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まじめな教育論

2006/06/07
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カテゴリ:まじめな教育論
自習室に来る子は成績が伸びるのだろうか? まあ80%の子はそうだろうなあ。

たしかに塾で定期試験前に「自習室、朝の10時から夜の10時まで開いています」と宣伝しても、お馴染みの勉強熱心な子や、人懐っこい子ばかりがやって来る。もはや常連と化している。
彼らは概して向学心が強い。というか、1つ1つの試験を重要視し、手を抜かない。

ただ自習室は、特定の生徒の「できる子サロン」や「先生のお気に入りチルドレン」や「塾のメインメンバー」にならないように、ある程度気をつけねばならない。

でも、自習室の常連になる子は、教師の側から見ればカワイイのも確かだ。どうしても贔屓してしまう。

私は塾が講師と生徒が、親密になり過ぎる場になっても、それはそれでいいと思う。
講師と生徒が擬似的な親子になるような、強い人間関係で結ばれる雰囲気の塾が私は好きだ。そんな雰囲気が好きだからこそ、私は塾講師をやっている。


ところで私自身の話で恐縮だが、私は受験生時代、図書館や自習室の雰囲気が駄目だった。受験生が醸し出す静寂感に恐怖を感じた。
私は真面目でも何でもない男だが、家で勉強する方が性に合っていた。

大きな図書館や自習室だと、人数の多さが私を圧迫した。
200人ぐらいの受験生が一斉に勉強しているピリピリした冷厳な熱気と、カリカリ筆記用具の音だけが立ち込める静粛な空気と、若い体臭がムンムン立ち込める部屋は、私のような神経が細い人間には耐えかねた。

また、図書館や自習室に行くと、同年代の受験生が、参考書や問題集はどんなのを使っているのか非常に気になる。

他の受験生が自分よりレベルの高い問題集を解いていたら「負けた!」と胃がズキズキするし、逆に基礎レベルの問題集をやっていたら「勝ったね、オレ!」と間違った優越感に浸ってしまう。

あと、同じ問題集を使っている受験生を見ると、まるで同じ洋服を着た人間に、街でばったり出くわしたような感じで非常に気まずい。
その同じ問題集が、自分のよりボロボロで使い込まれていたら居ても立ってもいられない。激しい闘争心がわく。

とにかく図書館や自習室は、ライバル(こっちが勝手に思っているだけだけど)が気になって勉強が手につかなかった。

特に自習室で一番気になるのが「赤本」である。
周囲の受験生がやっている赤本の大学名は無性に気になる。
「こいつ、どこの大学受けるんだろ?」
隣の受験生が「東京大学(理系)」などという赤本をやっていたら、吐き気すら覚える。

赤本の表紙と背表紙には、大きな大きな字で大学名が書いてある。
赤本はそれ自体が真っ赤で強烈に目立つし、そこに「××大学」と大学名が必要以上にでっかく、ゴシック体太字で表紙と背表紙の2箇所に黒々と書かれている。
赤本のデザインは、自分の志望大学を隠せない悪魔的なデザインだ。あんなに派手な自己主張の強い本は少ない。志望校が一目瞭然で、「俺は××大学を受ける人間だ!」と、満天下に誇示しているようである。

また「赤本」に限らず、Z会の「緑本」や河合塾の「青本」は難関大学しか出版していないので、大学名が見えなくても「緑本」「青本」を持っている時点で「おぬし、できるな」と刺激を受けてしまう。

今でも図書館や本屋の赤本コーナーに行くと、受験生の赤本を「ちらっ」と見て、「こいつ、どこの大学受けるんだろう」と、受験生時代の郷愁だろうか、探ってしまう癖がついている。
性格の悪いオッサンだと、自分でも思う。






Last updated  2008/03/30 01:39:36 PM


2006/06/06
カテゴリ:まじめな教育論
kamiesu先生の息子さんは、いつか先生のブログを読まれる日が来るだろう。

たとえば息子さんが40歳になり、もし父親と同じく独立創業を心に決められるようなことになったら、同年代の父親の独立創業記をどんな気持ちで読まれるだろうか。
自分と同年代の父親の戦いの記録は、独立創業をめざす息子さんの最大のバイブルになるに違いない。
息子さんはkamiesu先生の文章の隅から隅までを、なめ尽くすように読むだろう。

