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2005/12/23
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カテゴリ:シロウトの音楽話
私は中学高校時代、男子校で青春を送った。
休憩時間はよく友人たちとアイドルの話で盛り上がった。私が中学・高校・大学を過ごした80年代は、アイドル全盛期だった。

特に私が中2だった1982年はアイドルが豊作で、歌番組は新鮮なアイドルたちの初々しい姿が目立った。

1982年にデビューしたアイドルは凄いメンバーが揃っている。
中森明菜・小泉今日子・堀ちえみ・松本伊代・石川秀美・早見優・三田寛子・・・ 
今では松本伊代はヒロミの、石川秀美は「はなまる」の薬丸の奥さんになっている。そういえば新井薫子なんてのもいた。彼女たちは後に「花の82年組」と呼ばれるようになった。

ちょうど思春期真っ只中のときに、アイドルがよりどりみどりだったのは、今思うと結構幸せだったのかもしれない。

当時私の中学で一番人気があったのは、おそらく中森明菜である。

中森明菜はデビューして間もない頃は、そんなに売れていなかった。中森明菜の事務所は「ちょっとエッチな、ミルキーッ娘」というキャッチフレーズを作り、松田聖子を踏襲した「ぶりっ子」路線で明菜を売り出そうとしたが、しかしデビュー曲の「スローモーション」はオリコン最高順位30位だった。
「スローモーション」は来生たかお作曲の名曲だが、この名曲をもってしてもブレイクすることはできなかったのだ。

デビュー当初は明菜よりも、今は橋之助夫人である三田寛子の方が有名だった。
三田寛子は確かカルピスのCMで売り出した。「はにかみ屋さん、出ておいで・・・」というフレーズが印象的だった。

中森明菜の人気が爆発的に高まったのは、2曲目の「少女A」からである。「きっかけぐらいはこっちで作ってあげる・・・じれったい、じれったい・・・わーたーしー少女A」という過激な歌詞がラジオから流れると、私を含めたティーンエイジャーはどんな女の子が歌っているのかと、大いに好奇心を抱いた。

明菜のツッパリ路線転向は大成功だった。

当時アイドルの世界に女王として君臨した松田聖子を、明菜はレコード売り上げで凌駕するようになった。
3曲目の「セカンド・ラブ」は、その年松田聖子が出したどのシングルよりも売り上げ枚数で勝っていた。
そういえば清純路線で売り出してぱっとしなかった山口百恵も、「青い果実」や「ひと夏の経験」の「あなたが望むなら、私何をされてもいいわ」「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」という"危ない”歌詞でブレイクしたのだが、明菜も山口百恵と同じ道を歩んだのである。

「少女A」や「1/2の神話」や「禁区」といったツッパリソングを歌っていた中森明菜は、まだあどけなさが残る可愛らしい少女だった。
テレビでツッパリソングを歌う中森明菜を見ていると、事務所の方針で無理矢理大人びた歌を歌わされている犠牲者みたいな痛々しさを感じた。
善良な子なのにSEXを連想させる過激な歌を歌わされている、こんな子に変な曲歌わせて、かわいそうじゃないか、そんな痛々しさが明菜の魅力だった。

しかし実は中森明菜の本性が、実はツッパリソングの世界に近く、狂気を秘めた女性だということが顕になってくるようになって、ファンは明菜から遠のいていった。

その後私の高校時代になると、中森明菜や小泉今日子から友人たちは徐々に離れはじめ、清純で可愛らしい菊池桃子や、清楚で凛とした岡田有希子、そしてあのおニャン子クラブに乗り換えていった。

私が高校2年生だった1985年は、「花の82年組」に負けないアイドル豊作の年だった。

斉藤由貴・南野陽子・中山美穂・浅香唯・本田美奈子・佐野量子・松本典子・芳本美代子・セイントフォー・・・・ 
おニャン子クラブが「セーラー服を脱がさないで」でデビューしたのも1985年である。
おかげで「花の82年組」の中2時代にもまして、高2・高3の頃は女性アイドルに恵まれたのである。

私は学校へめったに行かなかったが、たまに行くと「アイドルの中で誰を彼女にしたいか?」という議論で白熱した記憶がある。
ともかく、むさ苦しい男子校で生息していた私や友人たちは、女性アイドルが大好きだったのだ。

(余談だが、アイドルはなぜか豊作の年と不作の年が激しく、例えば1983年には岩井小百合ぐらいしか目ぼしい存在がいない。岩井小百合は、かの横浜銀蠅の妹分としてデビューした人で、「ドリーム・ドリーム・ドリーム」でスマッシュ・ヒットを飛ばし、今では時々NHKの「きょうの料理」に登場して料理の先生のお相手をしている。)





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Last updated  2005/12/23 11:00:12 PM
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