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2006/06/05
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カテゴリ:まじめな教育論
kamiesu先生の大手塾からの独立、そして新しい塾設立のドキュメントは、そろそろ佳境を迎えつつある。
進学塾「SORA」の開塾が、いよいよ間近に迫っている。

たった2ヶ月前には、kamiesu先生の頭脳の中にしか存在しなかった理想の塾が、実体を持ち現実に始動しつつある。

名前が決まり、ロゴマークが完成し、テナント工事に取りかかり、広告を撒き、おまけに何と先生の似顔絵まである。

塾が出来上がってゆく経過は、まるで映画のようだ。2次元のシナリオが3次元の映像に変わる瞬間が、刻々と近づきつつある。

さて、kamiesu先生のブログは、どんな人がどんな視点で読んでいるのだろうか? 

ある人は「プロジェクトX」的なダイナミックな創業ドキュメントとして読み、特に同世代の人は40代の人生再スタートを羨望の気持ちで見つめるだろう。

大手塾の経営者や教室長は「こんな優秀な先生に辞められたらアカンな」と人事管理を徹底し直すだろうし、逆に大手塾の力量のある講師は「俺も独立したい」と夢想したり「いや、大手塾に残る方がいい」と現実に戻ったり、反対の思いが交錯するだろう。

「進学塾SORA」の近隣の塾は戦慄を覚えているに違いない。「進学塾SORA」という塾名は味方には爽やかだが、敵から見たら得体が知れなくて掴みどころがないヌエのような名だ。私の塾の近くに「進学塾SORA」ができたら、私は恐怖で失禁する。

全国の個人塾の塾長はkamiesu先生にエールを送り、また自分が塾を創業した頃の緊迫感を回顧しているのかもしれない。

既存の塾に物足りなさを感じる賢明な父母の方は、「進学塾SORA」に子供を通わせたい、この塾には何かあると絶対に感じるだろう。

上昇志向と向学心が強い生徒の皆さんの中には「進学塾SORA」の第一期生になりたいと願う人もいるはずだ。
「進学塾SORA」に通ったら、自分の何かが変わる。イラクの激戦地に行かなくても、「進学塾SORA」に行ったら自分探しの糸口がつかめると、聡明な若者なら直感する。

(余談だが私はkamiesu先生にメールを差し上げる時、「進学塾SORA」ではなく、間違って「劇団SORA」と書き、慌てて消したことがあった。「SORA」という名前と、kamiesu先生の教育信条がmixし、なんだか倉本聰の「富良野塾」的な、塾長と劇団員の密接な24時間すべての生活を演劇に賭けた関係を連想してしまったのだ。泊り込んででもKamiesu先生の下で学んでみたい中学生・高校生の方は多いに違いない。)

とにかく塾関係者も、父母の方及び中高生も、一般の読者の方も、先生の教え子の皆さんも、kamiesu先生の塾誕生の、現在進行形の臨場感溢れるノンフィクションに注目している。




ただ、kamiesu先生のここ半年弱続いた一連の「独立戦記」を、一番熱意をこめて、一番深く自分と一体化して読む最大の読者は、塾関係者でも保護者の方でも中学生高校生でもない。

kamiesu先生のブログの最大の読者は、絶対にこの人だ。彼以外にありえない。

(つづく)






Last updated  2006/06/05 11:52:57 PM


2006/06/04
カテゴリ:いろんな雑談
IMG_1727.JPG
こいつだ! 鼻が大きくてカワイイ。
金曜日からわが家の一員だ。

パソコン打ってたらキーボードに乗ってくるし、眠っていたら私の顔の上で眠ったり、耳を噛みに来る。甘えん坊だ。
横で腹を出してじゃれるし、頭の上に乗ってくる。

猫との生活って、こんなに幸せだったのか、と思う。

ただ、名前がない。吾輩は猫である、名前はまだない状態だ。
早く決めねば。

ピッピかチッチかポッポが有力候補。







Last updated  2006/06/04 06:26:43 PM
カテゴリ:塾の日常風景
昨日も今日も中間試験対策だ。
私の塾は講師1人、生徒数は100人弱で人口密度が高い。

ただ私は「忙しい」という言葉は絶対に書きたくない。
「忙しい忙しい」とブログで叫ぶことは、誰かに甘えているようで、私の美学に反する。
忙しいという言葉は、私が大嫌いな言葉だ。

どんなに忙しくても、「オレは余裕だぜ」と無理しながら、余裕のよっちゃんかましたい。

そんな私でも、今日は「忙しい」と叫びたい衝動に駆られる。
俺は万能の男だぜ。
ガマン! ガマン!