また息子さんが40歳になったら、kamiesu先生は80歳に近い。
そのとき息子さんは80歳の父親の熟成した意見も聞けるし、40代の自分と同年代の生々しい記録にも接することができる。
40代の父親が書き言葉で、80代の父親が話し言葉で、同時に息子さんにアドバイスする。
何とロマンチックなことだろうか。

また息子さんが10代の受験期に入り、自分の殻を破り大きな目標にチャレンジする時、お父さんの独立創業の記録を読めば、どんなに素晴らしい糧になるか計り知れない。

浅田次郎の「地下鉄に乗って」という小説は、人生に行き詰った中年の男性がタイムスリップして若き日の父親と出会い親友になり、父親からパワーを貰い復活する話である。
でもブログの文章があれば、タイムスリップという非現実的な装置を用いなくても、同年代の親子が交流することが可能なのだ。

私見だが、昔から小説家や著述家の親子、特に父親と息子は仲がよく、普通の親子より分かり合っているような感じを受ける。
それは息子が父親の作品を読み、父親の人となりの繊細な部分に接する機会が、普通の親子より圧倒的に多いからだと私は思う。

無口で無愛想な生の姿の父親が、文章では饒舌に繊細に、自分の心のうちを語っている。父親は文章のプロだから、語り口は巧妙かつ真摯で、心を打つ。

また作品やエッセイの中には、子供に対する愛情の痕跡が、あちこちに見受けられる。
子供は全面的に自分を愛してくれた親を失ったあと、かつて自分の全てを愛してくれた人間が若い時分には存在したことを、文章を通じて知るのである。






Last updated  2006/06/06 03:57:22 PM
2006/06/05
カテゴリ:まじめな教育論
kamiesu先生の大手塾からの独立、そして新しい塾設立のドキュメントは、そろそろ佳境を迎えつつある。
進学塾「SORA」の開塾が、いよいよ間近に迫っている。

たった2ヶ月前には、kamiesu先生の頭脳の中にしか存在しなかった理想の塾が、実体を持ち現実に始動しつつある。

名前が決まり、ロゴマークが完成し、テナント工事に取りかかり、広告を撒き、おまけに何と先生の似顔絵まである。

塾が出来上がってゆく経過は、まるで映画のようだ。2次元のシナリオが3次元の映像に変わる瞬間が、刻々と近づきつつある。

さて、kamiesu先生のブログは、どんな人がどんな視点で読んでいるのだろうか? 

ある人は「プロジェクトX」的なダイナミックな創業ドキュメントとして読み、特に同世代の人は40代の人生再スタートを羨望の気持ちで見つめるだろう。

大手塾の経営者や教室長は「こんな優秀な先生に辞められたらアカンな」と人事管理を徹底し直すだろうし、逆に大手塾の力量のある講師は「俺も独立したい」と夢想したり「いや、大手塾に残る方がいい」と現実に戻ったり、反対の思いが交錯するだろう。

「進学塾SORA」の近隣の塾は戦慄を覚えているに違いない。「進学塾SORA」という塾名は味方には爽やかだが、敵から見たら得体が知れなくて掴みどころがないヌエのような名だ。私の塾の近くに「進学塾SORA」ができたら、私は恐怖で失禁する。

全国の個人塾の塾長はkamiesu先生にエールを送り、また自分が塾を創業した頃の緊迫感を回顧しているのかもしれない。

既存の塾に物足りなさを感じる賢明な父母の方は、「進学塾SORA」に子供を通わせたい、この塾には何かあると絶対に感じるだろう。

上昇志向と向学心が強い生徒の皆さんの中には「進学塾SORA」の第一期生になりたいと願う人もいるはずだ。
「進学塾SORA」に通ったら、自分の何かが変わる。イラクの激戦地に行かなくても、「進学塾SORA」に行ったら自分探しの糸口がつかめると、聡明な若者なら直感する。

(余談だが私はkamiesu先生にメールを差し上げる時、「進学塾SORA」ではなく、間違って「劇団SORA」と書き、慌てて消したことがあった。「SORA」という名前と、kamiesu先生の教育信条がmixし、なんだか倉本聰の「富良野塾」的な、塾長と劇団員の密接な24時間すべての生活を演劇に賭けた関係を連想してしまったのだ。泊り込んででもKamiesu先生の下で学んでみたい中学生・高校生の方は多いに違いない。)

