1771540 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

.

PR

全585件 (585件中 11-20件目)

< 1 2 3 4 5 6 7 ... 59 >

2006/07/31
XML
カテゴリ:塾の日常風景
英語のテストで、こんな問題があった。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

日本文の意味を表す英文になるように、(  )内の語を正しく並びかえて書きなさい。

「私はあなたに料理のしかたを習ってほしい」
(how/I/to/to/you/cook/want/learn/.)


解答は
I want you to learn how to cook.

多かった誤答は
I want to learn how to cook you.

これでは佐川君みたいな文章になってしまわないか?






Last updated  2006/12/15 04:52:27 PM


カテゴリ:塾の日常風景
夏講でブログを休止したが、ようやく身体も慣れてきたので、1週間に2~3度はブログを更新しようかなと思う。
とにかく自然体が第一。書きたい時に書く、書きたくない時には書かない、嫌になったらやめる。そんなスタンスが大事だと思う。
これからは、1日5本の怒涛の更新があったり、2~3週間何も書かなかったり、気まぐれなブログになると思いますが、よろしく。

さて、ただいま中学校では部活の大会たけなわ。部活をやっている子は疲労の極地だが、それにしてもみな、顔の色が黒い。

特にテニス部がひどい。炎天下で長時間ラケットを振り回すため、テニス部の中には顔面が焦げ茶色でコーヒー豆みたいに黒く、目と唇が識別できない子もいる。
サッカー部も負けずに黒い。野球部は帽子をかぶっているので常識的な黒さだ。卓球部や柔道部はさすがに普段と変わりはしない。

ところで「何気やる気なローテンション」の、若き名文章家である管理人たけさんは、浅黒い肌と東南アジア的風貌から、カンボジアをもじって「カンボディー」というニックネームをお持ちらしい。
それなら今の我が塾は、中学生の3分の1は「カンボディー」だ。カンボディー塾。教室はカンボディーだらけで、私はなんだかカンボジアの日本語学校の講師になったみたいだ。

男の子の顔は黒くなって精悍になるが、かわいそうなのは色が白くて繊細な肌を持つ女の子だ。
炎天下で太陽の色が乗り移ったみたいに顔が真っ赤になっている。まるで生まれたての赤ん坊みたいに赤い。顔中に赤痣が広がっているようにも見える。

中3はあと1週間で部活は引退。うちの夏講は部活引退まで中3は1日2時間しか授業はないが、引退後は1日3時間半プラス補習というハードなスケジュールになる。
中3は受験生、今後は勉強で忙しくなって、黒いカンボディー的な顔色は、どんどん青白く変化してゆくのだろう。






Last updated  2006/07/31 04:21:27 PM
2006/07/14
テーマ:巨人ファン(8207)
カテゴリ:野球とスポーツ
今日のyahoo見てたら、こんなニュースがあった。

巨人の渡辺恒雄会長は、原辰徳監督に「来年絶対に優勝できるように、今からいろいろと考えて手を打て。長期計画で」と来季Vを厳命した。

えっ? 巨人は優勝あきらめたの?

確かに途中までは巨人は強かった。しかしその後の転落ぶりは凄い。

最初の32試合は
○●○○○○●○○○○○○○○●○○●○
●○●○●○●●○○○○
と23勝9敗

その後西武3連戦で3タテ食ったのが痛く
●●●○○●●○●○●●●●●○○○○○
この時点でトータル32勝20敗

ところが地獄の8連敗以降は、なんと4勝27敗
●●●●●●●●○●○●●●●●●●●●
●○○●●●●●●●●
現在はトータル36勝47敗である。

でも巨人が優勝を現時点であきらめるなら、巨人より順位が低いカープはどうなるのか?

そう思った瞬間順位表を見たら、何とカープは巨人より上にいるではないか!
意外にもカープは4位、巨人は5位だったのである。いつの間にか順位が逆転していた。
しかも巨人はダントツの最下位だった横浜と1.5差しかない!

