.

2006/07/01(土)20:29

橋本龍太郎の哀しい死

政治&時事放談(33)

橋本龍太郎元首相が死んだ。まだ68歳の若さだった。 失礼ながら中曽根康弘・宮沢喜一・村山富市という老齢の元首相が未だ健在なのに、若い橋本氏が先に逝くとは想像もしていなかった。 今となっては意外だが、若き日の橋本氏は自民党のホープだった。 ドロドロした永田町の政治から一線を引いたスタンスを取っていた橋本氏は、かつて国民的人気が非常に高く、早くから首相候補とされた。 性格もルックスも丸っきり違うが、ポジション的には今の安倍晋三官房長官と同じ様な位置にいたのかもしれない。 橋龍は清新なイメージで特に女性からの支持が高く、コレコテのポマードで固めた髪形と、歌舞伎役者のようなルックスと、餓鬼のように拗ねた物言いが、「龍サマ」という愛称がつくほど女性の心をくすぐった。 その反面、橋本氏は個人主義者で永田町内での付き合いが悪く、金丸信ら長老政治家から疎まれた。先輩議員から見れば「インテリくさい生意気な若僧」に見えたのだろう。 政治家同士の人づき合いより趣味の写真に没頭し、子分を作ることにも無関心で、なかなか首相にはなれなかった。 料亭の杯より、レストランのワイングラスが似合う政治家だった。国民はそれを是と取り、永田町は否と見なした。 しかし結局96年1月、村山首相の突然の退陣を受け、自民党総裁で副総理の座にあった橋本氏は、宮沢内閣以来、自民党から2年半ぶりに首相の座に就いた。 国民人気と能吏の如き有能な仕事ぶりが、橋本氏を首相に押し上げたのである。 また橋本氏は、慶応大学出身初の首相でもあった。 首相時代は自民党総裁として、初めて小選挙区制を導入して実施された総選挙で、小沢一郎率いる新進党を破り、政権の地歩を固めた。 しかし消費税を5%に上げるなど、誤った経済政策で不況をもたらし、参議院選で自民党は大敗し、首相の座を同じ派閥の小渕恵三氏に譲った。 そして橋本氏は森首相退陣の後、01年の総裁選に再挑戦した。橋本派の数と組織力から、橋本氏の首相再登板は堅いと思われたが、全国の自民党員が投票する総裁予備選で、田中真紀子とタッグを組み「自民党をぶっ潰す」というフレーズでブームを巻き起こした小泉純一郎氏に、よもやの敗北を喫した。 その後、日歯連からの1億円献金隠し事件で、橋本氏の評判は地に堕ちた。 橋本氏は結局逮捕されなかったが、村岡兼造氏だけが逮捕され生贄になり橋本氏が生き残ったことで、どうして橋本龍太郎が逮捕されないのかという論調が橋本氏をボディブローのように痛めつけ、橋本氏にはトカゲの尻尾切りで自分の身を守るズルイ政治家のイメージが付き、結局病気もあって昨年の総選挙に立候補せず、政界を引退した。 それにしても、橋本氏ほど首相就任前と就任後のイメージが変化した政治家は珍しい。 就任前は長老政治家に楯突く若い新鮮な政治家だったが、首相就任後、特に橋本派の会長になってからは「抵抗勢力」のボス的なイメージが定着した。 まるで若き日は正義の男で、突然悪の道に進んだダースベイダーみたいな政治家である。 やはり「橋本派」という名前がいけなかったのだろう。 橋本氏はもともと、派閥を仕切る面倒見のいいボス的政治家ではない。そういう面では森派の領袖、森喜朗氏あたりとは対極にある政治家だ。 橋本氏は個人主義で一匹狼、群れるのを嫌い私生活を大事にする。その面では小泉首相と非常によく似たタイプの政治家である。 それが派閥の会長になり、抵抗勢力のボスの座に祭り上げられてしまった。抵抗勢力の最大の派閥の名に自分の苗字が被せられ、小泉首相の攻撃の矢面に立ってしまった。 橋本氏は派閥の会長であっても、実際に派閥を仕切っていたのは野中氏や青木氏といった老練な政治家である。橋本氏は神輿に過ぎない。 「橋本派」は旧弊な勢力と見なされ、首相からも国民からも忌み嫌われ、田中派竹下派の頃の権勢がウソのように衰え、没落していった。 橋本派の没落と共に、橋本氏の政界での力も無くなっていった。 かつての一匹狼的な誰とも群れない政治家としては、組織のボスに祭り上げられ、祭り上げられた途端悪のレッテルを貼られ、やり切れない思いがしただろう。 そして、橋本氏の人を小馬鹿にしたような拗ねた態度は、若い時分には何やら可愛らしく映ったものだが、首相を辞任してからは単なる威張った高慢な老政治家にしか見えなかった。 橋本氏の「偉そうな」態度は終始一貫していたが、マスコミや国民の橋本氏を見つめる目は180度変換したのである。 ところで、5年前の総裁選で橋本氏が小泉氏に勝っていたらどうなったか? 勝った小泉氏はアメリカでブッシュ大統領からアメリカ外交かつて無いほどの大歓待を受けている。負けた橋本氏は髪のポマードを落として乱れた髪のまま死の床につく。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る