Muchi no chi

2019/11/10(日)17:33

陸上競技におけるシューズ規制について私の考え

陸上(54)

最初に私の考えの結論を言うと、 (1)スポーツはやる人と見る人にとって「楽しいかどうか?」というゴールに向かって議論すべき。 (2)陸上競技におけるシューズは一定の規制を設けるべき。具体的にはミッドソールの厚さ制限。 先日私は「スポーツのルールは平等か公平かより、見る人やる人が楽しいかどうかを議論した方がよほどまともな議論になると思うのは私だけでしょうか」 というツイート​をしました。 5万いいねぐらい行くか思っていたのですが現在5いいねと大きく予想を下回るインプレッションの低さでした。ずいぶん私の価値観が一般世間のそれとずれていることがわかりました(苦笑)。 近年の競技記録の向上に対するVFの貢献は科学的裏づけもほぼ出揃いまず間違いないところまで来ていることは多くの人が納得するところでしょう。別にこれまでもシューズメーカはナイキに限らずそんなシューズを作りたかったはずです。今までは他の要因で消されて目に見えない程度の変化だったものが今回はブレイクスルーがあまりに大きかったためにシューズの性能があまりにも前面に出てしまい、「さて、ランニングとは何を競っているのだろうか?」とあらためて問われた結果ではないでしょうか? この「問い」についてまじめに考えている人は実はあまり多くないのかなという印象です。私は考えてみたのですが、正直「そもそもシューズ以前に何を競っているかよくわからない」というのが今の結論です(ホント何を競っているのだろう?)。今回はシューズの性能で勝敗が分かれる事が不公平だというのであれば、今後圧倒的なパフォーマンス向上が望めるトレーニングが開発されて、それが潤沢な資金が無いと実施できないようなものだったら不公平でしょうか?筋肉が付きやすい人が不公平だとか、脚が長い人が不公平だとか?そうはなりませんか? つまり、スポーツにおいて(いや、スポーツに限らず)「フェアネスの追求は不可能である」ということです。 スポーツはやる人と見る人(あと支える人も)で成立します。 これらの人々が楽しいなら(もちろん長期的な視点でも)それでいいのでは? 目的の為の手段として考えれば「フェアネス」は瑣末な問題であり「見かけ上」でよいのでは? 私はそう考えています。 その価値軸上でVFのような機能性シューズがこのまま制約無く進んでいくことについては反対です。私はやる人であり見る人でありますがいずれの立場からも「楽しくない」からです。 やる人の立場としては自己ベストを金で買うような気持ちになるし、見る人としては「新記録」が「何」の新記録なのかよくわからない感じがします。(道具の新記録なのか人間の新記録なのか) 実際私は、最近自分がVFを履いて良いタイムで走れても、大学駅伝で区間新が出ても、マラソンで日本記録や世界記録が出てもなんだか面白みにかけるなぁと思っています。たぶんそう感じているのは私だけではないはずで、それが続いていけば最終的に陸上選手も陸上ファンも減っていくでしょう。これは陸上競技に携わる者としてあまり歓迎すべきこととは思えません。その歯止めとなる為の規制が必要と考えます。そんなに難しい規制である必要はありません。なんとなく多くの人が「それずるくない?」ってならない程度のラフなもので十分で、具体的にはミッドソールの「厚さ」ぐらいで十分です。スパイクピンの長さや投擲種目で投げるものの重さや形が決まっているのと同じです。 最後に シューズに限らず「圧倒的なパフォーマンス向上が望めるトレーニングが開発されて、それが潤沢な資金が無いと実施できないようなもの」が今後現れないとも限らないし、実際そのようなことがトップチームでは起きているのかもしれません。もしも、陸上競技がグレーゾーンのテクノロジーや潤沢な資金を持つアスリートでしか勝利できないものだとするとそれは私にとってずいぶん退屈なものです。その価値観が私だけのものでなければ、今後人の興味はトップスポーツよりも「特別な才能」も「特別な環境」も「特別な食べ物」も無縁なローカルスポーツへと移っていくものと密かに期待しています。

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