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マルチリンガルへの道~英語と中国語お勉強日記~

マルチリンガルへの道~英語と中国語お勉強日記~

中国転職物語

2005年3月2日~8日までのシンセン・香港での転職日記を中心に、中国への転職について語ってみたいと思います。

転職日記ログ

●3月2日●

いよいよ香港・深センへ向けて出発。今夜は香港のゲストハウスに宿泊予定。
飛行機は夜の便なのだが、午後2時から帰国していた担当者と面接。

【面接file 1  深センのぬいぐるみ工場】
14:00~15:00
場所:千葉県某市駅構内喫茶店。

従業員数2千人。
日本向けのぬいぐるみ製造(着ぐるみからキーホルダーのマスコットまで)
ポジションは通訳件一般事務。香港のヘッドオフィスとの連絡業務と指示を工場サイドに伝えること。中国語と英語必須。
担当者、というか重役といったカンジの(肩書きは董事)知的で厳しそうな方。
会社の説明をされたあと、自己紹介と質疑応答。
”他に質問は?”と何度も聞かれたので、”ぬいぐるみって手作業ですか?”とか間抜けな質問ばかりしてしまった。
3月4日に現地の工場見学をすることになった。
学生時代の就職活動以来の面接なのでかなり緊張したけどなんとか乗り切りました。

無事に飛行機に乗って(ノースウエスト、ボロイですねぇ・・・)香港の空港着が23:00時。路線バスにてコーズウエイベイの予約しておいたゲストハウスへ。指定されたビルをやっと探し当てついてみると支配人が”ゴメン、こないと思って他の人泊めちゃった”
・・・・勘弁して~予約の際にも”深夜に着きます”と言っておいたのに~!!!

そして支配人は”ダイジョブ、トモダチノホテル、ココよりもっといい。今、アナタヲ迎えにくるよ”
ちょっと不信感を抱きつつ値段を聞くと280元。このホテルより40元高い。”ダブルブッキングなんだから240でとまらせろ~”と抗議した所、
”ダイジョブ、トモダチのところ、すごく広くて高級。ココよりずっとイイ。夫婦泊まれるダブルベッド、カイテキ”
シングルでいいんです!とうとうまけてくれなかった。おじいさんが迎えに来て徒歩で移動。もう深夜1時。このまま売られちゃうかも・・・という不安もあった。
ついたホテルは想像通り、相当おんぼろです。そして香港は例年にない寒さにもかかわらず暖房設備がないので震えながら就寝。



●3月3日●

今日は移動もありなかなか忙しい。荷物をもっての移動がきつい。

9:30
セントラルのエージェントへ。
また履歴書のようなものを書き、香港人スタッフが中国語と英語の語学チェック。
英語もコミュニケーションレベルOKと書いてしまったので。香港がヘッドオフィスの会社が多いので、英語もある程度必要だそう。2時間ほど打ち合わせしたところで面接スケジュールを教えてもらう。今日の午後も入っているそう。
”じゃ、そろそろ出発してください”
と送り出された。

もらった会社名と住所と職種と行き方の書いた紙(地図ではなく、●●の駅をおりてB出口を海へ向かって歩き、スタバを左にまがって2けん目のビル、といったかんじ)を手にMTRを乗り継ぎ現地へ。

【面接file 2  広東省恵州の電子基盤会社(香港系)】
14:00
ポジション:通訳 香港オフィスとの連絡業務と日本人スタッフと工場技術者の通訳業務
社長(Japanese)自ら面接してくださった。
40歳くらいで大柄、ざっくばらんな雰囲気だが、眼光鋭い。
いきなり希望給与と条件を聞かれる。日本では聞かれたことがないのでドキドキ。
戸惑っていると、”いいんだよ、希望額を言ってみて”といわれるが試されてるのかな???
”1万3000HKドル(18万くらい)と住居です”と答えた。

その後香港人スタッフの女性が語学チェック。英語と中国語で現在の仕事のことを話してみて、というのでしてみる。英語はNOVAが役に立った~!
その後、翻訳テスト、ということで実際にやり取りのあるメールの文章を2つ渡される。日本語は中訳し、中国語は日訳。製品が破損した場合の原因と応急処置と改善点について。専門用語が多くなかなか難しい。
30分程経ってテスト終了。おせじにもよくできたとはいえないなあ~。

その後は社長、香港人スタッフを交えて3人でフリートークのような面接。社長と彼女は英語で話し彼女と私は中国語。

リラックスできてなかなか楽しい面接でした。
帰りに電車に乗っているとエージェントから電話が。”先方が気に入ったので2次面接に進んでください”とのこと。うれしかった。

