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chery2974のブログ

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気憶・思い出

2015年10月26日
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カテゴリ:気憶・思い出


ピクセルきげんHalloween2015.png


先日からほくろ毛について書いているが、

ほくろにまつわる、小学生の頃のあまり懐かしくない思い出がある。


私は、小学校5年の初めに、K市内のT校から同じ市内のM校へ転校した。

5年生と言えば、思春期に入り、

オシャレや自分の容貌についても関心が深まり始める頃だ。

新しく入ったクラスに、O君というこましゃくれた男子がいた。

我慢できないほくろ毛 にも書いたが、私の顔には割に目立つほくろが3個ある。

さすがに、毛は生えていなかったが泣き笑い


O君は、私を見かけると寄ってきて、顔のほくろを指さしながら、

1、2、3、と声に出して、歌をうたうように数えるのである。

これをやられると、わたしは、内心むかついていたが、

歯向かうと、O君はますます囃したてるので、

ふん、とそっぽを向いて無視してやり過ごした。


その後、ある事件が起こり、私はその当事者であったが、

ご多分に漏れず、その際にも、O君にからかわれた。

その事件では、わたしは心に深い痛手を負った。


小学校5~6年頃は、人とのかかわりに関して

いい思い出が残っていない、私にとって暗い時代でもあった。





 


bn-88-kigen紀元のタグ.jpg






Last updated  2015年10月26日 15時17分18秒


2015年09月05日
カテゴリ:気憶・思い出

 


 

直木賞を受賞した東山彰良さんが、

福岡県の小郡在住の作家であることは、

全く知りませんでした。

地元では、評判になっているらしく、

さらに本の内容が、「王様のブランチ」などでも

絶賛されているようなので、

楽天ブックで購入して読みました。

東山氏は、台湾出身の作家です。

 

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本の感想は、次回レビューに書くとして、

この「流」を読んで、なつかしく思い出した、

李さんという女性のことを

少し書いてみたいと思います。

 

まだ、店舗を借りて商売をしていた頃、

李さんという中国の婦人が、ウチでパートで

働いていたことがあります。

お向かいのアパートに、厳さんという名のご主人と、

名前は忘れてしまいましたが、

3歳の男の子と一緒に住んでいて、

ご主人は中国からの留学生で、九州大学の研究室で

勉強している人でした。

李さんは、日本語はぺらぺらで、仕事もてきぱきとこなすし、

なかなか愛嬌もありました。

根が話好きなのか、中国の家族の話なども熱心にするので、

私は彼女の口から、中国の家庭の在り方、

人の考え方などを、自然と知るようになりました。

頼まれて、博多港の税関に通訳に行っていたこともあり、

なかなか頭の良い人でした。


厳さんの留学期間が終了して、中国へ一時帰国しましたが、

その時は、あまり帰りたくなさそうでした。

中国では、一人っ子しかダメだけど、

日本にいれば、子供をもう一人産むこともできるのに、と

残念がってたのが、印象的でした。

 

2年ほどして、李さんから電話がありました。

厳さんが日本の企業に就職したので、

現在横浜に住んでいるのだと。

そして、李さんはその後、念願通り、

もう一人子供を産んだのでした。

甘えん坊だった上の男の子も、

もう20歳くらいになってるでしょう。


あのころ、李さんにご馳走になった水餃子は、

ぷるぷるしてて、とても美味しかった。

でも、体にいいからぜひ飲むように、と貰った熊胆は、

苦すぎて、私は苦手でしたショック

あの熊胆は、本物で高価な品だったのですけどね泣き笑い



 

