朝の随想1 -町おこしのきっかけ-朝の随想1 「町おこしのきっかけ」<まちづくりのきっかけ> 「町屋の人形さま巡り」「町屋の屏風まつり」など、近年、村上では「町屋」を活かした町おこしの取り組みが活発に行われています。 全国から注目される町おこしとなり、今や十数万人もの人が訪れる村上を代表する催しに発展したわけですが、これらの取り組みは、単に町を元気にしたいというような一般的な気持ちから始まったことではありませんでした。 <近代化への危機感> 実は今から9年前に、町屋の多く残る旧町人町、今の商店街なのですが、ここに大規模な近代化の話が持ち上がったのです。 ところがその2ヶ月後、たまたま私が東京で、会津若松で町並み保存運動をしておられる五十嵐大祐さんという方とお会いした時のことです。 「村上の素晴らしさは城の址、武家町、町人町、寺町という城下町の四大要素が残っていることです。 このような城下町は全国的にも珍しい。 そのうちの町人町が近代化されるということは城下町の価値を著しく失うばかりでなく、道路を拡幅して成功した商店街など全国に一つもない。 大変なことになってしまう。あなたがそれを食い止めなさい。」と言われたのです。 <葛藤の末> 当時、近代化を強く願う人がほとんどで、絶対実現しようと商店街にはピリピリとした空気が漂っていました。 そんな中で近代化に異論を唱えることなどとてもできるものではありません。 しかし、もし言わなければ、取り返しのつかないことになってしまう。 この葛藤の中で気持ちは非常に重くなり、その晩なかなか寝つくことができませんでした。 体から汗が流れ、眠れぬまま悩み続け夜が明けたころです、「今、村上の危機を伝えなかったら一生後悔する。勇気を出して言おう」と決心したのでした。 <一度目の挫折> その後、意を決して近代化の見直しを訴えたのですが、聞き入れてもらえるものでなく、話は近代化一本やりで進んでいきます。 何とか止めなければという思いで、近代化反対の署名活動を始めました。 しかし、すぐさま商店街の人達にも知れ渡り、烈火の如く怒られました。 私はそれまで商店街の活動は何もしてこなかった人間です。 突然、反対運動を始めたのですから、一生懸命やってきた商店街の人達が激怒するのはもっともなことでした。 近所の人達から怒られ、非常に苦しい立場になってしまい、やむなく署名活動は撤回したのです。 <発想の転換> その時です、私は進む方向を変えました。 「歴史の町を活かして活性化した町は全国に沢山ある。 村上はそれができる可能性のある町だ。」という五十嵐さんの言葉を思い出したのです。 「そうだ反対という否定的なやり方ではなく、この歴史の町を活かして町を活性化させよう。 町が元気になる姿を目に見える形で示すことで、きっと市民の意識が変わるはず。そうすればこの近代化計画を変えることができるかもしれない」と思ったのです。 <まちづくりの始まり> 町を活性化させることが私にとっては町を守る唯一の手段であり、商店街の人からも理解してもらえる日がきっとくると信じ、町おこしの活動が始まったのでした。 組織も仲間もなく、不安と孤独の中で始まった私の町おこし、平成10年夏のことでした。 |