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テーマ:相撲(2066)
カテゴリ:紫Goods
1980年代の名大関・北天祐、二十山親方が死去しました。ことし春場所、多発性脳梗塞で緊急入院、その後闘病生活を続けてきましたが、腎臓がんのため都内病院で急逝。まだ45歳の若さでした。
私が、アニメが見たいと父とチャンネル争いするのを卒業して、大相撲のほうを見るようになったころは、まさに横綱千代の富士時代でしたが、私はちっちゃい千代の富士より、若嶋津とか北天佑とか、男前の大関のほうが断然好きでした。 千代の富士とともに当時権勢を誇っていた北海道勢の北天佑でしたが、どうしてもいま一歩抜け出すことができず、横綱にはなれませんでした。そんなところも、強過ぎて威張っているように見えた千代よりよかったりして、私の相撲事始に欠かせない力士の一人でした。 主な記録(infoseekのニュースより写し) ◆二十山勝彦(はたちやま・かつひこ)本名・千葉勝彦。1960年(昭35)8月8日、北海道室蘭市生まれ。76年に三保ケ関部屋に入門し、同年春場所初土俵。80年夏場所で新十両、同年九州場所で新入幕。83年夏場所で初優勝し場所後に大関昇進。貴ノ花に次ぐ史上2位タイの大関在位44場所の記録を残し90年秋場所で現役引退。94年夏場所後に三保ケ関部屋から独立し幕内白露山らを育てた。通算成績は645勝413敗47休、幕内は513勝335敗44休。優勝2回、殊勲賞2回、敢闘賞4回、技能賞1回、金星3個。得意はつり、寄り。 二十山部屋の力士11人と呼び出し1人は、同門の北の湖部屋へ転属。ご冥福をお祈りいたします。 二十山親方の早過ぎる死それ自体も悲しいことですが、やはり力士は短命というイメージが広がることも残念なことです。冬に倒れて一時容態が危ぶまれました元大関貴ノ浪の音羽山親方は復帰を果たしましたが、力士、元力士問わず、相撲協会全体で健康管理を徹底して長命化を図り、力士になることは決して健康リスクを負うものではないことを、これから入門する子供たちに示していってほしいと思います。 大関という名前の紫檀座卓です。 アジア最後の砦韓国も予選敗退。ニュースで見た韓国サポーターも、日本同様、代表に温かいですね。この優しさが、いま一歩の弱さなのかもしれません。でも、フーリガンよりいいじゃないですか。もっと強くなって、4年後ともに南アで旋風吹かせましょう。 しかし、アジア枠減らされそうです。FIFAの偉い方、次回からアジア予選に加わる豪州をアジア扱いにしてください。お願いします。 川淵さんがうっかり J2神戸は0-0引き分けで惜しくも3倍ならず。 25日午前0時から26日午前9時59分まで お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月24日 22時36分15秒
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