カフェでお茶したあとシンセンへ向かう。
KCRにてイミグレーションのある羅湖(louwu)駅へ。香港からの出境と中国への入境が一度にあるのでなかなか面倒で時間がかかった。シンセンについた~!
イメージよりももっと危険な雰囲気があった。目つきが違うのだ。

本日の宿泊先は中国語老師の友人(中国人)
住所を教えてもらったのでどのくらい遠いのかも分からずタクシーの運転手に見せる。福田区の連花二村というところで30分もかからなかった。マンション地帯だ。45号棟ということだったがすぐ見つかった。携帯で話して部屋番号を教えてもらい対面。独り暮らしにしては広くゴージャスな間取り。女手一つで貿易会社を経営しているという。すごいなあ。

夜、彼女(高姐)と一緒に食事に出る。近所のタイ料理のお店。ここでよく仕事の話を仲間とするのだそうだ。彼女は常に携帯で誰かと話している。少ししてお店に40前後くらいの男性(ソウさん)がきた。医療機器の輸入する会社を経営しているという。二人はずっと仕事の話(北京語なのだがすごい勢いで喋っているので断片的にしかわからない・・・)をしていて、たまに私に”お腹いっぱいになった?”などと話し掛ける。そのうちもう1人50代くらいの男性が登場。彼も同業者とのこと。3人でまた喧喧諤諤。結局11時過ぎまで語り合っていた。




●3月4日●

今日の予定はエージェントと工場見学と面接の3件。

9:00
シンセン市内のエージェントの元へ。
ここでも簡単な面接。

10:00
3月2日に受けたfile1の会社の工場へ。
シンセン市街から車で1時間ほどの龍ガンという地区。
町並みはちょっと寂しく、工場は古く感じた。
ダンディな工場長(日本人)と話したあと、工場内を案内していただいた。
このぬいぐるみ工場では、ものすごい速さで女工達がミシンを動かし、刺繍をし、綿を入れ、チェックをしている。2000人規模で狭い場所でいっせいに作業する彼女らに圧倒される。製造業ってすごいな、と正直思った。

作業が細かく、大量生産というよりは多種多様なぬいぐるみを作っているのでほとんど手作業のようだ。日本でおなじみのキャラクターばかり。

日本人女性も2人働いているというのであわせていただいた。
私より10~20くらい違う女性。彼女は休みの日もほとんど敷地内の寮からでないのだという。そのことがちょっとひっかかった。

13:00
工場見学からもどり、エージェントがもう一件紹介したいところがある、といわれたが香港エージェントが予定していた面接がこのあとあるので辞退した。どこに行くの?と聞かれ、観ランだというとその周辺地図をくれた。感謝。このエージェントは素敵なおじ様だった。

13:30
じつは中国元の両替をしないとタクシーにも乗れない状態。。。中国では中国銀行か大きなホテルくらいしか両替できないが、意外と探すのに苦労する。町を歩き回り、人に聞きまわるうちに疲れてきてしまった。やっと見つけた銀行の長い列に並んでいると香港エージェントから電話。
”昨日受けた基盤会社が恵州の工場も是非見学してほしいというので時間取れますか、とのこと”
とは言ってももうスケジュールぎゅうぎゅうずめなんですけど、というと、
”月曜予定の面接は先方で他の方を決めたそうなのでキャンセルになりました。だから月曜に恵州へ行って下さい”とのこと。ん~、月曜の会社は第1志望。もともとホントに予定入っていたのかちょっとあやしい、と感じた。それに、その日恵州だと、毎日香港と中国本土の往復だからきつい、まとめて欲しい”
というと
”甘い、それぐらいやってください。それができないくらいじゃ●●会社(まだ約束取り付けていないが、アポをとってもらっている途中のとっても行きたい会社)だってやっていけませんよ、それも取り消しますか?”
とか
”華南地区は狭いから○○さん(私)が会社を途中で断ったら悪いうわさが他の会社にまで流れてしまいますよ”
とか言われた。
これって行きたい会社を餌にした脅し???悲しいけれどエージェントにとってあくまでお客さんは求人を出している会社であり、求職者は駒にすぎないんだ、と実感。

売り言葉に買い言葉。そこまで言うならぜんぶひっくるめてどこでも行きます!と宣言してしまった。

15:00
【file 3 観ランの電子基盤工場(日系)】
職種:セールスアシスタント
タクシーで一時間ほどの地区観ラン。ホコリっぽい街。
面接官は日本の本社から駐在という形で働いている2人(若い)
彼らは望んで中国へきたわけではないので、私のような中国で働きたい人間が不思議らしい。
”治安はよくない””日本に帰りたい”””仕事がおわって寮にいても何も娯楽がない”とでてくるのはネガティブ表現ばかり・・・。
日系顧客相手なので、中国語も英語も全く使用しないそう。
それは、私の目的とは違ってきちゃうんだ~!