Last updated  2006/06/04 04:12:03 PM
2006/06/03
カテゴリ:まじめな教育論
いま流行の、成分分析を「US塾」でやってみた。

US塾の94%は信念で出来ています
US塾の6%は鍛錬で出来ています


いいじゃん!


ちなみに私の名前でやったら

59%は勇気で出来ています
21%は気の迷いで出来ています
9%は濃硫酸で出来ています
7%は成功の鍵で出来ています
4%は言葉で出来ています


これもなかなか。濃硫酸とは何ぞや。


さらに、猫ギターなら

猫ギターの96%は鉄の意志で出来ています
猫ギターの4%は歌で出来ています


歌?よくわからぬ。


でもオレは「信念」と「勇気」と「鉄の意志」の男なのね。






Last updated  2006/06/03 10:02:56 PM
カテゴリ:いろんな雑談
で、なんでこんな猫ギター氏を他人扱いするような珍現象が起こったのか。春の睡魔に脳が溶かされ麻痺しただけではない。

自分自身と、自分が書いた文章が、必ずしも同一ではないということは、誰もが大なり小なり意識しているはずだ。
私自身と、ブログのペンネーム「猫ギター」は完全なイコールではない。

なぜイコールでないか、その理由の第1に「筆力の限界」がある。自分の心理をデッサンする能力の欠如は、自分自身と文章を乖離させる。

また文章を書くとき、「ありのままの自分」よりも、「かくあるべき自分」「人にこう見られたい自分」へ方向が傾きがちだ。
逆にストイックに「ありのままの自分」にこだわるあまり過度に自虐に走ると、これまた剥離の度合いは大きくなってしまう。

ただ私が「猫ギター」氏を別人と認識してしまったのは、筆力の問題もあるが、それよりもinputとoutputの関連性の問題が大きい。

他人のブログを読んで人から吸収するのがinputで、 自分でブログを書いて人に情報や視点を与えるのがoutputだが、ことはそう単純なものでもない。

日記を書いている時、私には読者にoutputしている意識は全くない。
日記を通じて読者に情報を分け与え、教育観を伝え、新しい視点を獲得してもらいたいという気持ちは皆無に等しい。

私は逆に日記を書けば書くほど、inputしている気がする。文章を書くことは吐き出す作業ではなく、吸い込む作業に感じてしまう。

私が文章を書いてinputする供給源こそ、「自分の内面」に他ならない。
私にとって日記や小説を書くことは、読者に自分の意見を開陳することではなく、自分の内面の奥底からinputする作業だ。村上春樹言うところの「井戸を掘る」作業に近いかもしれない。

掘り進めば掘り進むほど、内面という井戸からは、自分の想像もつかないような言葉が湧出する。
自分のオリジナルの言葉なのか、あるいは以前本で読んで、いったん忘却した内容が書くことで突然甦ったものなのかわからないが、とにかく井戸から噴出した言葉や思考は、私にとっては意外性のあるものだ。
意外性のある宝物を探り当て発掘する快感に酔うために、人は文章を書くのだと思う。

地球の住民である我々が、地球内の鉱脈の全てを把握しきれないように、人間は自分の内面には無知で、だからこそ可能性に満ちている。宝探しの楽しみがある。

そういうわけであるからこそ、自分が井戸からinputした言葉を「自分の言葉」「自分の考え」とあっさり定義してしまえば、何らかのズレが生じる。
考古学者が発掘物を「これはオレ自身だ」と言うのと同じ間違いだと思う。

自分の子供が自分と違う人格を持つように、自分の言葉も自分自身とイコールではない。
井戸の中身は自分自身でありながら、同時に自己の中の他者であり、他者が語った言葉に「自分の意見」の刻印を押すのは、少し躊躇する。

