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カテゴリ:旅行と食べ物の話
個人塾の仕事は不安定だ。生徒がある日突然、全員やめてしまったら塾はおしまいだ。
この仕事をやっていたら、ときどき、深い井戸を覗き込むような「破滅の予感」がする。塾が潰れてしまうんじゃないかと、まるでシェイクスピアの戯曲の主人公になったみたいに心が掻き乱される時がある。 神経が昂ぶり、たった1人生徒が塾をやめただけで、井戸に真っ逆さまに堕ちてゆく恐怖を感じることもある。 生徒が塾に毎日通ってくれるからこそ私の仕事は成り立つわけで、信用をなくしてしまったら、そこで私の命運は尽きる。 しかしよく考えてみれば、大きな企業だってお客さんがいなければ成り立たないわけで、ジャスコもソニーもハウス食品もトヨタもコカコーラも、ある日突然お客が一斉に商品を買わなくなってしまったら呆気なく倒産する。 毎日お客が商品をコンスタントに買い続けているからこそ経営が成り立つ。未来永劫不死身に思える大企業も。お客を失えば呆気なく崩壊する。思えばこれは不思議なことだ。 大企業でも個人の零細塾でも、そんな「破滅の感覚」を持ち続けることが、顧客への誠意とか、仕事に対する高いモチベーションの維持につながっているわけだ。 三菱自動車なんかは、経営陣の馴れ合いによる無神経体質から「破滅の感覚」を忘れてしまっていたから、今は井戸に吸い込まれている真っ最中である。 大企業はともかく、零細個人塾の経営者が深い井戸に吸い込まれないためにどうするべきか。塾を消滅させないように、我々は子供に飽きられないよう、常に自分の能力を高めていかなければならないわけだ。 子供は背がどんどん伸びてゆくように、大人に対する目も肥えてゆく。成長期の子供を前にして、前に立って偉そうに授業をする大人が現状維持のままだったら、子供から見て相対的に大人の価値は下がる。 初めて出会ったときは「この人すげえ」と思われていた教師は、だんだん鮮度をなくしてゆく。 子供にとって「高い」存在であり続けるために、大人は常に何か新しいことを吸収する必要がある。教師というものは子供の無知蒙昧を教壇から破壊する仕事だから、教師の頭脳には子供の無知を攻撃する武器をしこたま蓄えておかなければならない。武器は子供の成長に合わせて、常に新しいのものを仕込んでいなければならない。 子供の無知蒙昧を破壊するには、まず自分の無知から破壊しなければならぬ。知識量を増やすために新書類に積極的に目を通し、力量ある予備校講師から教え方を学ぶため評判の大学受験参考書に積極的に目を通し、手っ取り早く人生経験を深めるために小説を読み映画を見て、インターネットを通して優れた同業者の方から教える者としての姿勢を吸収し、落語や漫才を聴いて話芸を鍛える。 しかしそれだけでは物足りない。もっと大胆な何かが欲しい。そこで私は積極的に海外に出かける。 自分の力を伸ばさないものに対して、私は絶対にお金や時間は使わない。単なる「遊び」だけで時間とお金をかけることは馬鹿げている。だから私にとって海外旅行は、古びた言葉だけど「自分への投資」の一環なのだ。 欲を言えば1年ぐらいどこかの国に留学したい。しかし立場上できない。私にはたかだか5日ぐらいの旅行しか許されない。たった5日で何を学べるかと自分でも思う。しかし行かないよりも行った方がましだ、海外旅行は格段に自分を高め変容させる。 外国の匂いをほんの少し嗅いだだけで、私の文章とか授業で話す言葉に厚みと重さが加わる。不安定な脚立の上から語りかけていたような不安が一掃される。 海外に出かけるたびに、自分の脳が蒸留水で綺麗に洗われてリファインされ、思考は2次元から3次元に、単眼的から複眼的に、正眼的から斜眼的に変わってゆくような気がする。 とにかく海外に出かける度に、私の脳内に最新鋭の武器が装備され、それは私にとっても生徒にとっても幸福なことだ。 しかし、外国に出かけていると、留守中に自分の塾が潰れているんじゃないかという不安もある。 たとえば海外へ旅行する時は、私以外のスタッフで塾を回しているのだが、どうしても地球の裏側にいると留守が心配になって、旅先から塾に電話してしまう。 たとえばNYと日本の時差は13時間(サマータイムで夏期は時差が1時間短い。本来は14時間)、日本で塾に子供がいる時間、NYは朝である。 昔「ザ・ベストテン」を見たとき、日本が夜9時頃NYから中継された映像が早朝だった。そんなことを今でも覚えている。 もちろんNYから携帯電話は使えない。ただ携帯には日本時間がそのまま表示されているので便利だ。朝起きたらNYは朝8時。携帯の日本時間は21時を示す。授業が佳境に入っている頃だ。 ホテルの部屋から電話すると便利だが料金が高い。そこでベーグル屋さんに朝食を買いにいく途中、公衆電話から電話することにする。 6番街のヒルトンホテルを出て、近くの公衆電話から日本テレコムかKDDIのフリーダイアルに電話して、あとは自動音声ガイダンスに従ってクレジットカード番号と暗証番号と電話番号をプッシュすれば塾につながる。 電話する。アメリカのは「トゥー トゥー」という呼び出し音で、日本の電話とは違う。それが不安を掻きたてる。 スタッフが電話に出る。つながった。 「もしもし、変わったことない?」 「別に今のところありません。順調です」 「ありがと。土産もって帰るね」 時間にして30秒ぐらい。短い会話だが不安は消えた。 それにしても、NYの高層ビルの谷間で颯爽と朝の通勤ビジネスマンが闊歩するするちょうど同じ時、日本の片田舎の塾では中学生が勉強に励んでいる。 おそらく、うちの塾生からは10数年後にはNYのビジネスマンとして働く子供も出てくるだろう。 田舎の塾とNYは全く結びつかないようでいて、実はきちんとつながっているわけで、どうやら私は田舎の塾とNYの橋渡し役らしい。 そんなことを思うと、なにやらたまらなく嬉しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/10/26 02:44:58 PM
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