とにかく塾関係者も、父母の方及び中高生も、一般の読者の方も、先生の教え子の皆さんも、kamiesu先生の塾誕生の、現在進行形の臨場感溢れるノンフィクションに注目している。




ただ、kamiesu先生のここ半年弱続いた一連の「独立戦記」を、一番熱意をこめて、一番深く自分と一体化して読む最大の読者は、塾関係者でも保護者の方でも中学生高校生でもない。

kamiesu先生のブログの最大の読者は、絶対にこの人だ。彼以外にありえない。

(つづく)






Last updated  2006/06/05 11:52:57 PM
2006/06/03
カテゴリ:まじめな教育論
いま流行の、成分分析を「US塾」でやってみた。

US塾の94%は信念で出来ています
US塾の6%は鍛錬で出来ています


いいじゃん!


ちなみに私の名前でやったら

59%は勇気で出来ています
21%は気の迷いで出来ています
9%は濃硫酸で出来ています
7%は成功の鍵で出来ています
4%は言葉で出来ています


これもなかなか。濃硫酸とは何ぞや。


さらに、猫ギターなら

猫ギターの96%は鉄の意志で出来ています
猫ギターの4%は歌で出来ています


歌?よくわからぬ。


でもオレは「信念」と「勇気」と「鉄の意志」の男なのね。






Last updated  2006/06/03 10:02:56 PM
2006/05/26
カテゴリ:まじめな教育論
子どもから「やる気」を引き出すのは難しい。

勉強をやる気にする「媚薬」でも発明されたら、どんなに素晴しいことか。

飲んだらたちまち机にかじりついて離れない、勉強に惚れてメロメロになる薬。
スポーツ界で使われている筋力増強剤ならぬ、脳力増強剤。

そんな薬を発明したら、配合比率は門外不出にして、私は大儲けを企むだろう。

また20~30年後には、子どもの知能指数を上げ、やる気にする脳外科手術が行われているかもしれない。

顔がブサイクなら整形外科のお世話になればいいように、怠け者のバカチンでも勉強嫌いでも、学校や塾に頼ることなく脳外科へ行って頭蓋骨にメスを入れてもらえば勉強嫌いはすぐに解決・・・・

媚薬も外科手術も、近い将来実用化されそうな気がする。

欧米や日本だったら倫理問題になるけれど、中国やロシアだったら秘密裡に天才児とか「やる気」の塊のパワフルな子供が人為的に作られる可能性がある。

さて、冗談はともかく、子供をやる気にするには勉強の動機づけが必要だ。
勉強したら将来どうなるか、しなかったらどうなるか、明確なビジョンがないと、目的意識は生まれない。

目標なしに勉強することは、ゴールのないマラソンを走っているようで、子供も行けども行けども休みなく走らなければならない状況に嫌気がさし、途中で挫折し苦痛を感じる。

だから私は子供の目標をはっきりさせるため、本気で洗脳ビデオでも作ろうと考えた。

たとえば中学校2年生のA君。明日は中間試験。午後11時。眠い。
眠るか眠るまいか、2つの選択肢がある。

まさに人生の分かれ道。

眠らずに午前2時まで頑張った場合。テストは95点。
その10年後のA君の姿はどうなるか・・・
霞ケ関の役人か、ドイツの学会で研究発表する医学博士か、マンハッタンの摩天楼で働くビジネスマンか。

眠った場合。テストは45点。
その10年後のA君の姿はどうなるか・・・
派遣で25歳の上司に怒鳴られてる45歳の無気力なオッサンか、山谷か釜が崎で野糞たれてるジジイか。

で、シナリオも少々書いたのだが、95点のA君の人生が薔薇色、45点のA君の人生が地獄というような単純なストーリー展開になることは、私のような貧困な想像力しか持たない人間でも許せない。

95点のA君だって大きな苦悩を抱えるし、45点のA君だって挽回の可能性はある。

人生のストーリーは単純にはいかない。

結局、「勉強しないとひどい目にあうぞ」という脅迫洗脳ビデオの製作はご破算になった。






Last updated  2006/05/26 10:22:45 PM
2006/05/17
カテゴリ:まじめな教育論
仙台では、野村監督率いる楽天と、古田監督のヤクルトが戦っている。いわゆる「師弟対決」だ。