ただ、自分の井戸から掘り出した物体に、自分が大いに同調し共感していることだけは確かなのである。
掘り出した物体は可愛がられ、熱狂を持って迎えられ、言葉に変換されることを望む。

しかし文章にした途端、自分は読書や実生活から得た知識や伝統の通過点しかすぎないことに気付く。文章は自分自身ではなく、自分自身は自分の内面の語り部にしか過ぎないことを悟る。

言葉がリアルな自分の肉体から離脱し、決して嘘はついていないのだけど、自分自身と、自分自身が書く文章との距離を強く意識する。

とにかく私が書く文章は、明らかに自分から発したものだけど、イコール自分自身ではない。
だからこそ、ブログの「猫ギター」氏を、自分とは違う人間だと認識したのかもしれない。
ネット社会の闇の中に「猫ギター」氏がいて、彼が私に語りかけてくれるのを待つために、私は日記をせっせと書いているのかもしれない。

今日のブログを読んで、私のことを「天性の嘘つき」と思わないで欲しいけど・・・






Last updated  2006/06/03 04:40:01 PM
カテゴリ:いろんな雑談
2週間前四国を高速バスで旅していた時、春の温度の心地よさに、うとうと眠ってしまった。春眠暁を覚えずとはよく言ったものだ。

日曜日の昼間のバスは、乗客は私を含め5人だった。客が少ない居心地の良さも、眠気を誘う一因となった。

四国は温暖で、本州より気温がが少しぬるいような気がする。真綿にくるまれたような優しい空気が心地よい。
桜なんかもうとっくに散ってしまったのに、四国の空は桜色に見えた。

高速バスは電車みたいに途中停車しない。新幹線で東京へ行けば、新大阪や名古屋に停車する時に、アナウンスの声や電車が停車する衝動、あるいは客が乗り降りする気配で眠りから覚めてしまうが、高速バスはほとんど停車せず、ノンストップで目的地まで着く。バスのタイヤはスルスルと舗装された高速道路の上を滑る。眠り心地のよさは抜群だ。

春の四国の桃源郷のような環境に、私は眠気で呆けたようになる。身体と外界の境界線が、春ののんびりした空気で曖昧になる。

「ぽわ~」と起きて、睡魔がまだ完全に体から抜け切らないまま、携帯電話で楽天ブログを見る。

夢うつつの状態で、真っ先にある塾の先生のブログをiモードで開く。
読むのを楽しみにしてるブログなのに、まだ更新されていない。

寝ぼけた頭で、「この人、今日はまだ日記書かないのか? サボってんじゃないか。早く更新しろ」と文句を垂れる。

そのなかなか更新しない怪しからん人とは、何と






「猫ギター」

氏のことだった。






「猫ギターって、オレのことジャン」とボケた頭が復活するまで、30秒ぐらいかかった。
猫ギターさんは四国の高速バスで居眠りしているし、しかも私が猫ギター本人なのだから、ブログが更新されていないのも当然である。






Last updated  2006/06/03 01:28:57 PM
2006/06/02
カテゴリ:いろんな雑談
勉強ができる子は、授業中の集中力が狂的に凄い。
家で勉強なんかしなくても、試験前に慌てなくても、授業を100%教室で理解し記憶してしまえば勉強はできるようになる。

私は小学生の時、集中力こそが勉強の命だということを、ある漫画で知った。

私が中学受験をした1980年、「とどろけ!一番」という漫画が「コロコロコミック」に掲載されていた。
ご存知だろうか?

主人公の轟一番君は、ガキっぽいヤンチャなカワイイ小学6年生。幼児体型で、勉強とは無縁な感じの子だ。
しかし「大日本進学塾」に入塾した直後、並み居るガリ勉を差し置いて、いきなり塾で成績トップに立つ。

面白くないのが、轟一番が現れる前はトップだった、典型的な真面目ガリ勉タイプの、スマートで背が高いイケメン常仁勝(つねにまさる)。
彼は轟一番の出現以降、2位の座に甘んじることを余儀なくされる。

轟一番と常仁勝は共に天を戴かぬライバル関係になる。
2人は共に、「開布中学」をめざして切磋琢磨する。

常仁勝は、起きている時間はすべて勉強に費やしている真面目な小学生。しかし轟一番には哀しいくらいに勝てない。
逆に轟一番はといえば、全く勉強している気配がなく、毎日インベーダーゲームで遊んでいる。

常仁勝は、轟一番が勉強ができる秘訣を探った。

轟一番が勉強ができる秘訣は、授業中の集中力にあった。轟一番は授業中全身から炎が出て、目から火花が散っていたのだ。
猛烈な集中力!
知識をすべて授業だけで吸い込んでいるのである。
恐るべし、轟一番!

