語圏では、簡単に手に入ると思うので
是非、どうぞ!

「Terror Inc.」( Loretta Napoleoni著)Penguin Books
【原題】Modern Jihad
【副題】Tracing The Money Behind Global Terrorism

著者は、現場での実績も豊富な経済学者

「Holy War,Inc.」( Peter L. Bergen著)Phoenix出版
【副題】Inside the Secret World of Osama bin Laden

著者は、オサマ・ビン・ラディンのインタビューに成功したCNN記者

どっちも、非常に面白くて読みやすい本です~。
ペーパーバックで英国での正価は両方とも7.99ポンド(約1600円)。
(でも、後者は、ディスカウントショップで1.99ポンドで買いました。)





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Last updated  November 12, 2004 10:13:40 PM
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