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カテゴリ:NOVEL
耳をも劈く大音声をもって異議を唱える新人弁護士。
細かい矛盾を突付いて証人の動揺を誘う、あまりにも旧式の手。 僕と二歳しか年が変わらないとは到底思えない、愛くるしい顔。 その気持ちを何よりも正直に表す、君の頭の二つの触覚。 時折覗かせる、何もかもを見透かすかのような真紅の瞳。 情熱的な性格を連想させる腕まくりをしていながら、意外にも冷静な考え方をする。 特徴を挙げればキリが無い。 だけどこれは、誰もが知っている君だ。 君が他人に見せようとしている、かりそめの特徴。 でも、僕はね。知っているんだ。 本当の君を。 こんなことを言ったら、君は自慢の大声で笑い飛ばそうとするかもしれないけれど。 僕だけは、君の本当の姿を知っているんだよ。 僕は検事という職業柄、人の発言にはとっても敏感なんだ。 法廷に立ち証人を追い詰める時、どんな些細な発言も聞き逃さない技術が必要だから。 そういう訳で、おデコくんがひっそり漏らした本音も、ばっちり覚えているんだ。 あれは何時だったかな。僕とおデコくんが一緒に夜道を歩くなんて滅多にある機会じゃない。 思い出した。北木滝太被告人の無罪が確定したあの日だ。 あの日は僕のお気に入りのバイクは定期点検に出していて手元に無かったんだっけ。 法曹界で働く人間は護衛が付いて車で送り迎えされるのが常識だが、そんなものに囚われないのがこの僕だ。だからいつも丁重に護衛をお断りして自分で自分を運んでいる。 おデコくんは経済的に恵まれない職場で働いているから、勿論護衛なんて付けられる筈も無い。 そんな彼とその可愛らしい助手は、裁判が終わる毎に裁判所の門を徒歩で通り抜け、そこから歩いて20分程もある事務所まで帰宅しているのだ。 勝訴を手に入れ意気揚々とするちびっ子二人組の背中を裁判所のドアを出て見つけた時、この二人と帰宅するのも面白そうだと思ったんだ。 「やぁおデコくん、お嬢さん」 背後まで気配を消して忍び寄り、声をかけて二人に抱きつく。 「わっ! 牙琉検事!」 同時にそう言って、方や冷や汗を掻きつつ胸元に手を置き、方や嬉しさを体で表現するために、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねた。 僕の勘も悪くない。この時点で二人に声をかけて正解だったと思えた。 「良かったら途中まで一緒に帰ろうよ」 ぎゅっと二人を抱く手に力を込めると、方や身を捩って逃げようとし、方や嬉しそうに胸に頬を摺り寄せてくる。 「あれ、でもいつものバイクはどうしたんですか?」 二人は同時に、僕の顎より下にある顔をくりんと空へ向ける格好で僕を逆さで覗き見る。 「バイクは今、定期点検中なんだ。だから今日は歩いて帰るんだよ」 だからご一緒させて欲しいなぁ、と。 お嬢さんに向けて、世間で「王子様スマイル」と評される笑みを見せた。 「そういうことなら大歓迎です! こういうのを、同じ穴のムジナって言うんですよね!」 「待ってみぬきちゃん、何か勘違いして使ってるよ、その言葉」 慌ててお嬢さんを止めに入るおデコくんだけど、彼女は中々に手強い。 「いいじゃないですか!言葉は長く使われるにつれて誤用の意味が正しい意味に変わったりするんです! だから例えみぬきの言い方が今違っていても、いずれこの発言が歴史を変える架け橋になるんですよ!」 物凄い滅茶苦茶な論理だけど、彼女が言うと許される気がするのは……その愛らしさ故なんだろう。 「いや、それは無いから」 盛大にツッコむ彼の額は焦りからか、かなり油でテカっている。 本当にこの二人は眺めていて飽きない。そのやり取りにくすっと笑いを零すと、彼女は僕の声でその存在を思い出したらしい。 「牙琉検事!折角同じ穴のムジナなのに、みぬき、そこの角を曲がってすぐのビビルバーでこれからお仕事があるんです!」 まだ裁判所の長い駐車スペースを歩いているところだが、彼女は残念そうな声で門の目の前の道を指差した。 「これから? 