ちゃと・まっし~ぐ~ら~!

2005/03/28(月)10:05

言語の壁を超えるもの

言葉(38)

タイトルはいかにもすごい! しかし、内容はあまり詰まっていないところが私の日記のいいところだ。 **これだけ自画自賛に照れがない人物も珍しいかもなっ!** 今朝のことだが、私の上司のドイツ人ゲオルグくんからメールが来た。 自分が統括している課のマネージャー全員に「キミたちがクリスマス前後に休暇を取るか取らないか予定を知らせてほしい」ということだ。 イギリスは12月25日のクリスマス当日と翌日のボクシングデーは祝日で、うちの課もその2日は休業だ。 しかし、うちは別にイギリス人の家族がいるわけではないし、休暇を取ってどこへ行こうという予定もないので「25日と26日は休業だけどそれ以外は私は休まないよん。」と返事を出した。 その後になって、ゲオルグくんのメールをふと見ると、彼のメールの本文下には、ゲオルグくんのそのまた上司である取締役キャシーが自分の部下(ここにゲオルグくんもはいる)に宛てたメールがそのままくっついているのに気づいた。 *つまり、階層はキャシー→ゲオルグ→ちゃと、であり、キャシーはちゃとクラスまでの人間の生態が知りたいわけだ。 このキャシーのメール、4行程度の決して難しくない単語ばかりの英語なのだが、理解するのに大変時間がかかった。 どうしてそんなに理解するのに時間がかかったかというと、このメールが「ことごとく失礼な書き方」のメールだったからだ。 日本語だったら 「あなたたちの部下で誰かクリスマス休暇を申請しようと思っている人がいれば、今週中に私まで報告して下さい」 と言えば済むところを 「各マネージャーで休暇の予定がある者について今週中に報告するべし。報告があるまでどのような休暇も認めず、すでに許可を出してしまった休暇についても撤回も辞さない覚悟でいるように。」 とこんなメールが、まるで英語を話さない民族が辞書を片手に書いたようなわかりにくい英語で書かれていた。 最初はぽかーんとこのメールを見ていたが、だんだん「これってめっちゃ失礼なメールちゃうん?」と思った私はこっそり同僚の中でいちばん英語に造詣が深いはるさんに「このメール、どう思う?」ときいたら、さすがに彼女も「これ、人格疑うよねー」と言った。 このキャシーという女はさすが会社のナンバー2で、社長のイロだということは、ある程度の社員はみんな知っているが、どの程度デキる人なのかは知らなかった。 去年、サッカーのワールドカップの時に会社の休憩室にでかい貸しテレビが置かれ、イングランド戦の観戦だけは課内で順番を合意して見てもよいということになったが、うちの会社はあいにくイギリス人だけの天下ではなく、フランス人・スペイン人・アイルランド人・イタリア人・インド人そして日本人もいる。 その時、誰か(たぶんアイリッシュだったと思うのだが)がどうもアイルランドの試合を見ていたらしい。 すると、このキャシーは会社中に警告のメールを出した。 「アイルランドはイングランドだと思っている人がいるようだが、アイルランドはイングランドではない。」 なんじゃ、この女?アホちゃうか、と思った。 私がこっちに来て、ダンナと結婚してしばらく経った後も自分の英語の出来に悩んでいた時、ダンナから言われた言葉がある。 「相手が英語のネイティブスピーカーだからと言って、誰も彼もを先生だと思っちゃいけないよ。見習っちゃいけないような心根の横着なヤツも多いんだからね。」 この言葉をまた思い出した。 この間まで直属の上司だったデイヴもすごかった。 嫁が日本人だったこともあり、日本語は話せるのだが、コイツは英語で話しても日本語で話しても同じくらいの横柄さと傲慢さがいつもそこはかとなく漂い続けていて、その度合いの揃い方に感服したほどだ。 こういう人たちを見ると、どこの国の言葉だから人格がまったく変わるというのではないのだなとつくづく思う。 そういえば、傲慢さや横柄さといった性格が言語を超えて共通する以外に共通している性質にもう一つ気づいた。 実は私はきっとはたから見ると、早口なほうなのだが、これは日本語でも英語でも同じくらいの速さでしか話せないのに自分で気づいている。 当然、英語などは急に的確な言葉が出てこないことも確かにあるのだが、その言葉を探すのに立ち止まった後、思い出した瞬間に日本語で話すのと同じくらいの速さでやっぱり話していることに気づいて可笑しくなった。 英語の他に趣味で、旅行に行った時に困らないように少しだけイタリア語(まし)とフランス語(少し)も話せるようにはしているが、英語のようには論理を組み立てて話すようなことはとてもできないので、ただ知っている単語・文章だけが勝手に口からどばっと出てくる。 しかし、それに対して現地の人の変幻自在な答えが返ってくるとそこで立ち止まり、固まってしまうのだが。(笑) これは私だけでなく、同じ課のえりこちゃんなんかもそうで、日本語で話すのもばーっと一気に話すが、英語でもやっぱりばーっと話す。 まったく対照的な例としてはうちのダンナ。 日本語でも、私が10話す間に彼は1つか2つ。 調子がよくて3つくらいだろう。 その彼は、人生の半分をこっちで過ごしていても、やっぱり英語で話す時は訥々と話す。 性格や性質というものは言語の種類で簡単に欺かれるものではないんだなと思った。

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