面接自体は楽しく、明るい雰囲気で終了。語学チェックはなし。
お給料が結構良くて20万超えるくらい。寮と3食付。
残業多いが手当てはなし。←これは結構どこでもそうだ。

18:00
高姐のマンションの前のマックで一息ついていると高姐から電話がきた。”面接おわった?食事いくよ~”とのこと。マンションに戻りスーツから着替えようとすると、”そのままでいい”と言われた。本日の食事はちょっと高級そうな中華のお店。個室に入ると昨日会ったのソウさんと若い男性が5人。ソウさんの会社の部下だという。みんなそろって眼鏡に坊ちゃん刈り、こざっぱりしたスーツ姿。この辺の人は男性でも肌がきれいだな。
そのうちソウさんの妻と子供も登場。

料理が次から次へと出てきてめちゃくちゃ美味しくて感動した。白酒を何度も乾杯させられちょっと酔いがまわったけど、今日はみんなが話しかけてくれてとても楽しくすごした。これほど中国人の輪の中で心を砕いたことはなかったので高姐に感謝。シンセンは好きになった?と聞かれ返答に困ったけれど・・・。シンセン最後の夜。




●3月5日●


AM7:30

今日は香港に戻って面接なので朝早く高姐の家を出る。
ほんとにお世話になりました。
タクシーでシンセン駅に向かうが、タクシープールがすごく込んでいてなかなか降りれない。時間も迫っているし、メーターは時間でどんどん上がるしで、とうとうタクシーを降りて徒歩で駅へ。
イミグレーションの周囲で写真をとったら思いっきり怒られた。
土曜日だからか混雑していて焦った。やっとKCRに乗れたのが9:30

AM10:00
荷物預かり所がなかなか見つからなく、また今夜の宿泊地も未定なので、チムサーチョイのゲストハウスへ行くことを決意。かの有名な重慶マンションの2軒となり、こちらもゲストハウスで有名な美麗都ビルへ。客引きが女性だったのですぐに交渉。部屋をみせてもらうことに。14階の「萬興隆酒店」。一泊150HKドルなので期待はせず、まあ、おそろしく狭く汚いところ。鍵がかかるからいいか。すぐにスーツに着替え面接(新界)に向かう。


AM12:00
【file 4 東ガンの金属工場】
ポジション:通訳
ここは完全なる香港企業。ヘッドオフィスには日本人がいないので、初めて香港人との面接だ。始めにエントリーシートに記入。これは英語で。そして面接は早口の北京語でまくし立てる香港女性に圧倒。当社のHPは見ましたか?の問いにぎくりとする。受ける会社のサイトぐらいチェックしておくのは当然でしたね・・・、何を造る会社かもよくわかっていないんだから、失敗。。。
中国語と英語での質疑応答と自己PR(厳しい顔でずっと見られた状態で)、手に汗握った。

その後ペーパーテストを行う。

問(中国語)
顧客から製品の20パーセントの値下げ要求があった。どのように対処したらよいか自分の考えを日本語と英語で書け。

製造業未経験にとって、どうしたらよいか見当もつかない。とりあえず、7パーセント値下げの旨書いてみた。

30分後、先ほどの女性担当者ともう1人背の高い男性が入ってきた。彼は日本語喋れる。私の回答を見てコメントはひとこと”なるほどね。”・・・てどうなのっ?

それから日本語と英語交じりの会話が続く。
なぜなら緊張と憔悴のあまり北京語がうまく聞き取れないから・・・
”いったい北京語と英語どっちが得意なの?”
と聞かれるが、もうわかりません。。。

今度の月曜日、東ガンの工場に来ませんか?といわれる。その日は恵州だから無理です、と言ったのだが、そのアポイントの前に是非寄ってくれ、そしたら会社の車で恵州まで送るから、と言われた。もうこうなったら行くしかない。

PM2:00
帰り道、香港に住む友人(Tさん)から電話が来た。昔、天津の南開大学で先輩だった人。彼は留学後すぐに香港で働き始め最近独立したという。
今回の転職活動は彼には知らせていなかった。頼っては申し訳ないし、甘えてしまったら自分のためにもならないと思ったからだ。

