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ちゃと・まっし~ぐ~ら~!

スコットランドの寺山さん

ここしばらくはご無沙汰しているが、ダンナと私は夏になると2泊3日でスコットランドに出かけたものだ。
飛行機でインヴァネスに着いてレンタカーを借り、携帯電話の電波も届かなくなるイギリス本土の奥地まで行くことが何度かあった。
走行距離は2泊3日で900㎞を超えるが、私は運転できないし、それに行き先がかなりへんぴで「地球の歩き方」にも載っていない場所・・・いわば秘境の域…まで行くので、私たちとしてはもう一人誰か運転手がいたほうがいい。
当時、私とダンナが一緒に勤めていた会社に一年間日本から研修に来ていたNくんを誘ってみたところ、場所が場所でなかなか行けないところだということに惹かれたのか、行きたいと言う。
Nくんはちょうどその頃、日本からガールフレンドが来ることになっていたので、それなら一緒に4人で行こうよということになる。
初対面のNくんのガールフレンドMちゃんも、まったくいやみのないかわいい子で、2泊3日の旅行中も一緒に真剣な面持ちでネス湖でネッシーを探したり、いろいろ話したり、笑ったりして、結局男性2人の運転のおかげで、イギリス本土最北端のJohn O’Groatsまで到達した。
7月でも気温が13度ほどしかないスコットランドの北の海岸線は北海に面していて、緯度の高さはノルウェーのスタヴァンゲルあたりにも匹敵するらしい。
私のスコットランドの楽しみは朝食だ。
スコットランドの朝食はいわゆるスコティッシュ・ブレックファストと呼ばれ、イングランド近郊のイングリッシュ・ブレックファストなどより遥かにおいしい。
どこででも食べられるハムやベーコンや卵だけでなく、ポーチド・ハドック(タラの一種を茹でたもの)やグリルド・キッパー(にしんの燻製を焼いたもの)といった北の地方特有の魚が塩辛くておいしくて、こんなものがあるならパンではなくて炊飯器を持っていってご飯炊いて食べたらいくらでもお腹にはいるな、というようなスコットランドならではの味覚なのだ。
朝は4時頃までには完全に夜が明けてしまい、夜は11時半頃までうっすらと明るいので、私たちは昼間は対向車とすれ違えないような道をひた走り、夜は夜で食事が済んでから4人でいつまでも話していて、日常とはまったく違った3日間を心行くまで楽しんだ。