私はその後轟一番を真似して、塾で先生を睨みつけながら授業を聞くようになった。



ところでこの「とどろけ!一番」という漫画、奇想天外な描写が実に面白かった。
勉強漫画はアクションがどうしても少なくなる。スポーツ系の漫画と違って、リアルに勉強シーンを描いていたら、「カリカリ、カリカリ」という沈黙が支配するシーンで終わってしまう。見せ場の作りようがない。

だから轟一番は、動きが少なく面白くない勉強シーンを盛り上げるため、奇妙奇天烈なアイテムを駆使する。

たとえば彼は、いくら書いてもすり減らない「四菱ハイユニ」という鉛筆を使う。
磨り減らない鉛筆作ってたらメーカーは商売にならないじゃないかという突っ込みを入れたくなるし、磨り減らない鉛筆が果たしてテストに有利になるのか未だにわからない。鉛筆を何本も用意すればいいのに、と思った。

また轟一番は答案を書くのが速い。その秘訣は「答案2枚返し」といって、左右両方の手に鉛筆を持ち、2枚の答案を同時に解くという必殺技を持っているからだ。
私も塾の模試の時、鉛筆を2本持って真似しようとしたが、2分と持たずやめた。轟一番との才能の差をひしひし感じた。

さらに漫画も末期になると、試験の難易度もどんどんエスカレートし、いきなり白紙の問題用紙が出され、紙に熱を加え「あぶり出し」をしないと問題が解けないという、何とも凄いシチュエーションの回もあった。

とにかく、勉強を漫画にするのは難しい。動的であることが要求される漫画と、静的な作業の勉強は相性が悪い。
作者の無理がたたったのか、「とどろけ!一番」の末期は、ボクシング漫画になってしまった。

でも私のような中学受験生には、強烈なインパクトを与えてくれた漫画だった。
どこかに売ってないだろうか。探しても見つからない。






Last updated  2006/06/02 07:12:48 PM
2006/05/30
カテゴリ:塾の日常風景
中1は、中学校の定期試験初体験だ。土日は朝から晩まで試験対策をやった。
中学校のテストは、小学校のテストと同じ意識で受験したら猛烈に痛い目に合う。

数学は正負の数の計算問題がほとんど。
試験終了後、「時間が足りなかった」「うっかりミスをした」と、生徒に言わせてはならぬ。
時間が足りないのも、うっかりミスも、きちんと指導したら絶対に防げる。

まず計算のスピード。計算問題100問を20分でやる訓練。計算演習をしていると、なんだかサルの調教師になったような気分だが、仕方がない。

それからうっかりミス。正負の数で一番間違いやすいのは、プラスマイナスのミスだ。
答えが-4なのに、4と書いてしまうミスが続出する。計算の途中式は大きく、計算を解く時はより神経質に、より丁寧に意識を集中して解かねばならぬ。

また-4のマイナスが点みたいになって、・4と書く子がいる。
マイナスの記号が小さすぎて判別できない。マイナスは漢字の「一」を書くつもりで書かねばならぬ。

中1はとにかく答案の書き方を知らないので、プリントを配って、1枚ずつ持って来てもらい、その場で私が答え合わせをする。
ミスがあれば、どこが間違っているか指摘せずに、×をして無言でプリントを突き返す。

英語はピリオド、コンマ、大文字小文字のミスが多い。

Yakeshi, This is my friend Mike.