                  紀元gomadango 50%.png








Last updated  2015年09月05日 23時02分35秒
2015年09月01日
カテゴリ:気憶・思い出



思い出や、さまざまな過去の出来事を

取り留めもなく思い出していると、

あの人は今頃どうしているだろうか、と

気にかかる人が、一人二人いたりして、

またしても、記憶の海へ船出してしまうのである。



高校時代の読書記録 に

「高校演劇脚本」というのがあった。

1年次の9月に借りだした本である。


高校初めての夏休みが終わり、

文化祭で、クラスの出し物を何にするか

決めなければならなかった。

私たちのクラスは、

芸術科目が音楽選択のクラスだったので、

   無難に合唱がいいのでは、と決まりかけていた。


 その頃のわたしは、気持ちがうらぶれることもなく、

   高校生活に、希望を抱いていたように思う。

今では、その時の自分の積極性に、

首をかしげてしまうのだが・・・

「合唱は、3学期に合唱コンクールもあるし、

何か他の出し物がいいのではないか、

      例えば、劇はどうだろう。」 と、提案したのだった。


なぜか、私の意見がすんなり通ってしまい、

    言い出しっぺの私が、脚本、配役選びから監督まで

引き受けることになってしまった。

       その時参考資料として借りたのが、

「高校演劇脚本」である。


   劇の内容は、夜学の先生と生徒の話であった。

私が、先生役に選んだのがA君だった。

A君は、澄んだ目が理知的な印象で、

   声や喋り方にも落ち着きが感じられる人だった。

身長は高くなかったが、男子の中では、

大人びた雰囲気を漂わせていた。

      生徒役には誰たちを選んだのか、ほとんど覚えてない。

A君だけが、印象深く残っているのだ。


当時、私は文芸部に所属していた。

クラブの方は、与謝野晶子の

研究発表をすることになっていた。

     部員数わずか7名なので、こちらも手が抜けなくて、

わたしは、八面六臂の忙しさであった。


文化祭本番、クラスの劇発表では、

S君が、突然飛び入り参加して、

  アドリブで、演技とセリフを加えてしまうという

ハプニングがあったが

それがかえって、観客に受けたのだから、

 私が用意した台本だけでは、

 盛り上がらなかっただろう。

 

   S君の行動は、前もって準備していたのだと思う。

私に、何の相談もなかったのは、

私が中心になって、事が運んでいるのが

きっと、面白くなかったに違いない。


その時は、S君のとった行動について、

深くは考えなかった。

クラスの出番が終わると、早々に私は

クラブの発表室の方に移動したから。

  (S君の事は、いずれ書く機会があるかもしれない)


A君は、私の予想した通り、

         本番の舞台でも、先生役がぴったりはまっていた。


  A君は、男子にしては珍しく、読書家でもあった。

      スタンダールの「赤と黒」や、トルストイを読んでいた。

A君とは、その後よく話をするようになった。

クラスでは、私たちの仲が囁かれていたが、

私たちには、そういう思いは全然なかった。

2年生に進級してクラスが替わり、卒業し、

それ以来、全くA君を見ていない。


A君が交通事故を起こした記事を、

新聞で見たのは、もう30年も前の事。

登校中の小学生姉妹を車ではね、

一人が死亡、一人が重体だった。

被害者遺族との示談がなかなか成立せず、

   かなりもめている、という噂を風の便りに聞いた。


当然、同窓会に顔を見せることはなく、

その後、どうなったのかはわからなかった。

10年ほど前の同窓会名簿作成により、

ようやく住所が判明した。

彼が生きていることは、はっきりした。


20代で引き起こした交通事故で、

A君の人生は大きく狂ってしまい、

    逼塞した生活を送らざるを得なかったに違いない。


   A君に、笑顔が戻った日はあるのだろうか。






 