”おめーはバカか!なんで事前に連絡しないんだよ。そうしたら何件か知り合いの会社にアポイントとっておいたのに。”
早速、チムサーチョイの彼のオフィスで叱られる。
今までの工場見学で感じてきた不安を伝える。

”シンセンの工場現地採用には反対だ。仕事で工場もよく回るが、たまに留学帰りの現地採用の日本人の若者を見かける。厳しい環境の中、(日本に比べて)安月給で雑用的な残業も多く、みんな後悔している。工場内の寮ではストレス解消の場がないし、かといって外に出ると治安が悪い。そのうち精神的にもおかしくなる。若い女性が働くところではない。女が終わる。働くなら香港だよ”

そういいつつ10件くらい知り合いの会社に求人があるか電話をしてくれた。
求人募集しているところで最初に聞かれるのが専門分野と労働ビザの有無。ビザなしを伝えると一様に”それじゃあ難しいかも・・・”と言われる。エージェントに登録したときも香港勤務が第一希望だったのだが、結局紹介されなかったのはそれが一番のネックだったからだ。
今日は土曜日。香港では休みの会社も多い。火曜の朝に帰国するので、実質的な活動は月曜日のみだ。

”うちで雇えたらいいんだけど、いまのところ自分が生活できるギリギリなんだ、すまない”彼と共同経営者Gさん(この人も北京で留学していて一度会ったことがある)と香港人の経理の女性の3人だけの小さな会社。とてもそんな無理を言うわけにいかない。気持ちだけでもう十分ありがたい。


PM11:00
食事に出たあとでTさんとGさんがシェアしているアパートを訪れる。SOHO地区の真ん中で広いリビングに2ベッドルーム。香港で働いている日本人の溜まり場になっているそうで、この日紹介されたのはカリスマ美容師(日本で有名なヘアサロンの)と香港ディズニーランド製作中のデザイナーさん。二人ともスペシャリストだ。Tさんが二人にも”なんかこの子が働ける場所ないですか?何か情報あったら教えて”と頼んでくれた。

夜中までTさんちで飲んだ後、ゲストハウスに戻る。
ベッドが砂っぽくてザラザラだ。スプリングが飛び出ていて痛い。
が、疲れたので熟睡。



●3月6日●


日曜日なので転職活動もお休み。
こっちにきてから移動がタイトなのと緊張で疲れていたようで、悪環境の中でも昼過ぎまでぐっすり寝てしまった。

今日は香港をぶらぶらしてのんびり過ごすことにする。
香港島側、セントラルのミッドレベルエレベータに乗り、SOHOで雑貨を見たりお茶したり、コーズウエイベイでお買い物。SOHOは香港人より白人の方が多いのでは?独りだと当然無口になるので店員と世間話をしようと試みる。

香港ではほとんど英語を使う。英語は非英語圏同士聞き取り易いのだが、北京語は広東語なまりで聞きとりづらいのだ。


現地で働く目で見ると、香港の物価は結構高い、と思う。観光ならば4日間で使ってしまうぐらいのお金で1ヶ月暮らさなければならないのだ。

PM8:00
Tさんが食事に誘ってくれてたので、またセントラルへ向かう。
TさんとGさんと香港育ちの日本人AさんAさん母、Mさんと妹のJさんの7人で火鍋を食べにションワンへ。火鍋は海鮮もお肉もほんとおいしくて、苦手な羊もぺロッとたべられました。ダシとたれが絶品。
空港勤務のMさんに香港就職事情を聞いたところ、やはり募集もビザホルダーのみらしい。ただ、友人にビザなしで仕事をしていて会社に気に入られてそのあとビザを取ってもらった人もいるとか。
”香港はまだ日本人の需要が多いと思う。諦めないで探し続ければきっとあると思うよ”
の言葉。
ここで出会った人たちはみんな考え方が柔軟で、思いやりがあり、面白い。


自分の中で、シンセン工場勤務をやめたい気持ちがどんどん高くなっていく。
香港で働きたい。
私は最初のアプローチを間違ったのだろうか・・・・。
また夜中に帰宅。自分の今後の身の振り方についてあれこれ考えをめぐらすとなかなか眠れない。明日の2件の工場見学はやめてしまおうか・・・


●3月7日●

夜中に何度も目を覚まし寝付けないまま朝を迎えた。
シンセン工場で働くことはやめよう、と結論を出した。
今日の広東省の二つの工場見学はキャンセルする。

AM7:00
8時にに香港のイミグレを越えたところで待ち合わせをしていた香港の担当者の携帯へ電話をし、東ガンへは行けない旨伝えた。わりとあっさり”そうですか”と言われたが、申し訳なかった。