巨人はカープのエース黒田を狙っているらしいが、今の巨人には黒田を引き付ける魅力はないぜよ。






Last updated  2006/07/14 09:42:35 PM
カテゴリ:まじめな教育論
芝居は楽しい。良い芝居は演者と客が一体化する。

良い芝居は、舞台上の演者の輪の中に、客を完全に食い込ませる。客は芝居の世界に自分の居場所を見つける。芝居小屋は家になり、役者と客は家族になる。

だからこそ良い芝居は、芝居が終わったあとの反動が大きい。芝居の親密な小宇宙からひとり取り残されたような猛烈な孤独を客は感じる。芝居終了後客に猛烈な孤独を感じさせる芝居こそが良い芝居である。

ところで最近、学校で芝居をする機会が減ったような気がする。

私はもっと学校で芝居に力を入れてもらいたいと思う。小学校・中学校では、1年に2~3回は芝居をする機会を与えてほしい。
芝居は子供を成長させる踏み台になる。

子供に芝居を演じさせる利点は、まず第1に国語力がつくことだ。
暗記暗唱は学力向上のための最大の方法であろう。英文を暗唱し古典を暗記することは、学力向上への近道だ。
芝居を演じるには台本を完璧に「暗記」しなければならない。上質の台本を記憶し演じることで、必然的に国語力が上がるのは道理だ。
芝居とは、良いテキストを暗記暗唱させるための最高の手段である。

第2の利点は、芝居を演じると人前で物怖じしない度胸が身につくことである。
大勢の観衆の前で正面を向き、台詞を口にすると最初は緊張する。
しかし自分の発した台詞で、或いは自分の体の動きで観客を感動させ、笑いを取る快楽は何者にも変えがたい。
ふだん子供は学校で知識のinputばかりで、outputの機会があまりない。芝居は子供が自分を表現する手頃な手段だ。

第3は芝居は子供の団結力を高め、達成感を与える。
芝居には人手がかかる。役者・脚本・演出・舞台装置・照明・大道具・小道具・衣装・メイク・宣伝・・・・
多くの人間の努力と才能とアイディアが渾然一体となり、優れたリーダーの下に団結しなければ良い芝居は生まれない。また芝居のために汗水流し、観客から熱い拍手を浴びた時の達成感は何者にも変えがたい。

第4、これが一番重要だが、芝居は子供の「人格力」を高める。
芝居の役柄になりきり、舞台上で別人に憑依すれば、演者は役柄の人物のエッセンスを吸収し、強い影響を受ける。
良い人を演じれば、子供は良い人になる。

また役柄の人物の所作や立ち振る舞い、言葉使いを子供は芝居を通して身体で覚える。
若者の言葉使いや態度が乱れていると言う大人は多いが、どんな言葉使いが人に好かれ、どんな振る舞いが賢明か、大人は若者に模範的な「形」や「手本」を示せずにいる。
形や手本を示さずにただ「最近の若者の言葉使いはなっとらん!」と否定するだけで難癖つけるのは、まるで吉良上野介みたいな陰湿な態度である。
芝居を通して子供の頃に、自分以外の人物になりきる訓練をしておけば、成長した時「引き出し」が増えるような気がする。

ところで、学校が最近芝居に熱心でないことは、おそらく学校内で左翼教師の力が低下したことにも原因があるだろう。
左翼運動の啓蒙は芝居を通して行われた。かつて左翼演劇の説得力は、民衆を熱狂させた。
それと同じく、左翼の平和教育や平等教育の血肉化に芝居は大きく手を貸した。これは戦前の皇民化教育の手法をそのまま踏襲したものである。

戦前も戦後も、学校ではイデオロギーを子供に染みさせるために芝居を利用した。芝居は子供の頭も心も体も呪縛する。芝居は子供を洗脳する手段としては最高の装置である。芝居にはわれわれの想像以上に危険性を持つ。

