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2006/03/02
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カテゴリ:映画・テレビ好き
みのもんた、私は結構好きである。

たしかに、みのもんたの顔はひどい。醜悪と言っていいくらいだ。また決して紳士的なナイスミドルではない。お下劣セクハラ親父に近い。猥雑な話も好きだ。

朝、目を覚ましテレビをつけると、テンションの高いみのもんたがしゃべっている。なんだか朝から焼肉ホルモン食っているみたいに胃がもたれる。

しかし、司会者みのもんたの話の流れに一旦のってしまったら、視聴者は抜け出せなくなる。みのもんたの司会は流暢で、視聴者を飽きさせない。軽く時間を流す話術は秀でている。

たしかに彼の語りに鋭い知性は感じられない。松本人志や北野武や太田光や島田紳助のような、「こいつ頭いいな」と感じられる瞬間は、みのもんたの話の中にはない。
政治に対する意見も斬新なものではない。誰もが口にできるレベルのものだ。

だからこそ、みのもんたの司会は安心感がある。驚きはないが、退屈はさせない。
司会者が鋭すぎたり、話の内容が斬新過ぎると、濃すぎて視聴者は離れてゆくものだ。

みのもんたは顔は濃いが、話は薄い。

また、みのもんたは笑顔は条件付きで「素晴らしい」。

たしかにみのもんたの笑顔は不細工だ。でも、「クイズ・ミリオネア」で、緊張している解答者に向かって、みのもんたが「正解!」という時、視聴者はみのもんたの笑顔に安堵し、ほっとするだろう。
無意識に視聴者は、みのもんたの笑顔に酔いしれている。

ただし、笑顔の一瞬間だけ、みのもんたの笑顔を引き伸ばして額縁に入れて見てしまえば、あんな醜い顔はない。
たとえば外国人に、「これは日本で一番有名な人気司会者です」とみのもんたの笑顔の写真を見せれば、日本人の品性なり美的感覚が疑われる。

しかしクイズの挑戦者が1000万円を目指す苦労の過程の中だと、みのもんたの笑顔が天使の微笑みに思えてしまう。
番組の演出が、みのもんたの笑顔を生かしているわけだ。

みのもんたの流暢な退屈させない司会術やしゃべり方は、彼の醜い顔を忘却させる。
みのもんたの顔が嫌いな視聴者も、10秒に1回くらい「みのもんたは変な顔」と意識しながらテレビを見ているわけではない。彼の話術は顔のハンディをカバーしている。

ところで、みのもんたは、昔はどこにでもいる司会者の一人だった。
プロ野球ニュースの土日の司会とか、好プレイ珍プレーのナレーターをやっていた時代は、その他大勢の当たりさわりのない司会者にすぎなかった。

しかし「おもいっきりテレビ」の生電話コーナーからみのもんたは変貌した。
卑屈で媚びた感じの司会者から、傲慢不遜な司会者に変身した。

みのもんたは電話で身上相談してくるおばさんを、怒鳴り上げながら説教した。
テレビの視聴者は半ば緊張し、半ば腹を立てながら、怖い物見たさでみのもんたの司会っぷりを眺めた。

みのもんたの態度が大きくなったことで、毀誉褒貶は激しくなり、「みのもんた嫌い」が増えた。
しかしみのもんたが出演する番組の視聴率は上がった。みのもんたの押しの強さと、視聴者に媚びない態度を、多くの主婦は支持した。
「笑っていいとも」の一人勝ちだった平日正午の時間帯で、みのもんたは視聴率で勝利を収めた。

みのもんたは自分の話術の流暢さに気付いていた。しかし同時に「薄い」話しかできないことも、十分自覚していた。このままでは頭が切れる個性の強い他の司会者と戦えない。
テレビで感情を露出し、怒りをぶつけ始めたのも、テレビ界でのし上がってゆくための、バクチ的処世術だったのかもしれない。

さて、みのもんたの成功例を、塾の講師に当てはめてみよう。

ただ愛想よく流暢な授業をしても、それだけでは生徒に聞き流される、イージーリスニングみたいな授業にしかならない。
生徒の心をつかむには、時折感情をむき出しにすることも大切だ。

生徒の心をつかむには様々な方法があるだろうが、みのもんた的態度の大きさ、押しの強さでアピールするのも、一つの手段だ。
講師がほどよく感情的になれば、授業のスパイスになる。

私も若い時は生徒を怒らない教師だった。怖くない先生だった。当然保護者や生徒のウケはイマイチだった。

私が生徒を叱れなかったのは、私が優しい人間だからではない。
叱る度胸がなかったのと、自分が生徒の前でいい人であり続けたかったのと、授業に自信がなかったからにすぎない。

しかし私が成長するに従って、生徒を叱る度胸が生まれ、授業に自信ができ、生徒を叱れるようになった。
子供は私の授業を聞けば、絶対に生徒の将来に役に立つ。そんな確信が生まれてから、私は生徒を平気で叱れるようになった。

生徒を叱り始めてから、私の教師としての評価は大幅に高まった。
私は講師として、「みのもんた的進化」を遂げたのである。

もちろん、怒鳴り上げることで、私の元を離れた生徒も数多い。怠ける人間には容赦なく罵声を浴びせた。
しかし、私が残って欲しい、私が尊敬する生徒は、誰一人として私の元を立ち去らなかった。私に子供を託してくれる父母の方が増えた。

みのもんたみたいに感情をぶつけることで、私も一人前になれた(かな?)



さて、うちの塾生には、別の意味でみのもんた的な生徒がいる。

「部屋の中に女性がいます」という文章を英作文すると、女性をladyでもwomanでもなく、girlと英訳しやがった。

女性の年齢は12歳か34歳か71歳かわからない。それをgirlとするのはいかがなものか?

みのもんたが50代60代の年配の主婦に、「お嬢さん」とリップサービスしているのと、同じような気持ち悪さを覚えた。





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Last updated  2006/12/07 04:52:46 PM



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