古田は野村監督の薫陶を受け日本一の捕手の名を欲しいままにし、野村は古田の活躍でヤクルトの黄金時代を築き名監督と賞賛された。「日本一の捕手」のスキルが野村から古田へ伝承されたのだ。

師匠の力で弟子が一人前に育ち、弟子の活躍で師匠の株が上がった。お互いの存在がお互いを引き上げた。
野村と古田の邂逅は奇跡的で、この上ない理想的な師弟関係と外野からは見える。

ただ、古田にとって野村は、どうしようもなく煙たい存在だと思う。

名監督と呼ばれる人は、自分が能力を認めている選手に対して、悪口とボヤキの集中砲火を浴びせる。気に入った選手ほどいじめる。
野村は未だに古田をあまり褒めないし、著作は古田に対するボヤキで満載だ。
私のような教育関係者には、野村が古田にボヤけばボヤくほど、野村が古田の力を認めているのが痛いほど分かる。

野村にとって古田は目の中に100人入れてもいい可愛い弟子だ。しかし野村の目の中に入れられた古田は窮屈でたまらない。

古田の側にしてみれば、未熟だとか性格に問題アリだとか、自分に対する悪口やボヤキが本にあれだけ書かれて、いい加減ウンザリしているだろう。
また野村は「古田は俺が育てた」と盛んにあちこちで言い触らしている。古田が内心腹を立て、呆れるのは強く理解できる。

そして、古田は野村の能力は認めざるを得ないが、性格は大いに疑っているに違いない。
息子のカツノリを肉親贔屓で起用し続ける行為にも疑念を抱いているだろう。
野村監督が阪神時代の3年間、一度も二軍に落ちなかったのは、どうやらカツノリだけだったらしい。今岡や桧山でさえ二軍落ちを経験したにもかかわらず、である。

しかし、古田は野村と出会わなければ、あれほどの超一流選手になれなかったことも事実だ。
たとえば古田がヤクルトではなく、巨人軍にルーキーとして入団したとしたら、長嶋茂雄の目に古田の姿は絶対にとまらなかっただろう。一見華のなさそうな古田の才能を、長嶋茂雄は見逃したに違いない。
野村は古田の拾いの神であり、救いの神であり、育ての神だった。

ところで古田はピンチに陥った時、野村の姿が頭に浮かんでくるのだろうか?
たとえば、古田は今季からプレーイングマネージャーとして、監督と選手を兼任する事になったが、開幕当初ヤクルトは勝てずに、また古田自身も打率が一割台で、相当苦しんだに違いない。

師匠の野村はプレーイングマネージャーとして成功を収めた第一人者だ。南海時代は監督を兼任する傍ら、現役4番打者としてホームランをかっ飛ばした。野村は捕手のイメージが強いが打者としても超一流で、本塁打数は王貞治に次ぐ歴代第2位である。
野村は古田にとって、捕手としてだけではなく、プレーイングマネージャーとしても先達である。

おそらく古田はプレーイングマネージャーで窮地に陥った時、野村だったらどうピンチを乗り切るか、空想上の野村と「対話」している、と思う。
現実の野村の姿は顔を思い出すだけでも腹立たしいし、もし実際に電話で野村に相談でもしたら、野村がマスコミに「古田がオレに相談しに来やがった」と皮肉な笑顔を浮かべて暴露するのは目に見えている。だから実際に野村に教えを請うなんて、死んでも嫌だろう。

しかし、野村の思考法は古田の血肉になっている。古田の頭の中に、野村の思考回路が構築されている。
だから実際に野村と語らなくても、長年野村から口を酸っぱくして語られた言葉のパーツが、古田に語りかけてくるのだ。
師匠とは弟子にとって、「あの人ならこの局面で、どう考えどう行動するだろうか?」と空想上の対話ができる人物である。

古田にとって野村克也はまことに嫌な男だが、自分を認めスターダムに上げてくれ、強い影響を受けた生涯最高の師匠だということは、渋々ながら認めざるを得ない。
また「野村の考え」は、古田の脳味噌に取りついている。
師弟関係というものは、複雑なものだ。