なんて平気で書いてしまう。アカンアカン。

塾の試験対策ではどんなにミスをしてもらっても構わない。ただ本番の試験は絶対にミスは許せない。

試験対策をして完璧を期せば、子供の方にも100点を取りたいという野心が芽生える。
本番まであと1週間、頑張って欲しい。






Last updated  2006/05/30 04:29:17 PM
2006/05/28
カテゴリ:塾の日常風景
kamiesu先生の新しい塾「進学塾SORA」は、今日、はじめて広告をお出しになったようだ。おめでたき日である。

そういえば、今日は日曜日。

私は日曜日に広告を出すのが好きだ。新聞折込の半分は日曜日に入れる。

確かに日曜日の新聞は、日曜版が入っていて分厚い。そんな分厚い紙の山から、うちの広告を目立たせるのは大変だ。

でもあえて日曜日に広告を出すのは、家にお父さんがいるからである。

お父さんが日曜日の朝、パンの匂いが立ち込める台所で、サンデーモーニングでも見ながら新聞を手にすると、色彩豊かなツルツルの紙の広告の中から、コピー用紙に白黒で刷った私の塾の広告が、「ひらひら~」と床に落ちる。

お父さんは広告を手に取る。白黒の変わった広告だな。
「ひらひら~」と床に落ちやすいように、B4やA3ではなく、小さなA4サイズの紙を使ったりする。

白黒刷りの広告は実はあまりないから、結構目立つ。
色鮮やかなテレビのCMに、いきなりモノクロの映像が流れたら、思わず目を奪われるのと同じことだ。

そして、お父さんがわが塾の広告を見て「この塾の先生、ええこと言うとるのお」と感じてくれたら嬉しい。
もちろん、塾の選択の主導権はお母さんが握っていることが多いのだが、お父さんが教育熱心で、子供が通う塾に気を配っている家庭の子供は、向学心と上昇志向のある子が多いような気がする。

もちろん中学受験に入れ込み過ぎる「教育パパ」は堪忍して欲しいが、お父さんが適度に子供を見守っている家庭は、子供の精神安定度が高い。

だから私は、お父さんにこそ、わが塾の広告を見ていただきたい。

また、私の塾の広告は、塾のリソグラフで印刷した無骨なもので、昔のガリ版刷りみたいで、絵もない図もない表もない。イラストも漫画もありゃしない。

とにかく、文字だらけの無愛想な広告である。しかも小さな文字が広告の表裏に隙間なく書かれている。
なんだか一昔前の左翼の「佐藤内閣打倒!」なんて書いてあるアジビラに似ている。怪しいことこの上ない。
当然ながら「文字ばかりで読みにくい」という批判も受ける。

しかし、正直言って、私は日常から活字に親しんでいる家庭の子供を、塾生に欲しい。
文字だらけの広告を見て「あっ、何が書いてあるんだろ、面白そうだな」と広告に食らいついて下さるお父さん・お母さんの子供の国語力、すなわち学力は概ね高い。

うちの塾は選抜試験をやっていない。しかし、広告の文字を多くし、イラストを極力減らすことで、ターゲットを絞っているのだ。

教育熱心で子供の将来に深く思いを馳せている方なら、私の文章をある程度は認めて下さるはずだ。少なくとも黙殺はしないだろう。
そんな秘かだが強い願望を込めながら、広告の文章を書いている。
無愛想な黒い活字の中から、熱い思いから発する香気を感知して欲しい。

とにかく私は、私の考えに同意してくださる方の子供に、塾に通ってほしいと思っている。
広告は、私の考えを世間に撒き散らす大切なコミュニケーションツールだ。

私の教育観をアピールする術は、ネットでブログが普及した今でも、広告が一番だ。
ああ、もっと広告の字を小さくしたい。1枚の紙じゃあ物足りないよ。広告を冊子にしたい。いや、分厚い本にしたい!






Last updated  2006/05/28 10:18:36 PM
2006/05/27
カテゴリ:塾の日常風景
どうして楽天から、こんな仕打ちを受けねばならんのか?
2日も続けて、楽天にいやな目に合わされた。気分が悪い。

昨日は最高のモノを注ぎ込んだのに、ヒドイ目にあってしまった。
居心地の良さを提供するのが、楽天の役割だろうに。
楽天けしからぬ。

明日も痛い目にあったら、ブログを楽天からライブドアに移したい。
mixiもいいじゃない。

とにかく楽天には腹が立つ。
裏切られた気分じゃ。



この気持ち、ryoさんにはわかっていただけると思う。






Last updated  2006/05/27 10:50:13 PM
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