女の子の夜の一人歩きは危険だよ」 心配になってそう声をかけると、彼女ではなく彼がその問いに答えた。 「大丈夫です。仕事が終わったら俺が迎えに行く約束なので」 「王泥喜さんはみぬきのボディーガードなんですよね!」 ちょっとお嬢さんは誇らしげだ。 「おデコくんがボディーガードとは…随分頼りないナイトだね」 やれやれ、と肩を抱く両手を一旦外して体の上へとすいっと上げた。外国流の「やれやれ」のポーズだ。そしてすぐにまた二人の肩を抱く。 「うるさいな…女の子を一人で歩かすよりマシでしょ」 膨れ面で僕に抗議する彼に、「まぁまぁ」と彼女が仲裁に入る。 「残念ですけどそういう訳なので、この後は牙琉検事と王泥喜さんで仲良く帰ってください」 言い終えるや否や僕の腕の下からするりと逃げ、彼女は裁判所の前の角を左に曲がって視界から消えた。 「ええと」 ぽり、と腕輪を嵌めた方の手でこめかみを掻き、彼が言葉を紡ごうとした。 「彼女が居ないのは残念だけど、折角だし途中まで一緒に帰ろうか」 ね? と腰を屈めて耳元で話すと、「ぎゃっ」と妙な声を上げて彼が耳を押さえた。 「耳元で喋らないで下さい!」 くすぐったいじゃないですか、とぷりぷり怒りながら彼は僕の顔を見上げた。 その表情のなんと可愛らしいこと。怒っていても可愛いとは、なんて罪な子だ。 「どうしました、牙琉検事」 「…オーケイ、以後気をつけるよ」 耳が弱いのかな、なんて悶々と考えて返事もしない僕を不安に思ったのか、彼が首を傾げた。 「因みにおデコくんは、これから何処へ向かうのかな?」 「事務所に帰ります。牙琉検事は?」 「自宅へ帰るよ。おデコくんはこの道はどっちに曲がる?」 裁判所の門に差しかかり、左右に伸びる道路を認めて彼に問う。 「左です」 「僕と一緒だ。何処まで一緒に帰れるかな」 何となくウキウキしてきた。 門を出て直ぐに左に曲がる。目前にはお嬢さんが左へ曲がった交差点があった。何も聞かずに真っ直ぐ歩いても彼は何も言わないから、此処でお別れではないようだ。 此処から先は直線の道が続くから、そう簡単には別れまい。 「検事。肩を抱くの、そろそろ止めて貰えます? その…人目につきますし」 言われてみて自分の左手の中に納まっている存在を確認する。そういえばお嬢さんと彼を抱き寄せてから(一度アメリカンジェスチャーをするために手を離したけど、それ以外は)ずっとこのままだった。 「ダメって言ったら?」 ぎゅっと、更に力を込めて胸元に引き寄せると、 「何ふざけてんですか!」 彼は物凄い轟音で叫んだ。 さっきよりも本気で怒っている。彼をこれ以上怒らせるよりも此処は素直に従うべきだ。 「ごめん」 さっきの発言が冗句だったと思われるよう、底抜けに明るい声で喋り左手を離す。 ぶつくさ文句を言いながら、彼は右手に抱えた鞄を抱え直した。 どうやら冗句であると受け取って貰えたみたいだが、それでも彼はご機嫌斜めだ。 何か話題を提供して、彼の怒りをうやむやにしよう。 考えてあることを思い出し、それを話題にすることにした。 「おデコくん」 「何ですか?」 言葉尻に棘がある。ううん、寧ろ言葉全体に棘がある。 こんなんで話を進めて大丈夫だろうかと、一抹の不安が胸を過ぎった。 「僕ね、今度新曲を出すんだ」 横に並ぶ彼の方を向いてニコニコと笑んでみる。 「ああ、あの“音が苦”バンドですか」 僕の笑みなど効果が無いと言わんばかりの毒舌だ。 「酷いな。ラミロアさんとの合作なら喜んで聞いただろ」 「あれはバラードだからです。普段の曲は皆“音が苦”でしょ」 彼はにべもない。 僕は俄然焦り始めて、しどろもどろになる。 「今度作る曲はバラードだよ」 「へぇ」 ちょっとだけ彼の声のトーンが上がる。 興味を持ってくれたのかな。 「それで、君にちょっと聞きたいことがあって」 「俺に?」 つぶらな瞳をきゅっと細めて僕の方を向く。 「君だけにって訳じゃないよ。お嬢さんも此処に居たら、彼女にも聞いていた」 なんでこんなに必死になっているんだろう。 そう思い切なくなるが、それというのもひとえに彼に恋しているからなのだろう。 