Last updated  2006/05/17 06:22:12 PM
2006/05/16
カテゴリ:まじめな教育論
生徒や選手に「無関心」な教師や監督は駄目だ。言い換えれば良い教師・監督の条件は、生徒や選手に強い「関心」を持つ人に他ならぬ。

ただし、生徒に「関心」を持つ教師とは、生徒に積極的に声をかけたり、常に誉めたり、またどんな生徒からも慕われ「いい先生」と呼ばれるタイプの、フレンドリーな人だけではない。

実は教師が生徒の悪口を言ったりボヤいたりするのも、生徒に「関心」を持っている立派な証拠だ。
というか、妙に生徒を褒めるより、生徒の悪口を言ったりボヤいたりする教師の方が、生徒に強い「関心」を持っている。そしてそんな教師こそ生徒の能力を真に伸ばすような気がすると、個人的に思う。
生徒が嫌う「悪い先生、嫌な教師」の中に、素晴らしい先生が潜んでいるのだ。

生徒を罵倒したり、生徒の行状をボヤいたりする教師は、生徒に対して強固な理想像を持っている人が多い。生徒の学力はもっと上がるのに、もっと能力を発揮できるのにと、熱く期待している。
生徒の理想の姿と現実の姿の剥離を常に意識して、生徒を理想形に近づけようと腐心している。

そんな教師は生徒に対して、俺の理想の姿まで上がって来いよと発破をかける。現実に甘んじることを許さず、飢餓感を持たせる。
発破をかけられる生徒は、教師によって常に自分のマイナス部分、理想に足りない部分を意識させられるから、教師に対して「俺を認めていない」「俺のことは分かっていない」と不満を持つ。
でもそれは大きな勘違いであることが多い。

熱心な教師は、自分が可愛がり能力を認めている生徒に対して、他の誰よりも強い不満を述べがちだ。お気に入りの生徒への要求水準は高くなる。野村監督が古田に対して一番厳しかったように。

生徒の側からすれば「何で俺ばっかウジウジ説教されるんだ」と不平不満を持つのは当然だろうが、ウジウジ言われるのは教師から能力や将来性を認められ猛烈な関心を持たれている証拠か、逆に本当に骨の髄まで嫌われているかのどちらかである。






Last updated  2006/12/06 03:35:27 PM
2006/05/15
カテゴリ:まじめな教育論
愛知県の海沿いにある全寮制の学校といえば、海陽学園と戸塚ヨットスクール、どちらを思い浮かべるだろうか?

戸塚ヨットスクールは暫し忘れられた存在だったが、戸塚宏が監獄から帰ってきてマスコミに露出を重ねて以来、久しぶりに注目を浴びている。

戸塚ヨットスクールに対しては賛否両論あるが、私は戸塚ヨットスクールを断じて許せない。

確かにスパルタで押さえ込めば、家で暴力を振るう問題児の淀んだ顔がスッキリ生まれ変わり、社会性が身につくという理屈は理解できる。

しかし、過ぎたるは及ばざるが如しで、教育機関が子供を殺しては絶対にダメだ。子供を殺す場所を教育機関とは言わない。子供を殺す人を教育者とは呼ばない。

圧倒的な存在を目の前にすると、人間は謙虚になる。しかしその圧倒的な存在とは精神的なものでなければならず、決して暴力であってはならない。
戸塚ヨットスクールは、私塾に携わる同業者として断固否定せざるを得ない存在である。同業者の恥といっても過言ではない。

戸塚宏は刑務所で不当な扱いを受けたと、マスコミで盛んにアピールしている。しかしかつて、刑務所が戸塚に施したよりも何十倍も酷い扱いを、ヨットスクールの生徒に行った。
刑務所は戸塚の命を奪いはしなかったが戸塚は子供の命を奪った。

さて、戸塚ヨットスクールが生まれた背景、それは1980年前後の家庭内暴力の頻発である。
開成高校生の父親が家庭内暴力で荒れる息子の首を思い余って絞め殺したり、一柳展也という青年が父母を金属バットで殴り殺したり、巷では家庭内暴力のニュースが次から次へ飛び込んできた。

