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本日1個前日記で挙げました光浦さんインタ♯3に「日本語を上手に駆使する」とあって、光浦さんはご自身の反省に向けていらっしゃるのですが、日本語できる人って自分に言い訳するだけならまだしも、人を言い負かすのに言葉を駆使する人がこのごろ多いなと感じます。
以前いじめと国語得意不得意の関係の論争があって、国語不得意でいじめる人は想像力が欠け思いを伝えるのが上手くないというのに対して、国語得意でいじめる人のほうが巧妙で質が悪いという反論だったように思います。 ネット上眺めていると東京オリパラやめちまえと言っている人たちのほうが言葉がお上手とお見受けします。上の人はばがあほだし一連の不祥事はだめなのも当然、批判的精神はいいことだ、権力の暴走を看過してはいけない、けど何でそう言葉を使って世の中を暗くしようとするのかな、オリパラに携わる少なくない数の人とその家族友人知人に心苦しい思いをさせたり、競技楽しく見たいけど心が晴れないとか思う人をたくさんこしらえて、と思うのです。 もう今夜開会式なので明かしますと、たった1回でしたが組織委員会のお仕事が回ってきて、ああ私これで関係者になっちゃったからあんま賛否とか表明できないなあ、という状態でした。あのとき感じた中の人たちの情熱と外の温度差は非常に大きく、今日まで私をもやもやさせました。これ簡単にやめちまえとか言えないなと。私がやめちまえに与しないのはそういうことです。 私は日本語というか国語しかできないポンコツ文系で日本語をガー打ち込んでホイを生業にしているので、わずかでも世の中の一隅を照らすためにたいしたことない私の日本語の力を駆使したいと思うのです。うち曹洞宗で天台宗じゃないけど(「一隅を照らす」は最澄)。 どうか日本語できる人ほど言葉で世の中を暗くしないで、明るくしてほしいと思います。人をくさすのは簡単で、喜劇やユーモアを書く人ほど賢さを要求されるというじゃないですか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年07月23日 14時20分37秒
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