Last updated  2015年09月01日 19時28分20秒
2015年08月07日
カテゴリ:気憶・思い出




小学校の低学年ころまでは、

私もまだ、無邪気な笑顔を

見せる子供だったと思う。


K市のU町に住んでいた時分だ。

幼い頃に見た汽車のこと でも書いた

鉄道が走る風景が、日常だった頃。


この家に越してきたのは、小学校1年の5月。

入学したばかりのS小学校で、まだ友達もできないままに、

U町の学区であるT小学校に、私は転入させられた。


この学校に馴れるのは、存外早かった。

友達もすぐにできたし、6~7歳の女の子に

世間の風評などは耳に入る事もなく、

ただ無邪気に遊び、学校の宿題をしていれば

一日は平穏に過ぎていったのである。

隣には、私より1歳上の子と1歳下の子の姉妹が住んでいて

この姉妹と毎日、陽が暮れるまで遊んだ。


「こんにちは 赤ちゃん」の歌が、

テレビから流れている頃、おとうとが産まれた。

男の子なのに色が白、、目がぱっちりとした赤ん坊は、

よく女の子と間違われた。


私は、それまでも時々おねしょをする子だったが、

この頃、その回数が増えていた。

朝目覚めると、下半身の冷たさに、はっとする。

そっと体を起こして、自分が寝ていたシーツに描かれた

世界地図を目にするたび、私は愕然とした。


ただでさえオムツの洗濯で大変なのに、洗い物は増え、

重たい布団は干さねばならず、

母はイライラして、その度に私はこっぴどく叱られた。


朝から母に怒られしょんぼりしていても、

学校に行けば楽しくて、私は学校が好きだった。



ぽっかぽかs-0795.png



 


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Last updated  2015年08月07日 23時01分58秒
2015年08月05日
カテゴリ:気憶・思い出









少しずつ不用品を処分しているのだが、

今日は、書類などしまっている棚の奥から、

思いがけないものが出てきた。


それは、カギつきの古い日記帳。

誰にも読まれたくなくて、

鍵のかかるものを選んだに違いない。


結婚してからは、その心配がなくなったのか、

カギをかけない状態で、保存していたもよう。

カギの方は、見当たらない。



高校1年の1月から書き始め、

2年生の10月18日を最後にやめている。


ぱらぱらと拾い読みしてみた。

青インクで書かれた行間からは、

若き日の鬱屈が、立ち上ってくるようだ。


忘れてしまっていたけれど、

私は、恋する乙女でもあったようで(笑)