1960年代・70年代の若者が反抗する相手は国家権力だった。大学では紛争が巻き起こり、若者はゲバ棒持って暴れ若さを発散させた。
しかし学生紛争が収まると、若者の鬱屈した怒りはやり場を失った。学生運動が下火になったからといって、若者の反抗心は一朝一夕に消えやしない。

そして若者の怒りは、国家権力と比べてあまりにも小さな権力、父母や教師へと向けられた。
1980年代の家庭内暴力・校内暴力は、1960年・70年代の学生運動の縮小版である。

学生運動・左翼運動を押さえ込んだのは警察だった。しかし家庭内暴力を警察は抑える事が出来ない。警察は基本的に家族間のいざこざには不介入だからである。
そこで家庭内暴力を抑え込み、家で猛獣のように暴れるハイティーンの子供を更生させる期待を担ったのが戸塚ヨットスクールだった。

家庭内暴力で苦しむ親は藁にでもすがりたかった。その藁こそが戸塚ヨットスクールだったのである。






Last updated  2006/12/06 04:57:20 PM
2006/05/13
カテゴリ:まじめな教育論
さて、生徒や選手に「無関心」な教師や監督はアカンと、私は3日前に書いた。
巨人を順位・人気の両面でどん底に突き落とした堀内監督も、選手に「無関心」な監督だったような気がする。
堀内監督はおそらく、選手との距離を置くことに腐心し過ぎて失敗した。

堀内監督が一番影響を受けた監督は、おそらく川上哲治だろう。
川上監督はV9を成し遂げた、日本プロ野球史上最も成功した監督だ。
ルーキーの歳からエースに登り詰めるまでの十数年間、堀内は川上の下で働いた。

10代後半から20代前半の多感な時期、しかも自分を最も輝かしてくれた実績抜群の監督から影響を受けないわけがない。
堀内の頭は「プロ野球の監督=川上哲治」と自然に刷り込まれただろう。

川上は監督時代厳父のような立場を取り、選手との間に距離を置いた。
川上哲治は大正生まれだが「明治男」のような威厳に満ち、圧倒的な父性で選手を操縦した。
選手には滅多に声をかけなかった。軽い饒舌を嫌い、重く無口な態度を通した。

堀内監督は川上監督を真似た。選手が監督に会談を申し入れても、「一選手が監督に口を利く立場じゃない」と斬り捨てたと言う。
川上時代なら通用した態度も、現在の若者には尊大にしか映らない。堀内は川上のイミテーションにしかなれなかった。

ある世代より下の人間には、父性愛を嗅ぎ取る力が決定的に欠落している。酒の味の分からない子供のように、無愛想で無口で辛口な大人の男性から優しさの旨みを味わう能力を我々は失った。
監督や教師の無口イコール自分に対する「無関心」にしか捉えることができない。

川上監督は終始一貫して選手と直接コミュニケーションを取ることを避け、「冷厳な熱血人間」としてV9を成し遂げた。若い選手が父性を読み取る感性があった時代の話だ。
川上監督を表面的に真似た時代錯誤の堀内監督は、選手から「陰気な冷血人間」にしか見えず、「無関心」で冷淡な監督として選手から疎まれた。

子供と距離を取るのは難しい。感情量の少ない冷たい人間が距離を取ろうとすると、子供の心は離れてしまう。逆に愛情の強い教師が子供に近づきすぎると、愛の熱で子供を焦がす。
教師が太陽、子供が惑星という距離感が最適なのだろう。






Last updated  2006/12/06 03:33:37 PM
カテゴリ:まじめな教育論
今日はぜすと艦長先生の文章にインスピレーションを得て書き散らかす。
艦長先生の文章は大好きだ。中毒になる。

ところでぜすと艦長先生の呼び名だが、「ぜすと艦長先生」という具合に、艦長・先生という2つの地位を連ねて書くのは変な気がしてきた。なんだか「現人神大元帥天皇陛下さま」的な感覚だ。

「艦長先生」も今村昌平の「カンゾー先生」みたいで変だ。
また「艦長閣下」もイメージ的に格好いいが、閣下という敬称が「艦長」に付けていいものなのかわからない。「大統領閣下」はOKだが「艦長閣下」は許されるのか? たぶん許されないと思う。
「ぜすと艦長」だと、何だか呼び捨てみたいで失礼だが、皆さん先生をそう呼んでいるので、私も「ぜすと艦長」とお呼びしてみたい。