でも逆に言えば、子供を正しく「洗脳」するには芝居ほど効果的な装置はない。
芝居は子供を洗脳する毒薬だ。しかし同時に子供に「形」や「規範」を叩き込む良薬にも成り得る。






Last updated  2006/07/14 06:56:53 PM
カテゴリ:まじめな教育論
高校生から、高校の授業が眠いという話をよく聞く。
生徒が授業中寝ているのは、絶対おかしい。
教える側は、子どもの貴重な時間を奪っているのだという、「罪」の意識を持ってほしい。

ところで私は「勉強濃度」という数値にこだわってみたい。
「勉強濃度」とは、一定の時間に、どれだけ濃い勉強ができるかを示す数値である。

1時間の授業で、生徒が最初から最後まで爆睡していたら「勉強濃度0%」
きちんと授業を聞いて、ある程度満足感を覚えたら「勉強濃度80%」
ということになる。

授業を充実させるのが勉強濃度を高める最適の策であることは言うまでもない。
ただし、授業だけで勉強濃度を高めようとしても限界がある。
特に数学に関しては、どんなに立派な授業をしても、すべての生徒に同じ満足度を与えることは不可能である。数学という科目には歴然とした学力差がある。

同じ数学の授業を受けるにしても、理解できる子には勉強濃度80%、しかし分数の計算も覚束ない子にとっては、勉強濃度は1%ということになる。
逆に勉強ができる子が、簡単すぎる授業を聞く時の勉強濃度は下がる。内容が薄すぎて無駄な時間を過ごす事になってしまう。

そう考えてみると、個別や家庭教師が、勉強濃度を高めるためのベストな方法なのだろうか?

とにかく授業中、生徒に濃い時間を過ごしてもらう工夫をしたい。
勉強濃度を高めるシステムの構築し、実践したい。
アルコール度数の酒は少量でも酔えるように、勉強濃度の高い授業やシステムがあれば凝縮した短い時間で子供に満足感を与えることができる。
幸い、某書でフィンランドの学校の授業のルポが掲載されていた。面白そうだ。少し真似をしてみようと思う。






Last updated  2006/07/14 01:11:44 PM
2006/07/12
カテゴリ:旅行と食べ物の話
0051.jpg
私は道後温泉が好きで3ヶ月に1回は訪ね、温泉街を闊歩する。1人では旅館に泊まりづらいので、ホテルに泊まって外湯回りというのが私の温泉回りの1パターン。

道後温泉本館は1894年に完成。なんと日清戦争の年である。ここの風呂に入ると明治時代にタイムスリップした気になる。
漱石の「坊っちゃん」にも道後温泉本館は登場し、松山の街と人間をあれだけ嫌った気難しい漱石も、道後の湯だけは認めている。道後温泉本館は結構大きな恰幅のいい建物で、建設当時は見る人の度肝を抜いたであろう。巨大温泉レジャーランドみたいな感じだったのだろうか。今では国の重要文化財に指定されている。

また温泉自体の歴史も古く、若き日の聖徳太子が摂政になる前道後にノイローゼ治癒に訪れたそうである。また万葉集にも登場し山部赤人が残した歌が残っている。

しかも道後は雰囲気ばかりか湯質もいい。道後の湯はほんのわずか鉱泉臭さがあり、無色透明で弱アルカリ性。湯には石鹸を溶かし込んだようなツルツル感がある。肌がきれいになりそうで、俗に言う「美人湯」というやつである。しかし36歳の親父のお肌がツヤツヤになってもどうでもいいことだ。

ところで最近、地下数千メートルの深さから無理矢理掘り出したような温泉が、温泉ブームに乗って続々全国で登場しているが、ああいう温泉はどこか重油っぽく汚いにごり方をしていて、どうも感心しない。その点道後の湯は透明感と清潔感があって素晴らしい。
道後温泉の効能は(うさぎちゃんみたい)神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進などだそうだ。

