朝の随想3 -男の美学-朝の随想3 「男の美学」<村上嫌い> 私は偶然の出会いがきっかけで、町屋を活かした町おこしを始め、8年が経ちました。 東京の大学を出て、村上が好きで戻ってきたら、町は様変わりし、商店街は人通りも少なくなっていて、「こりゃ大変だ」と思い、商工会議所や商店街活動を活発にやって町おこしをしてきた男だと、私は思われているようですが、全くこれの逆でありました。 ここだけの話ですが、実は私は村上のことが嫌いで、村上にだけは絶対に戻りたくないと強く思っていたのです。 逆に昔から国際的なことに憧れ、大学時代には一年休学してカナダに渡り仕事をし、帰国後は東京の商社で貿易の仕事をしていたのです。 <誓い> もともと私は次男坊なので好きな道に進めと言われ、一つ年上の兄が家業を継ぐことになっていました。 家業は、村上の伝統文化である塩引き鮭や鮭の酒びたしといった鮭料理を、製品として加工販売しています。 ところがなんとその兄が戻る直前になって跡を継げないと言い出したのです。 その時は父にとって非常に苦しく大変な時期でした。 今すぐにでも戻らなければいけない状況だったのです。 突然訪れた事態に私は悩みながら、その時ふと大学時代のある友人のことを思い出したのです。親のすねをかじり、好き勝手し放題のドラ息子だったのですが、母親が倒れた時に事業をしていた両親を助けるためすべてを捨てて田舎に戻ったのです。私はその決断のいさぎよさに感動し、その姿に「男の美学」を感じました。 「もし親に何かあったら俺も一生に一度、親のために」と心に誓ったことがあったのです。 <男の美学の実践> まさか本当にこういった事態が訪れようとは思いもしませんでしたが、村上へ戻ることへのためらいを感じながらも「今この時が、男の美学を実践する時なんだ」と決意し、村上に戻ったのでありました。 親を助けるというその一点で戻ったのですから、商店街のことや、まして町おこしなどは、関心もなければ関わりたくもなく、町の会合があってもあまり出ず、出たとしても隅にいて意見も言わずに、こっそり帰ってくる、という感じでした。 村上に戻ったのが平成2年の秋、私が26歳のときでした。 町おこしを始めるまでの7年間、私は朝から晩まで休む間もなく家業に没頭し、家業だけを考える毎日を送っていました。 そんな私が人との出会いがきっかけで、ある日突然「町屋を活かせ」と町おこしを始め、いつの間にか「村上は素晴らしい町です」とか「商店街を活性化しなければ」と言うようになってしまったのですから、つくづく人生とは面白いものだと思いました。 村上に戻り家業を継ぎ、村上の文化にたずさわりながら、地域のために活動できていることは、東京で夢を描き過ごしてきた人生より、はるかに豊かで、また刺激的であり、とても幸せなことだと感じております。 |