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カテゴリ:塾の日常風景
前述したように、うちの塾には本屋マンガがたくさん置いてある。
たぶん塾に本は2万冊はあるだろう。うちの塾は、塾というより、私の書斎に子供がまぎれ込んでいる、という感じの塾だ。 2万冊あると、まるで小規模の図書館のようでもある。 ほとんどの子は、早く塾に来たり、休憩時間の合間に本やマンガを熱心に読んでいる。 ノートを作って、きちんと管理して貸出も行っている。子供から本のリクエストがあれば、すかさず本を購入している。 そんな雰囲気の中でも、本やマンガにまったく興味を示さない子がいる。 早く塾に来ても机に顔を突っ伏していたり、ぼ~っとしてながら顔を宙に浮かべている。 「ダヴィンチ・コード」「電車男」などのベストセラー、古今東西の伝記、司馬遼太郎や藤沢周平などの歴史物、庄司薫や宮部みゆきや重松清や恩田陸などの人気作家のの小説、さくらももこや松本人志や太田光のエッセイ集、「あしたのジョー」「鋼の錬金術師」「バガボンド」などの古今東西の名作マンガ、「空想科学読本」などの知的好奇心をくすぐられる本、そんな本たちが置いてあっても、見向きもしない。 書物を壁に置かれたオブジェのように思っているのか。 原因はおそらく、知的好奇心の欠如と、活字アレルギーだろう。 そんな子の成績はあまり伸びないのが実情だ。小学中学時代にある一定の成績を保っていても、高校に入って「ガクン」と音を立てて成績が落ちてしまう。 逆に本好きの子は、「先生『生協の白石さん』は置かないんですか?」と、すかさず本やマンガのリクエストをしてくる。 そんな時は、直ちに近所の本屋かアマゾンで購入する。 塾の本やマンガに対して、大いに興味を示す子は、成績がいいか、人間的に面白みを持った子が多い。 学力教養人間性はテキストや教科書やだけではつかない。薄っぺらのテキストや教科書だけで何が吸収できるだろう。 「できる子」「いい子」は膨大な読書量から作られる。なんとかうまく指導していかねばならない。 さて、中には変な本を読んでいる子もいる。 読書好きの小5の女の子は、私が大学時代に見栄で買った、筑摩書房の「チェーホフ全集」を読んでいる。 ちらっとのぞくと、内容はロシア人の酔っ払い爺の長台詞。 私が「面白いか?」と聞くと 女の子は「微妙」と答える。 さすがに小5には、19世紀ロシアの作家は理解できない。 ただ、読書は「背伸び」をする時期が大事なのだ。自分の精神年齢と同じレベルの文章を読んでいるだけでは、読書力はつかない。 「チェーホフ全集」を読むという行為は、前途有望の証だ。 また、私は子供に、「あの本読め、この本読め」と積極的に薦めたりしない。 子供は結構、いい本を嗅覚でかぎ分ける能力を持っているものだ。 しかし子供から「どんな本がいいか」と尋ねられたら、答えることにしている。 そんな時の私は、堰を切ったように饒舌になる。 あるOBの高校2年生の男の子から、 「司馬遼太郎を読んでみたいけど、何がいいか?」と聞かれたことがある。 私は「『竜馬が行く』や『坂の上の雲』は名作だけど、長い。特に『坂の上の雲』は、後半の秋山兄弟が主役になる部分は凄いけど、もしかしたら1巻2巻の正岡子規の部分は退屈かもしれない。そこで挫折する可能性もある。 司馬遼太郎初体験としてオレのお勧めは、幕末ものなら土方歳三の『燃えよ剣』、戦国ものなら信長と光秀を扱った『国盗り物語』、そして中国ものなら『項羽と劉邦』かな」 と、司馬遼太郎の文庫本の現物をその子に読んでもらいながら、教師づらして答えたりする。 読書感想文の相談に乗ったりもする。 小学6年生の女の子が、学校から読書感想文を書けといわれて、「吾輩は猫である」を読んでいた。 「吾輩は猫である」は読書感想文のネタに子供がよく選ぶ作品だが、小学生が読むには、ウルトラ超地雷本である。 子供はせっかく読書感想文を書くのだから、ちょっと難しそうな作家の本で感想文を書きたい。 でも島崎藤村の「破戒」とか、国木田独歩の「武蔵野」なんか難しそう。夏目漱石も難しそうだけど、「吾輩は猫である」は猫の話だから親しみやすそう、そんな心理が「吾輩は猫である」を子供に選ばせるのであろうが、いざ読んでみたら、中身は明治時代のインテリの世間話が延々と続いて、何のことかさっぱりわからないゲロゲロ、という悲惨なことになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/12/07 05:22:09 PM
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