さて温泉といえば、あの白骨温泉はどうなったのだろうか。例の草津の入浴剤を使って、透明な湯をむりやり白くした「入浴剤事件」の温泉だ。
「白骨」というネーミングであるからには、湯を白く保つ必要性があったのだろう。私は自営業者だから入浴剤を入れた旅館の経営者の心理もわかるし、逆に温泉好きの1人として入浴剤で騙された人の気持ちも理解できる。

ところで、あの騒動で一番肝を冷やしたのは温泉評論家の人たちじゃなかろうか。温泉評論家とは「日経おとなのOFF」や「自遊人」あたりの私みたいなオッサン向けの雑誌とか、航空会社の機内誌などに、あの温泉の湯は源泉かけ流しで湯質はピカ一だとか、ここは水で薄めて循環させたまがい物だとか、そういう類の温泉評論を執筆している人たちである。
入浴剤騒動では、旅館の経営者の言うことを鵜呑みにしていたらロクな評論ができないことが明らかになった。今回みたいに騙されることもある。これまで以上に湯質を鑑定するシビアな眼力が温泉評論家には必要になるだろう。

たとえば温泉評論家の中には、白骨温泉に草津の入浴剤が混入されていることも知らずに取材し、白骨温泉を礼賛しすぎて、こんな文章を書いて大恥をかいた人も中にはいるかもしれない。

「白骨温泉の湯はいい。「白骨」という名に相応しい白く濁った湯。湯質は硫黄泉では日本一といわれる草津温泉に匹敵するか、あるいは凌駕しているかも知れない。
白骨温泉の白さには感激する。地下の奥底から噴き出した、自然が醸し出す天然の白さを何にたとえようか。
夏の青空を彩る積乱雲の白、ミネラルを含んだ海の塩の白、山嶺に降り積もる処女雪の白、そんな自然界の「純白な美しきもの」と、十分肩を並べる清らかな白さである。
筆者も白い湯が好きで、家で白色の入浴剤を使っているが、白骨の湯は入浴剤とは比較の対象にならない。白さの「格」が違う。
まだ地球が今よりずっと熱かった昔、恐竜をはじめとする巨大動物の巨大な骨が地熱で溶かされて白濁した温泉になり、何億年もたってからそれが噴出し、人間の身体を癒してくれるのだろうか。
白骨温泉の純白の露天風呂に身を浸していると、そんな古代のロマンをも感じさせてくれる。」


いかさま入浴剤温泉を、こんな大袈裟な仰々しい文章で表現した温泉評論家は、この先どうやって業界で生きていけばいいのだろう。ほんとに罪な入浴剤である。

それにしても、白骨温泉に草津温泉の湯の花が使われていたことで、草津の株はさらに上昇したに違いない。
最近は鬼怒川温泉みたいに源泉が涸れかかって死活問題になっている所もあるというのに、草津とか別府は熱い良質の湯がほとばしるように湧いてくる。

草津の湯の効能は抜群である。草津は古くから温泉療養で有名な温泉で、信玄は草津で刀傷を治癒し、吉宗は持病の梅毒を治すために江戸城に草津の湯を運ばせた。
草津は硫黄臭い酸性の湯で、皮膚の中に電磁波みたいなものがチリチリ、チリチリ入り込んでくるような湯質で、疲労や肩こりが破壊されるような感じである。
そういえば草津温泉は水虫に効くらしい、電磁波のチリチリが皮膚の裏の痒い場所に入り込み、菌を殺すのだろうか。






Last updated  2006/07/13 12:17:59 AM
カテゴリ:いろんな雑談
私は会議が嫌いだ。会議に出席するのも嫌だし、自分が主催するのも嫌だ。
やむなく塾のスタッフに連絡事項を伝えなければならないケースもあるが、それでも5分以内でサッサと伝達を終わらせる。