AM9:00
香港のエージェントへ電話をし、恵州へはいけない旨伝えた。
途中気まずくもなったが、このエージェントにもお世話になった。

と、いうわけで今回の旅に関しては職を探すことをやめた。
どの会社の担当者も皆丁寧だったし、自分のために時間を割いてくれてありがたかった。仕事内容もそれなりにやりがいがありそうだった。一番のネックは実際のシンセンの状態だった。

今日一日ヒマになってしまったので観光客気分を味わうことにする。

AM10:00
「糖朝」でマンゴープリンとお粥で朝食。いつも日本人観光客のツアーで混んでいるのだが、この日は空いていた。

AM11:00
DFSめぐり。
香港エージェントから電話。
基盤工場から採用したいとの連絡があったそうだ。”ほんとうにお断りしていいんですか?”と言われたが、断っていただいた。残念。うれしい。申し訳ない。

PM1:00
足つぼマッサージ

PM2:00
ハーバーシティ

PM4:00
セントラル、ランドマークでお買い物

PM6:00
Tさんから電話。おととい電話したところの一つで求人があるとの情報。
さっそくTさんOfficeに行き、さっそくその日系商社の担当者に電話してみる。
”会計か仕入れの経験はありますか?”
”ビザはありますか?”
どちらもNO。”とりあえず履歴書おくってください”望み薄な雰囲気だ。

PM8:30
Tさんとコーズウエイベイに食事に行く。モダンな沖縄料理の店。
”今日は人脈豊富な人たちを紹介するよ”
というわけでアルゼンチンとハーフのPさん、酸素バーを経営しているYさん、イタリアとハーフのTさん、日本語教室を開いているSさん、そしてこのお店の店長Mさんを紹介してもらった。それぞれ香港で仕事をしている同年代か少し上ぐらいの人たち。”もし希望があれば、ここで働けるかオーナーに聞いてみるよ”と店長。
豚シャブと泡盛で結局深夜2:00くらいになってしまった。
香港最後の夜は更けていった。



●3月8日●


香港・シンセンともきょうでお別れ。
転職活動も一時休業です。

AM6:00
ゲストハウスをチェックアウトし空港へ向かう。
激安航空券なので早いフライトなのだ。

AM7:00
エアポートエクスプレスのある香港駅でチェックイン。
本当に便利。

AM7:30
香港国際空港着。厳しい出国審査を経て飛行機へ登場
さようなら香港!

~今回の職探しの旅で感じたこと~
○中国(シンセン)での職探しは、条件にこだわらなければ案外簡単に探せる。
むしろ工場は人材不足で買い手市場だと感じた。
ただ、本当にやりたいことをするにはかなりの労力と運と専門スキルが必要。
○中国で就職する際、語学力がそれほどなくても仕事はけっこうある。
○香港とシンセンは全然違う!←昔(6年前)訪れたシンセンより、かなり発展し、香港に近づいているはず、と予想していたがあくまで昔ながらの風景だった。
○半年ぶりの香港だが、寒いせいもあってか、以前のような街に熱気が感じられなかった。香港が娯楽の街ではなく職探しが大変な街、になってしまった。それでも好きだけど。
○香港で働く日本人(面接官、友人達)は皆、即断即決型。精神的にタフだった。
○シンセンで起業している中国人たちも行動力があって頭は常にビジネスのことばかり。
○人脈って大事だ。職探しはもちろんのこと、今回お世話になった高姐やTさんたちがいなければこの疲労とハイプレッシャーは乗り切れなかった。
○初対面の人に会うのが楽しくなった。
毎日毎晩いろいろな人に初めて出会ってきたが、知り合い、話し、打ち解けていくのが快感になってきた。日本では結構めんどくさいな~と思ってしまっていたが。


今後中国で仕事を探すかどうか、今のところ半々、だと思う。

~これから~

○今回のことで日本での現在の仕事が恵まれている(給与・福利厚生・ポジション等、語学以外の面では総じて)、と感じたのも確か。今の仕事をやめて退路を断たない限り比べてしまうだろう。
英語と中国語を使う部署へ配属願いを出してみようと思う。
○日本でもっと中国語・英語を磨いて、語学のスペシャリストとして転職するのもありかな、とも思う。
○それでも中国への気持ちが強いので、今度は北京・上海あたりで探してみようとも思っている。


”年齢的に、今いかなくちゃ”、と”実力とやる気があればいつでもいける”その二つの間で揺れ動いています。

ちょっと日本に帰ってゆっくり考えてみよう。


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