男子の名前が、ぽつぽつ登場する。


初っ端に登場する想い人は、先輩のクラスメートで、

私は、その人に憧れを抱いていた。

何とかして口をききたい、親しくなりたいと

心を悩ませながらも、

自分の心理を、分析してみたりもしているから、

読んでいて、へんにまどろっこしい。


ある日の日記には、太宰治の

こんな言葉を引用している。


好きと口に出して言う事は恥ずかしい。

それは、誰だって恥ずかしい。

けれども、その恥ずかしさに目をつぶって、

怒涛に飛び込む思いで、

愛の言葉を叫ぶところに、

愛の実態があるのだ。



このフレーズは、この年になっても

わたしの、心の琴線に響いてくる。





fioreAS






Last updated  2015年08月06日 00時29分56秒
2015年08月04日
カテゴリ:気憶・思い出




不用品の整理をしていたら

懐かしい写真が出てきました。


阿蘇のキャンプ場にて

  • 女子P1040084.jpg

高校時代、夏休みに開催された、

部活単位のキャンプに、参加した時のもの。

文化系クラブの私たちには、めったに体験できない、

アウトドアイベントでした。


近くにテントを張ってた、

熊本の菊池高校の男子たち下向き矢印

  • 男子P1040083.jpg


後日この中の3人が、福岡の秋月に遊びに来た際に、

皆で会いました。

彼らも、すっかりおじさんになってるでしょう。

今逢っても、わからないだろうな~大笑い


キャンプは、夏休みに入ってすぐのことでした。

帰りの汽車では、みな心地よい眠りについてしまい、

眠れない性質の私は、向かい合わせに座った

我が校の体育講師と、ずっと喋っていました。


そして、この偶然の時こそが、楽しく過ぎるはずだった夏を

ほろ苦いものにしてしまう、ページの幕開けだったのです。


その事については、またいずれ、書くことになると思います。




今日で、ブログを書き始めて、まる2年がたちました星

最近では、アクセス数も少しずつ増えてきています。

独りよがりな私の、つたない文章を

読んでくださっている方々、

こらからも、どうぞよろしくお願いします。 


canc






Last updated  2015年08月04日 23時01分09秒
2015年07月27日
カテゴリ:気憶・思い出





先日の土用の丑の日は、スーパーでもウナギがよく売れていた。

蒲焼にされてパック詰めになっている鰻を買う人たちを見ていて、

私は、ずっと昔の、あるシーンを思い出していた。



義祖母と紙の着せ替え人形にも書いた、

祖母の家(養母の実家)では、おじ(養母の兄)が、

鰻やハヤなどの川魚を、近くの川で獲ってきていた。

今ではすっかり高値になってしまった鰻だが、

50年前には、川で普通に獲れていたのだ。

鰻をさばくのは、おじよりも祖母の方が上手かったと思う。


生きたままの鰻の頭を、太い千枚通しでひと息にグサッと突き差す。

鰻は逃げようとのた打ち回るが、暴れる鰻を

祖母の手がすっとなでると、鰻はおとなしくなる。

それから、何のためらいもなく素早く、開いていく。

その手際のよさは素晴らしくて、見惚れるほどだ。

まな板の上に長々と伸びている、うなぎの腹が、

今でもまざまざと目に浮かぶ。

開いた鰻は七輪に網を載せ、焼いていたと思う。


脂がしたたり、香ばしい匂いが立ちこめてたはずだが、

私の記憶は、味覚や嗅覚よりも、

さばかれながらも、もがき動いていた鰻

つまり、視覚の方が強く印象に残っている。

今は鰻は好物だが、この頃は、

ハヤを甘辛く煮つけた佃煮の方が好きだった。


  • 甘木でP1040061.jpg


祖母の家にはいけすがあり、おじが獲ってきた魚たちは、

しばらくそのいけすの中で、泳いでいたこともあった。


おじには娘がふたりいたが、男の子に恵まれなかった。

そのせいか、私の弟をたいそう可愛がり、遊びに行くと

すぐさま抱きあげて、弟が好きな牛乳を買いに行くのだった。


そのおじは、弟が4歳の頃、バイクに乗ったまま小川に落ち、

打ち所が悪くて、あっけなく亡くなった。

現場を見に行った家族は、

「水かさも少ない、こんな小さな川で死ぬなんて」

と、おじの突然の死が信じられず、たいそう悲しんだ。





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Last updated  2015年07月27日 18時57分26秒
2015年07月14日
カテゴリ:気憶・思い出




  先日、おねだり苦手、甘え下手な性格のことを書いた。

7月11日の日記


今の私は、物欲は強くない人間だと思う。

だが、幼い頃は、物に対する執着心の強さを

持ち合わせていた、と思われるエピソードがある。


小学校、1~2年の頃の話。

養母の実家の母親(母も養女だったので、継母だが)、

つまり私の義理の祖母が、息子夫婦と喧嘩して、

我が家にしばらく居留した事があった。


この祖母の家には、私と同じ年頃の姉妹がいたので、

夏休みには、必ず泊りがけで遊びに行っていた。

祖母は、昔、小料理屋(一杯飲み屋)を営んでいたことがあり、

その道の人らしい雰囲気の人だった。

気性が強く、物言いにもそれが出ていたので、

私は、怖くて近づけなかった。


その祖母が、私に、欲しい物を買ってあげると言った。

それまで、飴玉の1個すら、買ってもらったことが

なかったから、とても驚いた。


近所の駄菓子屋さんへ、祖母と母と連れ立って行った。

そして、着せ替え人形と塗り絵を買ってもらった。

着せ替え人形と言っても、厚紙に描かれたカラフルな絵の人形や

洋服などを、切り取り、いろいろな服を着せ替えて遊ぶのである。



 

私は、買ってもらったものを大事に抱え、

これから訪れるだろう素敵な時間に

胸をわくわくさせていた。

そうして、帰り着くなり、袋から取り出して、

かわいい人形や、きれいな服の絵に、しばらく見惚れていた。


「ちょっと、見せてごらん」・・・祖母の言葉に、どきりとした。

大切なものを胸に抱き寄せて、

わたしは、瞬時に固まってしまった。


そばにいた母が、「ばあちゃんが見たいってよ。」

「・・・・・・・・・・・」

「ちょっとぐらい、いいじゃないの。ほら、貸してごらん。」


いま、渡してしまったら、きっと、もう戻ってこない。

・・・・・そう、強く思った。


「いや!、 いやだ!!