私が大手塾にいたとき、会議が長いのには閉口した。
2ヶ月に1回くらい県本部で会議があり、各教室の教室長と主だった時間講師に動員がかけられたが、時には会議が3時間4時間と長引くことがあり、嫌で嫌でしょうがなかった。

私はその頃20台前半の時間講師だったが、発言するのは30代40代のベテラン講師の方々で、彼らの話は最初のうちは刺激的で面白いのだが、時間が経つにつれて同じ話の蒸し返しや堂々巡りで、声も次第に大きくなり、まるでラヴェルの「ボレロ」みたいな会議で非常に困った。

会議を自分の演説の場意見開陳の場だと勘違いし、会議になると目を輝かせて語り始める人はイタい。
人前で話をする以上、聴き手を話で酔わせるサービス精神が必要だと私は考えるが、会議で積極的に発言する人の多くは自分の話に酔い、酔っ払いの戯言に堕ちていることに気づかない。
彼らはまるで、客を酔わせることを忘れ、逆に自分だけベロベロに酔ってしまう場末のバーのホステスみたいだ。会議の他の参加者は酔っ払いの戯言に付き合わされて大いに迷惑である。

また会議が長引くと、発言する人は発言するけど、しない人は黙りこくっている。
ある日、いつもの如く一部の人達が侃々諤々と不毛な議論を戦わせていた。会議は始まってから数時間経っていた。私は「早く終われ」とイライラしていた。
司会者は他の参加者達にも発言を促そうと「他にもご意見のある方いらっしゃいませんか?」と、今まで黙っていたふだん無口な時間講師を指名した。

私はその人も同じように会議にウンザリしていると思い「いえ、別にありません」と会議を終わらせる方向の発言をしてくれると期待したが、ところがその人は何と、指名されたのを幸い堰を切ったかのように話し始めた。しかも悪いことにその内容が今まで述べられていた意見の反論だった。もちろん反論された側は黙っていない。会議はさらに熱くなり長引くことになった。
やれやれ。

もし私がその時司会者に「猫ギターさん、何か言いたいことはありませんか?」と尋ねられたら、「早くこの会議終わらしてください、うんざりです」と答えていたかもしれない。
でもそんな勇気、俺にはないわ。






Last updated  2006/07/12 04:58:24 PM
2006/07/11
カテゴリ:旅行と食べ物の話
私が1日3回はブログを拝見させて戴いていて、短い文章の中に高いプロ意識が仄見え、常々私が感銘を受けている大合格先生のブログに、札幌のラーメンの話題があったので、便乗させていただきます。
大合格先生、よろしくお願いいたします。

僕は札幌には、ANAの超割を利用して1年に2回ぐらい行く。広島から往復2万円強で行ける。
で、札幌に着いたらラーメン屋回り。時間が限られているので、ネットで調べ上げて、店を探索する。

しかし、地元民ではないので、有名な店しか回れない。「隠れた名店」に疎い。
大合格先生のお奨めのお店「鴇(とき)の家」は美味そうだ。塩ラーメンがいいらしい。
でも、札幌の塩ラーメンって、「山頭火」のような薄めの豚骨ラーメンが多い。ススキノの外れにある「五丈原」という店で食べて、札幌の塩ラーメンはこういう味なんだ! と思ったことがある。

僕がこの前札幌に行った時は、琴似の「山桜桃」「ななし」に行った。
こってりミルクのような獣臭いラーメンは、心の底から美味いと思った。特に「ななし」の醤油ラーメンは絶品だった。

ところで昔札幌には、狸小路のアーケード街に「富公」という野菜が焦げた香ばしいラーメン屋があり、親父さんが怖そうで、まるでうちの塾で私が怒った時の様な緊張感が漂っていたのだが、独特の味で美味かった。
また東映の映画館に「糸末」というこってりした味噌ラーメンの店もあった。
両店とも有名な店だったのに、どうして消えて無くなってしまったのか?






