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2006/01/26(木)19:25

センター試験の「敗者」へ

まじめな教育論(194)

センター試験が終わった。 自己採点の結果も出て、受験生は志望校の選択に頭を悩ましていることだろう。 センター試験の点数で、受験生は自分の学力の全国レベルを、否応なく点数で突きつけられる。逃げ場がない。 結果が思わしくなく、悩んでいる受験生もいるだろう。 センターの結果が悪いと、胃が錐でブスブス突き刺され、胃壁から血が滴るようなダメージを受け、精神的な圧迫感から不眠症にかかり、睡眠薬の助けを借りたくなる。 革命パルチザン時代の毛沢東は、激しい権力闘争のストレスと、いつ逮捕処刑されるかわからない恐怖で、不眠症にかかり眠れぬ夜を送っていたのだが、睡眠薬を服用してから熟睡できるようになったという。 毛沢東はのちに、睡眠薬を発明した人はマルクスと同じぐらい尊敬すると語ったらしい。 試験の結果が悪いと、毛沢東と同じような精神状態に陥る。 センターの結果が悪いと、自分が思っていたほど、自分は大した存在ではないことに気づく。自己評価の高さに点数が冷や水を浴びせる。 センター試験の点数は、「自分の身の程を知れ」という残酷なメッセージに他ならぬ。 センターを受験した若者は、同世代の若者が学歴社会から脱落するのを横目に、勉強すれば何かいいことがあると信じて、勉強を続けてきた。 子供のときから「夢」を持ち勉強を続けてきた。しかしその結果が思わしくないとき、夢は潰える。18歳で初めて、学歴社会からの脱落感を味わう。 いや、脱落感という大げさなものではなく、自分の存在がカースト的社会序列の棚に、そっと静かにファイリングされるような気分になる。 勉強から脱落した同級生達が、かつて味わった無力感を、同級生達より少し年齢を経た頃に知る、ということだ。 友人は勝者、自分は敗者。 敗者はまるで、春の雪解け時に公園のど真ん中に放置され人目に晒された、溶けて黒ずんだ雪だるまになった気になる。 センターの点数は、「行きたい大学」から「行ける大学」への志望校変更を余儀なくし、また将来の職業も「なりたい職業」から「なれる職業」へ強引に変える。 センターで得点が取れない受験生は医者や弁護士にはなれぬ。知識がない医者は患者を殺すし、無能な弁護士は依頼人を不幸にする。 職業とは自分が決めるのではない。90%他人が決めるものだ。 センター試験の点数は、自分の力に対する若者の過信を諌める。 さて、今後どうするか? 結果が悪ければ私立大学がある。私立は親に負担をかけると嘆いている受験生は、自分で稼ぐようになったら300倍親孝行すればいい。 正月・盆・GWは必ず実家に帰り孫の姿を見せ、時々思い出したように温泉旅行や海外旅行に連れて行ってやればいい。 どうしても国立がよくて、妥協したくなければ、あと1年待てばいい。 センター試験は確かに一発勝負。だが1年後がある。2年後がある。浪人を厭ってはならぬ。 予備校行く金がなければ宅浪すればいい。本屋には素晴しい参考書があふれている。 センター試験が一発勝負といえども、スポーツの世界にはもっと激しい一発勝負がある。 たとえばオリンピックの陸上100m走競技。決勝は4年に1回、しかも10秒弱で勝負が決まる。4年待ってたった10秒。転んでしまったらあと4年待たなければならない。 チャンスなんか腐るほどある。センターなど人生の第3次選考ぐらいにすぎない。 その後歳を経るにつれ、第4次選考・第5次選考と、選考が待ち続けている。37歳の私は今、第23次選考ぐらいだろうか。 とにかく、センター試験は最終選考ではない。人生の重大な岐路ではあるが、決して最終選考ではない。

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