さて、私のブログは匿名ブログなのか、実名ブログなのかわからない。一応塾名を書いているから実名ブログなのだろうか。
私のブログは時間系列を変えたり、生徒を特定できないように工夫をしたり、また些細なことを大袈裟にデフォルメする面はないわけではないが、基本的に嘘はついていない。
また、自分の容姿については諸事情により写真は貼れないが、以前ここに私の容姿について客観的に文章で正確に描写したので、こちらも嘘はついていない。

ところで以前ryoさんが指摘されたことだが、自分の文章、自分の主張に自信があれば自分の名前を晒す事はできると思う。というか、晒さずにはいられない。

だって格好いいこと書いて、他人の手柄にされたらもったいないし。
匿名は自分を安全地帯に置くメリットはあるが、同時に功名心をも満足させてくれない。
素人が匿名でブログにいい文章書いて、それをネタの尽きたプロにパクられたら腹が立つでしょ。

だから匿名ブログを書いている人の気がイマイチわからない。謙譲の美徳か、無名のダンディズムなのか。
絵描きは銘を右下にチョロリと書くが、自信のある文章家は自分の名を絵の中心にどでかく書きたい衝動に駆られるだろう。
私ならゲリラ戦法で顔隠して闇討ちするより、「やあやあ、我こそは!」と古式にのっとり正々堂々名を名乗って戦いたい。

あと私は「文章=虚飾の世界」という受け止め方を必ずしもしていない。まさに文は人なりで、文章こそ人の内面の世界を正確に捉えたものである。
ということは、一見リアルに思える外面こそが虚飾という見方もできる。

私個人としては、文章の方をリアルな自分、実際の姿を虚飾の自分と見なされたい願望がある。
ブログで気障な文章書いている自分と、近所のスーパーで半額シール貼られた国産和牛しゃぶしゃぶ肉を見つけ「ラッキー」とつぶやいている自分と、どちらがリアルでどちらが虚飾かと聞かれたら、やっぱり文章の方が本当の姿だと人様から思われたい。

冗談はともかく私は教師の経験上、一見明るく元気に振舞う子が、どんなに心の中に大きな闇を抱えているか知っている。
外面の明るさと、内面の闇のどちらが子供の本当の姿か、また子供は大人にどちらを本当の自分の姿と受け取ってもらいたいか。
内面を綴った文章を虚飾と言い放ち、虚言と斬り捨てることはできない。
リアルな内面、虚飾の外面という見方に、個人的には軍配を上げる

たとえ仮に文章が虚飾に満ちたものだとしても、人間は虚飾の世界を長期にわたって演じることには耐えられない。虚飾の中で生きるのは拷問だ。ブログを200回300回も書き続けていたら最終的にはメッキが剥げ、本質が表面化する。
ブログをウソで飾り立て、虚言癖に浸って違う自分を演じていたら最終的には息苦しくなって、本音という二酸化炭素が体にたまり、それが一気にゲロゲロ吐き出される。クサイ息をかけられる読者はたまったものではない。
虚飾に満ちた綺麗事を書く人は、ある日突然変異して「悪」へと変貌する。

逆に毒を日常的に吐ける人は、文章=虚飾という図式に悩み、いかに文章とリアルを近づけるか悩む誠実な人である。
自分の性格や主義主張に自信があるから毒を吐ける。裸身を晒しても腸を引きずり出しても大丈夫だという自信がある。毒を吐いたら実はかなりの確率で金の卵に変身する。

そして、心の清い毒舌家は毒舌の反動で謙虚さが立ち現われる。
毒舌と謙虚が綱引きをして揺れ動く方は魅力的だ。岡本先生やぜすと艦長のような優れた毒舌家には、恥じらいを持った魅力的な笑顔が仄見える

最悪なのは、自分が正常な紳士淑女であることにいささかの疑念も持たず、無意識のうちに「性格の悪さ」が滲み出る気取った人である。
清純派を自認しながら、実は歯の裏は煙草の脂でまっ黄色な人である。本人は全く気付いていない。

私はそんな腐った内面を、牛の皮を剥ぐみたいにビリビリと晒してやりたい意地悪い衝動に駆られる。

カッコつけんなよ、と言いたい。






Last updated  2006/05/13 01:44:38 PM
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