「その曲は、欲しい物を手に入れようと策を講じる青年の歌になる予定なんだ」 「もう歌詞は出来ているんですか?」 「いや。最初に作った歌詞は、欲しい物は好きな女の子だったんだ。けどその歌詞をプロデューサーに出したら、前に作った曲にも似たのがあるってダメ出しされてね。僕らと言えば恋の歌って世間から見られているから、偶には方向転換してみろって言われて」 それで、と僕は続けた。 「教えて。君だったら、欲しい物は何?」 勿論、彼の欲しい物をモチーフにして歌を作るとは限らない。 ずっと自分一人で歌詞を考えてみても、どうやっても女の子イコール欲しい物という方程式しか頭の中には浮かび上がってこなかったから、誰かの意見を聞いて発想を広げたかった。 じっと隣を見つめていると、思案顔のおデコくんがゆっくりと口を開いていく。 眉間から手を下ろし、何処か遠い所を見ているような、そんな目をして。 何もかもを諦めた、そんな顔をして。 「 」 ぽつり、と。 誰にも聞こえないような小さな声で、彼は呟いた。 迷子の幼子のような、今にも泣き出しそうな表情。 まるで此処に僕が居ることなんて忘れているかのように俯いていた。 どうしてだろう。ひどく彼を抱きしめたい衝動に駆られた。 でもさっき嫌がられたばかりだからそれはせずにおく。 僕は何も見なかった、聞かなかった。そういうふりをすることにした。 「どうしたの?」 たった一言、そう声をかける。 すると突然彼は勢いよく顔を上げ、丸まりがちだった背筋をしゃんと伸ばした。 さっきまで垂れ下がっていた二本の触覚を、ピンと伸ばした。目には鮮やかな光が灯り、迷い子の表情などまるで僕の見間違いだったかのようだ。 「大丈夫です! やっぱり給料が欲しいです。うちの事務所、いつもカツカツなんで」 ……嘘だ。 先の彼の言葉を聞き逃すような、僕はそんなヤワな男ではない。 正面切って「嘘だ」と発言したかったが我慢する。 あの表情からして、もしそんなことをしたら、彼の心の奥深くに潜んでいる膿んだ傷をぐりぐりと抉ることになるのはほぼ間違いない。 残念ながらそんな狼藉を行って彼に許される程、まだ彼と親しい間柄では無かった。 だから僕は、彼の嘘に騙されてあげた。 「切実だね。でも欲しい物が“給料”っていうバラードも、ちょっとなぁ」 「世知辛いバラードになりそうですね」 サラリーマンなんかには、ひょっとしたらウケるかもしれませんよ。 彼はそんな悪態を吐いて、鞄を抱える右手で左に立つ僕の胸を叩く。 「どうしようか、コンサートに中年のおじさんが列を成していたら」 そう言いながら、ちょっとだけその様子を想像してみる。 「検事目当ての女の子達が茶色い悲鳴を上げそうですね」 「はは、そうなった時にはおデコくんが責任もって何とかしてよね」 「本当にそれで曲作るつもりなんですか!?」 「さてね」 急に慌てて「俺、嫌ですよ! 女の子達の前に出ておじさん達の弁護するのは」と話す彼が面白くて、僕はニマニマ笑ってはぐらかした。 ほんの少しして、「あ、俺あそこの交差点を右に行きます、検事は?」と彼が尋ねてきた。 ふっと前に視線を転じると、そこはまだ僕の曲がるべき交差点では無かった。 別れの時なんてあっという間だ。きっかり十歩でさようならを迎えた。 「じゃ、検事。くれぐれも俺の意見なんて参考にせず、女の子達が黄色い悲鳴を上げる歌詞を作って下さいね」 「ふふ、どうなるかは新曲が出てからのお楽しみさ」 それじゃ。 どちらからともなくそう言って、相手に背を向けた。 彼は右へ、僕は曲がらず真っ直ぐ先へ。道は分かたれた。 僕はまだ彼のことを知らない。 だからさっきの一言が、どれだけの意味合いを含んでいるのか分からない。 けれど決めた。 次の曲は彼の心情を歌おうと。 一番欲しい物が「家族」だと呟いて、寂しげに笑う彼の心を歌おうと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.05 01:35:37
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