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かりん御殿

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September 30, 2008
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テーマ:戦争反対(1187)
カテゴリ:旧(時事/社会/家庭)
靖国神社が騒がれ始めたのは近年のことだ。
私が四谷で過ごした子ども時代、
靖国神社は、戦死者を忍ぶ場所であった。
我が家的には、その、ごく近くにある
「千鳥ヶ淵(戦没者墓地)」とセットになっていて
小学生の頃、
皇居のお堀の横に彼岸花が咲き乱れる季節になると
父と神保町の古書街に行くがてら、お参りに行った。

どちらかと言えば、靖国神社が副(サブ)で
千鳥ヶ淵が主(メイン)だった印象を持っている。
靖国神社では、
大砲や戦車の、おそらくレプリカ?に上って遊べるので
ここに行くのは楽しみだった。
同時に、古い記念館では、戦死した兵士の血のついた服や
特攻生の残した手紙が、子ども心に突き刺さった。

靖国神社が、ある意味、「動」だとすると
千鳥ヶ淵は「静」だった。

千鳥ヶ淵では、すぐ横にひろがる
一面の彼岸花を眺めながら
静かな空気にさらされていた。
(まだ10歳にもならなかった頃だと思うが
 その風が脳裏よりも肌に今でも残っている。)

当時は、まだ、A級戦犯の合祀前だったはずだ。
その後、お参りに行った記憶は無い。
単に年頃になって父と行動したくなくなったからだろう。
学徒出陣をした父からA級戦犯合祀について
聞く事は、一切、無かったし
A級戦犯に対する批判なども聞いた事が無かった。

稀に聞いた戦争の話といったら
入隊当初、「生意気な学生」達の一人として
しょっちゅう上官からビンタを受けていたが
持ち前の喜劇的性格で上官から気に入られ
しかも近視であったので
「幸運にも家畜係」になり、ブタに餌をやる日々を
過ごしていた..という事くらいだ。
これは、戦争の話というよりも、むしろ
「だから、芸は身を助けるというのだ
 人を笑わせられる能力は生死をかけるほど重要だ」
という教訓の一つとして話されたものだった。

戦友の会があれば、いそいそと出て行き、
ノートに当時の想い出を小説にして綴っていた、
そんな父の、私の目にもはっきりとわかる
戦争の「記念」は
戦友との集合写真と、肩の傷だけであった。

実は、戦犯が処刑された「巣鴨プリズン(刑務所)」には
母に連れられて、小学生の頃、行った事がある。
当然、中を見たわけじゃないが、
ふるえるように高く暗い壁の記憶がある。
何やら恐かったという気持ち自体は
しっかり焼き付いている。

当時、既に、「東京裁判」というものについては
小学生ながら、かなり詳しく知っていた。
なにしろ、5歳上の兄が、「戦争ヲタク」であったので
家には、戦記物の本や雑誌やマンガが
溢れるほど、そろっていたし、
1960~70年代当時は
戦争映画や戦争ドラマが少なくなかった。
「人間の条件」や「ひめゆりの塔」やら
小学生に見せるテーマでは無いかもしれないが
その頃の日本の戦争系映画は殆ど見ているはずだ。

そんな小学生の私にとって
巣鴨は
「私は貝になりたい」
が、壁にさえ、具現化されていた場所だった。
心が冷えて行き、ひたすら恐かった。
そこは戦争の跡の匂いがした。


3年前だったか
何十年ぶりかに、靖国神社を子連れで訪れた。
靖国神社は、記憶の中にあるものと
すっかり変っていた。
最も変ったのは記念館(遊就館)だった。
大きなゼロ戦が一階のロビーに展示され
それが、何か、テーマパークの様な印象を与えた。
結局、中に入らなかった。

そして、千鳥ヶ淵に向かう所で
「昭和館」に出逢った。
昭和館には全くといっていいほど
入場者がいなかった。
入って行くと、美人のレセプショニストが
満面の笑顔で迎えてくれ、
切符を買い、上階にある展示館にいたるエレベーターまで
手取り足取り的な丁寧さで付き添ってくれたくらいであった。
上の展示館では、また、別の美人係員が笑顔で迎えてくれたが、
びっちり寄り添って説明するわけではなく
中は、自由に見せてもらえた。

ここは、戦前、戦中、戦後の一般市民
とくに子ども達の生活が
かなり肉薄した状態で伝わってくる場所だった。
実際にかぶれるヘルメットや防空頭巾
当時の子ども達の記録ビデオの数々...
戦後の記録ビデオに登場した10歳の、
幼児にしか見えない栄養不良でやせ細った男の子の姿に
当時、同じ10歳だった長男は震撼した。


靖国神社(昔は「招魂社」だったか??)は
現在、喧噪激しい中で
神社を超えた「多目的な存在」になっている。
その中の一つは
「テーマパーク」であろう。
別に「わび・さび」な靖国神社に戻そうという
つもりは全く無い。
しかし、どうせテーマパーク化するなら
もっと徹底的にテーマパーク化したらどうだろうか?

誰でもわかっていることだが
戦争は、遊びやキレイ事じゃない。
しかし、それを、一般市民は
概念ではわかっていても「感じ得る」事は難しい。
よって
従軍生活を「疑似体験」できる
そんなテーマパークを作ったらどうだ?

例えば、映画化で有名になった硫黄島
まず、あの島の気候、暑さと乾燥
それを、実現した空間を洞窟も含め作るのだ。
もちろん、巨大な虫も、わんさか、いれる。

入場者は、戦闘服に着替え、
一応、虫除けのスプレーをかけて入室。
入室後は2時間、出れない。
用意された軍舎の「寝台(棚)」に寝転がり
空襲の音がしたら、重い銃をかついで飛び出したり
洞窟に身をひそめる。

一般従軍生活体験としては
暑い中或は寒い中、さらに大雨の中、
重い装備で1時間ひたすら行進するか
すっと塹壕に潜むか
どちらも
1時間過ぎると、今度は、敵の砲火を受ける。
小屋に近づくと、中からも、また砲火。

他にも
冷凍庫環境で重労働に従事させられる
シベリア抑留疑似体験、
逆に暑い空間で重労働させられる
POW(英国などの戦争捕虜者)体験、
中国朝鮮人炭坑夫重労働体験、
襲撃され沈没する空母体験、
人間魚雷体験、

憲兵による拷問体験は
危険なSM系になるおそれがあるので
実現可能であるのが残念だ。

別口として
空襲下の一般市民体験。
雨戸をきっちりとしめた部屋で
電灯には黒い布をかぶせ
空襲警報が鳴ると防空壕に飛び込む。
周囲が火事になり(温度調節)
その中をにげまどったすえ
川に飛び込む。


疑似体験テーマパーク
真剣に作ってほしい。
(マジメですっ)

どのコースを体験するにしても
2時間だけだ。
命に別状は無い。
(もちろん心臓や健康状態に異常がある人を除いて。)

2時間だけ
疑似体験しよう。
そして
その後で
あらためて、戦争について考えよう。






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Last updated  September 30, 2008 11:07:22 PM
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