Last updated  2006/07/11 07:59:32 PM
カテゴリ:旅行と食べ物の話
IMG_0510.JPG
フィレンツェのトラットリア「アルマンド」で食べた、カレッティエラという、トマト味のペペロンチーノ。ニンニクとトマトの味が凝縮された、目の覚めるような一品。こんなパスタを日常的に食いたい。
「アルマンド」にはパバロッティ、ドミンゴ、メータ、シノーポリなど、有名音楽家のサインがズラリ。



イタリアのパスタは「アルデンテ」に茹でなければならぬとよく言われる。
「アルデンテ」とは、茹で上げたパスタの真ん中に、ちょっとだけ芯が残る状態のことを言う。アルデンテに茹でると、麺が適度な歯ごたえでもっともおいしく感じられるという。

しかし日本の「アルデンテ」は、ちょっと麺が固いような気がする。本格的なイタリア料理店ほど、「シコシコ」ではなく「ゴリゴリ」した麺が多い。
私はイタリアに行く前は、博多ラーメンの「バリカタ」「ハリガネ」のように、「アルデンテ」=「ゴリゴリの固麺」だと思い込んでいた。
本場イタリアの麺もゴリゴリしているのだろう。固いゴリゴリ麺を耐えながら食うのが本格派だと思って、無理して食べていた。

しかし、イタリアのパスタの麺の固さは素晴らしかった。
どこで食べても固からず柔らかすぎず、ちょうどいい麺の固さだった。一度も麺が固いとか柔らかいとか意識することはなく、スルスル胃に麺が収まった。

よく考えてみれば、日本ではどこの店で食べても、米の硬さは一定である。芯が残っていたり粥みたいになった炊き方を誤った米は、どんないい加減な食堂でも出さない。
イタリアのどんな安食堂でも、パスタの茹で方は完璧だった。
アルデンテとは、毎日食べても飽きの来ない、ちょうどいい固さの麺という意味だったのである。

イタリアのパスタの話はこちらも参照ください

イタリアのパスタ(1) スカンピのトマトソース
イタリアのパスタ(2) ボンゴレビアンコ
イタリアのパスタ(3) イカスミパスタ






Last updated  2006/07/11 05:32:11 PM
2006/07/10
カテゴリ:まじめな教育論
3歳の子供に対して、父親が大声で怒鳴りながら泣かせて勉強を教えたら、それはかなり異様な光景だろう。

しかし、狂言の野村萬斎は、3歳で舞台デビューする自分の息子を、怒鳴り上げ泣かせながら稽古していた。
3歳の男の子は初舞台で子猿を演じる。子供が一生懸命「キャッ・キャッ」と叫んでも、野村萬斎は狂気を含んだ厳しい目で子供を見据えながら、「駄目だ」とよく通る声で叱りあげていた。

お父さん野村萬斎は「キャッ・キャッ」と子猿というより狼みたいな怖い声で見本を示す。子供が「キャッ・キャッ」と可愛い涙声で叫ぶ。
そんな親子の格闘が、テレビで映し出されていた。

ところで、子供に厳しく勉強を教える父親に対して、私は病的なものを感じる。
父親が会社や組織で不遇感や疎外感を味わっている。その復讐を子供の教育にぶつけるケースが多い。
子供から「父さんはオレを利用して社会に復讐しようとしてるんだろ!」と言われても仕方ない教育熱心ぶりだ。

自分を冷たくあしらった巨人軍に対する複雑な感情を、息子を鍛え巨人軍に入団させることで晴らそうとした星一徹みたいな父親には、男同士の近親相姦みたいな、歪んで淀んでひねくれた不潔な匂いがして、私は強い嫌悪感を抱く。

しかし野村萬斎親子の厳しい稽古には、逆に心地よい清涼感を覚えたのはなぜか?






Last updated  2006/12/06 03:24:08 PM
このブログでよく読まれている記事

全585件 (585件中 11-20件目)

< 1 2 3 4 5 6 7 ... 59 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.