今回も走行距離は940kmくらいとなり、インヴァネスの空港で車を返し、ロンドンに戻る飛行機にチェックインした時にそれは起こった。
手荷物の検査を終え、搭乗ゲートにはいった時、ダンナが私に「おい、なんかヘンなヤツがいるから、あっちを見るなよ」と突然小さな声で言った。
私がその言葉に一瞬虚を疲れていた時、その「ヘンなヤツ」が私たちに近づいてきた。
その人は浅黒く日焼けしたおじさんだったのだが、口の左右を全開にし、そこだけがはっきり目立つ白い歯を見せ、私たちのいるほうにまっすぐ歩いてくる。
「いやいやいやいや、こんなところでお眼にかかるとは!」とおじさんはいきなり日本語で言った。
私はおじさんの立っていた場所の後ろから差し込む陽の光で彼の顔がよくわからなかったが、そのひとことで初めて彼が日本人だということがわかった。
いかにも健康的で爽やかで、ダンナが言ったような「ヘンなヤツ」からは程遠い。
60歳くらいのこのおじさんはこのインヴァネスの空港で日本人に会うとは想像していなかったようで、思わず話しかけてきたのだった。
声をかけられた私たちが普段はロンドンに住んでいて、2泊3日でスコットランドの北部を回ってきたことや、おじさんはスコットランドのほかの場所で用があって2週間ほど過ごしてこられたことなどを互いに二言三言話しつつ、飛行機に搭乗した。
飛行機では席も別だったし、それ以上話は進まず、それきりのように見えたが、このおじさんといろいろとまた話し込むことになったのは飛行機がロンドンのルートン空港に着いた後だった。
ルートンから私たちの家まで戻るには国鉄に乗らなければいけない。
おじさんをふと見ると、大きなスーツケース(日本人がよく持つようなサム○ナイトではなく、箱型の黒い塊のようなものだ)と大きなリュックサックのほか、チェロのケースを持っている。
おじさんの年齢からすると大変な大荷物に見え、ダンナとNくんが走って行って「持ちましょう」と言うと、おじさんは「いや、大丈夫ですがね・・・」と言ったが、ダンナとNくんはそれぞれ荷物を持ってあげたが、後できくとかなり重くて驚いたらしい。
おじさんもとりあえず私たちと同じ国鉄に乗るようだったので、駅にはいり、向かい側のプラットフォームまで一緒に歩いて行く。
明るい陽射しの中で見るおじさんの顔は本当にきらきらと輝いていて「ヘンなヤツ」どころか、後光が差しているといった風情だ。
私たちも俄然おじさんに興味が出始めて、いったいこんな大荷物を抱えてどこまで言ってこられたんですか?というところから話が始まった。
ふとスーツケースを見ると、ローマ字でTERAYAMAと書かれているのと、電話番号から東京から来られたことがわかる。
「いや、あなた方もひょっとしたらご存知ない場所かも知れないんですが、私はフィンドホーンに行ってきたんですよ。」と寺山さんが話し出す。
フィンドホーン・・・私たち4人の誰もがその地名を知らない場所だった。
このフィンドホーンには一つの生活共同体があり、いわゆるオーガニック・ホリスティック等を取り入れて、人工的・不純な過程を避け、物事すべてについて自然な純度の高い形を目指して生活が行なわれている特別な場所だということがわかった。
例えばカボチャを育てるのにも肥料を使わず「大きく育てよ」と念じて育てているうちに、それがカボチャに伝わって、直径1mものカボチャが本当に出来上がってしまうのだという。
寺山さんはこのフィンドホーン財団の評議員として、何度もこの地を訪れている他、愛用のチェロを持って世界中で公演をされている人だということがだんだんわかってきた。
私たちが目を丸くして、寺山さんの話を聞いている時、私の視線の先に駅の階段を下りてこちらに向かってくる一人の若い黒人男性の視線が私たちの荷物に張り付いたことに気がついた。
いやな感じだ。
ひょっとしたら、誰かの荷物がとられるかも知れないと、ネコのように神経を尖らせていた私は、あいかわらずこっちにゆっくり近づいてくる男性から眼を離さなかったが、その男性は寺山さんの後ろまで来た時、一瞬立ち止まった。
すると、その男性はなぜか、つつっと私たちのグループから離れていってしまったのだ。
寺山さんはこの男性からは完全に背を向けて話し続けていたのだが、私はその時、おそらく寺山さんから出ていたオーラがあの男性を遠ざけてしまったという確信のようなものを感じてしまった。
その後、私たちは電車に乗り、ロンドンまでの40分ほどの間、ずっと寺山さんの話を興味深く聞いていたのだが、寺山さんの話にはいちいち心を動かされるものがあり、この出会いが旅の後半のハイライトとも呼べるものになって行く。
寺山さんは早稲田で物理を勉強された方でありながら、片や経営コンサルタントもなさっておられるという異色の経歴の持ち主だ。
医師である奥様と結婚された後、ご自身が末期の癌に侵されて余命数ヶ月という事態になった時、すべての末期癌治療をやめ、ホリスティックの概念をご自分で模索し、なんと自然治癒されたのだった。
「私はそれ以来、いろいろな化合の薬について試すようになりましてね。服用量と書かれている量の5倍を自分で服用してみて副作用を確かめることもあるんです。」
・・・なのだそうだ。
しかし、寺山さんのご自身の活動の方向性が、医師である奥様の理念とバッティングしてしまうところもあってね、などと苦笑されてもいた。
これだけを読むと、なんだか調子のいい香具師が好きなことをおもしろおかしく言っているように見えるかも知れないが、寺山さんと話すと決してそうではないことがわかる。
寺山さんのホリスティック哲学のユニークさ、おもしろさもさることながら、私は彼の経営コンサルタントの哲学にも非常に興味を持った。
「よく、いろんな会社の方とお話をすると○○部長がよくない、とか、××常務がちゃんとしてない、などと聞くんですがね、これは何が悪いかというとやっぱり社長というか経営者が悪いということですよ。だから、その組織の真ん中の方とお話をして、その方と何かどこかを変えようと思ってもダメです。やっぱりそれは組織の長の問題なんですから。
それは自分の体も同じなんです。自分の体という組織の長は誰か?それは自分自身ですよね。ここの部分に気がついて意識を持って変えていかないと、体のそれぞれの部分が根底からよくなるということは有り得ないわけです。」

いろんな話を眼からウロコの思いで聞いているうちに、ロンドンに着いた。
寺山さんはイギリスにも活動の賛同者がいて泊めて下さる方があるとのことで、荷物を全部自分で抱えて、その方のお宅に向かって行かれた。

後日、自分でインターネットで調べていると、この方のお話が簡単に裏付けられた。
寺山 心一翁さん。1936年生まれ。
寺山さんのページ
世の中にはいろいろすごい人がいるものだ。




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