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2005/11/09
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カテゴリ:まじめな教育論
勉強ができないのに、やる気や向学心を持っている子は、つくづく偉いと思う。性根の素直さと一途な根性を感じる。私なんかには絶対にできないことだ。

学校や塾の教師の大部分は学生時代に勉強ができた人間だ。先天的に記憶力や理解力が優れた人が教師になっている。だから教師職に就いているのは、私を含めて真面目に素直に勉強していればある程度結果を残す能力があり、周囲の大人に祝福されてきた人達だ。

教師はそんな恵まれた環境で学校生活をおくってきた人が多いから、できない子の気持ちに共感できる教師は、おそらく3%もいないのではないか。勉強ができる人にとって、できない子の鬱屈した心理は、頭でわかっていても心の底からは理解できない。

勉強ができない子に対する無理解・不寛容は、注意していても言葉の端々に出てしまう。だから勉強が苦手な子にとっては「しょせん、教師にはオレの気持ちなんかわかんねえ」ということになる。


さて、少々突飛な例を使って、勉強ができない子の気持ちを想像してみよう。
もし万が一、日本が勉強で評価が下される国でなく、他のことで学歴が決まる国なら、いったいどうなるだろうか?
ケン玉・あやとり・マラソン・相撲・バレエ・大食い(まあなんでもいいけど)で「学歴」が決まる社会になったらどうなるのか? ドラえもんの「もしもボックス」みたいだが、そんな社会になると、勉強ができて日本社会でデカイ面してきた人の中には、一気に奈落の底に落ちる人がいるだろう。

たとえば、私は指の動きが鈍く不器用だから楽器が全く弾けない。ピアノを5年も続けたのに、今では情けないことに、せいぜい「猫踏んじゃった」しか弾けない。
ピアノですら無理なのだから、ましてや器用な指使いが試されるギターなんか弾けるわけがない。ぶきっちょな私には、ギタリストの指の動きは魔術にしか見えない。もし学歴がギターで決まる社会になったら、私は直ちに落ちこぼれてしまうだろう。

ギターで学歴が決まる社会になったら、教育科目はギターづくし。学校の授業は一日中ギター。月曜日1時間目ギター、2時間目ギター。成績も勉強じゃなくてギターの腕で評価され、入学試験はギターの実技、大学受験は全国ギターセンター試験。ギターの腕が凄い奴は教師からも同級生からも最大限の尊敬を持って遇されるだろう。

逆に落ちこぼれの私は、クラスメイトが華麗にギターの腕を競い合っているのに、下手糞すぎて笑い者になり人前で弾けず強い劣等感を持たざるを得なくなるし、ギターの教師は私のことをギターが弾けないからといってクズ扱いするし、放課後ギターが下手だからといって教員室に呼び出しをくらうし、実技でへったぴなギターを教師の前で弾くと「お前が下手なのはやる気がないからだ」と能力の欠如を努力の欠如と見なされる。

また親は親で「ギターが弾けないのならギター塾へ行きなさい」と強制的に私を塾に通わせ、昼に学校でギターを弾くのも嫌なのに、夜も塾でギターを弾かなければならないし、偽善者の塾教師は私に向かって「キミは本当はギターを弾けるんだよ」と心にもないウザく暑苦しい励ましの言葉をかけるし、夜遅く塾から疲れて家に帰れば、「ギターが弾けないと将来飯が食えんぞ」と親父には叱られるし、とにかくギターのせいで日常が窮屈になる。

数学嫌いの学生が「ライプニッツやニュートンが余計な発明をしたせいで微分積分を習う羽目になった」と文句を垂れるように、ギターを憎む私も「ヴァン・ヘイレンのせいでこんな小難しいリフを習わなければならないのか」と愚痴をこぼすだろう。

私は怠け者でひねくれ者の要素があるので、ギターまみれの絶望的な環境の中で、「ギターの腕を上げるために努力しよう」と、素直な向上心をキープすることは絶対にできない。
自分が奏でるしょぼいギターの音は、己の殺伐とした将来を暗示する。頑張っても人並みにすらなれない、そんな絶望感を抱いてしまったら、おそらく私は無気力になり、僻みっぽくなり、教師に対して攻撃的になり、学校には行きたくなくなり、ギターから逃避しギター以外の別の道を模索してみたくなるだろう。そんな学生生活は地獄だ。

私が勉強をどうにかこうにか学生時代に続けられたのも、ある程度私が勉強向けの頭脳の持ち主で、記憶力や理解力が備わっていたからだと思う。運が良かったとしか言いようがない。もしギターで学歴が決まるような私に合わない社会だったら、私は世を拗ねて犯罪でも犯していたかもしれない。

しかし、なかなか成績が上がらないのに、地道に勉強を続けている子も世の中には存在する。努力してもなかなか結果が出ない。勉強は彼らの自尊心を思い切り傷つけ、鬱屈した環境を作り上げるが、それでもコツコツとベストを尽くす子がいる。そんな子は凄いと思う。頭が下がる。

所詮勉強ができる人間は、生来脳味噌のシワが数本多いだけで、神からgiftされた天賦の力が評価されているのに過ぎないのではないか。
親が社会的地位と金を持っている2代目は、恵まれた環境で生まれ育ち不平等だというが、実は一番恵まれているのは賢い頭を親から与えられて生まれてきた人間なのだ。世の競争原理がキチンと働いていれば、優れた能力に見合ったポジションに、頭のいい人間は自然とついてしまう。
また、勉強ができる子は、自分が勉強を続けていたら評価される。そんな打算的な気持ちがあるから頑張れる。自分の努力が結実する予感をたっぷり持っているのだ。

しかし勉強が苦手な子の愚直な努力は、報われるかどうか本人も我々もわからない。もしかしたら無駄な努力かもしれない。
ただ、勉強が苦手な子の粛々とした頑張りは、闇の中でノロノロ進む重戦車のような迫力がある。そんな地道な努力の過程をしっかり見守り、最大限に評価するのが我々の仕事だろう。





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Last updated  2005/11/09 09:13:32 PM
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