思わず、激しい声で叫んでいた。

見る見るうちに涙が溢れ、すぐに嗚咽となり、

私の泣き声は止まらなくなってしまった。


そんな私の姿を、母も祖母も、呆然とみていた。

結局、何ひとつして、さわらせなかった。


これが、義祖母との唯一の思い出である。


こんな依怙地な子供だったから、

私は、まわりの大人に可愛がられることはなかった。





  

 

 

 




 


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Last updated  2015年07月14日 23時37分13秒
2015年07月13日
カテゴリ:気憶・思い出












あの、手作りの布団を、私は、いつ失くしてしまったのだろう。

大切な宝物であったはずなのに・・・


表が紫色、裏側がきれいな山吹色の生地で、

中には均一に綿が詰められ、

ところどころ、同色の絹糸で丁寧に綴じられていた。

人形が寝るのに、ちょうどよい大きさに

しつらえられた、お手製の布団。

毎晩、自分の布団の横に敷いて、

セルロイドの人形をそっと寝かせた。


 目が覚めると、布団は剥がされ、

人形だけが別の場所に転がっていたりしたが・・

 たいそう寝相が悪かったので、眠っている間に、

人形を跳ね飛ばしていたのだろう。


幼い私のよすがだった、けし紫色の小さなお布団。

霧の彼方の薄ぼんやりした記憶・・・

数人の女性と、ハサミ、針山、布。

・・・・そして、ミシンを踏んでる母。

 

初めて気づいた。

私が紫色を好むのは、訳があったのだ。

 





 








Last updated  2015年07月14日 00時28分10秒
2015年07月08日
カテゴリ:気憶・思い出









 あれは、いつだったか。

下校中に、女の人に声をかけられた。

はっきりと 私の名を呼んだその人が

実の母親だとすぐにわかった。

このとき、私は母親の顔をまだ覚えていたようだ。


その人は、喋りかけながら私に近づき、紙包みを渡そうとした。

わたしは、それを受け取ったか、取らなかったか

記憶があいまいで、はっきりしないが・・・

ともかく、私はとっさに逃げた。

そして、後ろも振り返らず、自宅までいっきに走った。

胸がどきどきしていた。

それから、下駄箱に紙包を隠したような気もするから、

私は、紙包を抱えたまま逃げたのだったか。



もう一つ記憶している場面が、先に書いた場面の

続きかもしれないが、さだかではない。


実の母が、我が家にやってきた。

父と何やら話したあと、途中トイレに入った。その隙に、

母が、「あの人を早く帰せ」 みたいなことを父に言っていた

あのシーンでの、私の立ち位置は不明瞭だ。

実母から話しかけられても、口を閉ざしてほとんど、

何もしゃべらなかった気がする。

実母が帰ったあと、父をなじる母の声が

2階にいる私の耳に、しばらくの間、聞こえていた。

紙包みの中身は、文房具セットだった。

だが、それを使った記憶は、やはり無い・・・



あの時、わたしは、実の母からなぜ逃げたのか。

「今からは、この人をお母さんと呼びなさい」と、

父に言われた日から、

ほんとうのお母さんには逢ってはいけない、

忘れなくてはいけないのだ、と

こども心に思い込んでしまったのか。


私は、知らず知らずのうちに、いわゆる

マインドコントロールを受けていたのかもしれない。






 

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Last updated  2015年07月08日 18時55分01秒
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